国語 / 晋語三
六年,秦歲定,帥師侵晉,至於韓。公謂慶鄭曰:「秦寇深矣,奈何?」慶鄭曰:「君深其怨,能淺其寇乎?非鄭之所知也,君其訊射也。」公曰:「舅所病也?」卜右,慶鄭吉。公曰:「鄭也不遜。」以家僕徒為右,步揚御戎;梁由靡御韓簡,虢射為右,以承公。 公禦秦師,令韓簡視師,曰:「師少於我,鬥士眾。」公曰:「何故?」簡曰:「以君之出也處己,入也煩己,饑食其糴,三施而無報,故來。今又擊之,秦莫不慍,晉莫不怠,鬥士是故眾。」公曰:「然。今我不擊,歸必狃。一夫不可狃,而況國乎!」公令韓簡挑戰,曰:「昔君之惠也,寡人未之敢忘。寡人有眾,能合之弗能離也。君若還,寡人之願也。君若不還,寡人將無所避。」穆公衡彫戈出見使者,曰:「昔君之未入,寡人之憂也。君入而列未成,寡人未敢忘。今君既定而列成,君其整列,寡人將親見。」 客還,公孫枝進諫曰:「昔君之不納公子重耳而納晉君,是君之不置德而置服也。置而不遂,擊而不勝,其若為諸侯笑何?君盍待之乎?」穆公曰:「然。昔吾之不納公子重耳而納晉君,是吾不置德而置服也。然公子重耳實不肯,吾又奚言哉?殺其內主,背其外賂,彼塞我施,若無天乎?若有天,吾必勝之。」君揖大夫就車,君鼓而進之。晉師潰,戎馬濘而止。公號慶鄭曰:「載我!」慶鄭曰:「忘善而背德,又廢吉卜,何我之載?鄭之車不足以辱君避也!」梁由靡御韓簡,輅秦公,將止之,慶鄭曰:「釋來救君!」亦不克救,遂止于秦。
新字:六年,秦歳定,帥師侵晋,至於韓。公謂慶鄭曰:「秦寇深矣,奈何?」慶鄭曰:「君深其怨,能浅其寇乎?非鄭之所知也,君其訊射也。」公曰:「舅所病也?」卜右,慶鄭吉。公曰:「鄭也不遜。」以家僕徒為右,歩揚御戎;梁由靡御韓簡,虢射為右,以承公。 公禦秦師,令韓簡視師,曰:「師少於我,鬥士衆。」公曰:「何故?」簡曰:「以君之出也処己,入也煩己,饑食其糴,三施而無報,故来。今又撃之,秦莫不慍,晋莫不怠,鬥士是故衆。」公曰:「然。今我不撃,帰必狃。一夫不可狃,而況国乎!」公令韓簡挑戦,曰:「昔君之恵也,寡人未之敢忘。寡人有衆,能合之弗能離也。君若還,寡人之願也。君若不還,寡人将無所避。」穆公衡彫戈出見使者,曰:「昔君之未入,寡人之憂也。君入而列未成,寡人未敢忘。今君既定而列成,君其整列,寡人将親見。」 客還,公孫枝進諫曰:「昔君之不納公子重耳而納晋君,是君之不置徳而置服也。置而不遂,撃而不勝,其若為諸侯笑何?君盍待之乎?」穆公曰:「然。昔吾之不納公子重耳而納晋君,是吾不置徳而置服也。然公子重耳実不肯,吾又奚言哉?殺其内主,背其外賂,彼塞我施,若無天乎?若有天,吾必勝之。」君揖大夫就車,君鼓而進之。晋師潰,戎馬濘而止。公号慶鄭曰:「載我!」慶鄭曰:「忘善而背徳,又廃吉卜,何我之載?鄭之車不足以辱君避也!」梁由靡御韓簡,輅秦公,将止之,慶鄭曰:「釈来救君!」亦不克救,遂止于秦。
書き下し
六年、秦歳定まり、師を帥いて晋を侵し、韓に至る。公慶鄭に謂いて曰く、「秦寇深し、奈何(いかん)せん」と。慶鄭曰く、「君其の怨みを深くす、能く其の寇を浅くせんや。鄭の知る所に非ざるなり、君其れ射(せき)に訊(と)え」と。公曰く、「舅(きゅう)の病む所か」と。右を卜するに、慶鄭吉なり。公曰く、「鄭や遜(したが)わず」と。家僕徒(かぼくと)を以て右と為し、歩揚(ほよう)戎に御す。梁由靡韓簡(かんかん)に御し、虢射右と為り、以て公に承(つ)ぐ。 公秦の師を禦ぎ、韓簡をして師を視しむ。曰く、「師は我より少なきも、闘士は衆し」と。公曰く、「何の故ぞ」と。簡曰く、「君の出ずるや己に処り、入るや己を煩わし、饑えて其の糴を食う。三たび施して報い無し、故に来たる。今又之を撃たば、秦慍(いか)らざる莫く、晋怠らざる莫し。闘士是の故に衆し」と。公曰く、「然り。今我撃たずんば、帰りて必ず狃(あなど)らん。一夫すら狃らしむべからず、而るを況んや国をや」と。公韓簡をして戦いを挑ましめて曰く、「昔君の恵みや、寡人未だ之を敢えて忘れず。寡人衆有り、能く之を合わすも離す能わず。君若し還らば、寡人の願いなり。君若し還らずんば、寡人将に避くる所無からんとす」と。穆公彫戈(ちょうか)を衡(よこ)たえて出でて使者に見えて曰く、「昔君の未だ入らざるや、寡人の憂いなり。君入りて列未だ成らざるも、寡人未だ敢えて忘れず。今君既に定まりて列成れり。君其れ列を整えよ、寡人将に親(みずか)ら見(まみ)えんとす」と。 客還る。公孫枝進み諫めて曰く、「昔君の公子重耳を納れずして晋君を納れしは、是れ君の徳を置かずして服を置けるなり。置きて遂げず、撃ちて勝たずんば、其れ諸侯の笑いと為るを若何(いかん)せん。君盍ぞ之を待たざる」と。穆公曰く、「然り。昔吾の公子重耳を納れずして晋君を納れしは、是れ吾徳を置かずして服を置けるなり。然れども公子重耳実に肯(がえ)んぜず、吾又奚(なに)をか言わんや。其の内主を殺し、其の外賂に背く。彼塞ぎて我施す、若し天無からんか。若し天有らば、吾必ず之に勝たん」と。君大夫に揖して車に就かしめ、君鼓して之を進む。晋の師潰(つい)え、戎馬濘(でい)して止まる。公慶鄭に号(さけ)びて曰く、「我を載せよ」と。慶鄭曰く、「善を忘れて徳に背き、又吉卜を廃す、何ぞ我をこれ載せん。鄭の車は以て君の避くるを辱むるに足らざるなり」と。梁由靡韓簡に御し、秦公を輅(むか)えて、将に之を止めんとす。慶鄭曰く、「釈(す)てて来たりて君を救え」と。亦救う克(あた)わず、遂に秦に止めらる。
現代語訳
恵公の六年、秦は実りが安定すると、軍を率いて晋に攻め入り、韓原まで来た。恵公は慶鄭(晋の大夫)に言った。「秦の軍が深く攻め込んできた。どうしたものか」。慶鄭は言った。「殿が秦の怨みを深くしたのですから、敵の攻め込みを浅くできるはずがありません。私の知ったことではありません。虢射にお尋ねなさい」。恵公は言った。「そなたはまだあのことを根に持っておるのか」。戦車で君の右に乗る護衛を占うと、慶鄭が吉と出た。恵公は言った。「鄭は従順でない」。そして家僕徒(晋の大夫)を車右とし、歩揚(晋の大夫)に君の戦車を御させた。梁由靡は韓簡(晋の卿)の車を御し、虢射がその車右となって、恵公の車に続いた。 恵公は秦の軍を迎え撃つにあたり、韓簡に敵の軍を偵察させた。韓簡は言った。「兵の数はわが軍より少ないのですが、戦意に燃える兵が多うございます」。恵公は言った。「なぜだ」。韓簡は言った。「殿は国外に逃れたときには秦に身を寄せ、帰国するときには秦の手を煩わせ、飢えたときには秦の穀物を食べました。三度も恩を受けながら報いなかったので、攻めて来たのです。いままたこれを迎え撃とうとすれば、秦の兵で憤らない者はなく、晋の兵で気の緩まない者はありません。だから秦には戦意に燃える兵が多いのです」。恵公は言った。「そうだろう。だが、いま私が撃たずに引き下がれば、秦は帰ってから必ずわれらを侮るだろう。一人の男でさえ侮らせてはならぬのに、まして国をや」。恵公は韓簡に戦いを挑ませて、こう言わせた。「かつての秦君のご恩は、私も決して忘れておりません。私には兵がおりますが、集めることはできても、ばらばらに散らせることはできません。秦君がもしお引き上げくださるなら、それが私の願いです。お引き上げくださらないなら、私も避けるわけにはまいりません」。穆公は彫刻を施した戈を横たえて出てきて、使者に会い、言った。「かつて晋君が帰国できずにいたときは、私の憂いであった。帰国されてもまだ位が定まらないうちは、私は気にかけて忘れなかった。いま晋君はすでに位が定まり、臣下の列も整った。晋君よ、陣列を整えられよ。私が親しくお目にかかろう」。 使者が帰ると、公孫枝(秦の大夫)が進み出て諫めた。「かつて殿が公子重耳を迎えずに今の晋君を迎えたのは、徳ある者ではなく従う者を立てたということです。立てた者がうまく治まらず、そのうえ攻めて勝てなければ、諸侯の笑いものになるのをどうなさいますか。晋が自ら崩れるのをお待ちになってはいかがですか」。穆公は言った。「そのとおりだ。かつて私が公子重耳を迎えずに晋君を迎えたのは、徳ある者でなく従う者を立てたということだ。しかし公子重耳はそもそも承知しなかったのだから、私に何が言えよう。晋君は国内で自分を迎えた者を殺し、国外に約束した贈り物に背いた。あちらは道をふさぎ、こちらは施した。これで天がないと言うのか。天があるなら、私は必ず勝つ」。穆公は大夫たちに会釈して戦車に乗らせ、自ら太鼓を打って兵を進めた。晋の軍は崩れ、恵公の戦車の馬はぬかるみにはまって動けなくなった。恵公は慶鄭に叫んだ。「私を乗せよ」。慶鄭は言った。「受けた善を忘れて恩に背き、そのうえ吉と出た占いまで捨てた方を、どうして私が乗せましょう。私の車など、殿がお逃げになるのにはもったいのうございます」。梁由靡は韓簡の車を御して秦公に迫り、捕らえようとしていた。慶鄭は言った。「それを捨てて、こちらへ来て殿をお救いせよ」。しかしそれでも救うことはできず、恵公はついに秦に捕らえられた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 晋世家秦の繆公之を許し、人をして与に帰りて晋に報ぜしめ、厚く三子に賂ふ。三子曰く、「幣厚く言甘し。此れ必ず邳鄭我を秦に売るならん」と。遂に邳鄭及び里克・邳鄭の党の七輿大夫を殺す。邳鄭の子豹秦に奔り、晋を伐たんことを言ふ。繆公聴かず。恵公の立つや、秦の地及び里克に倍き、七輿大夫を誅し、国人附かず。二年、周召公過をして晋の恵公に礼せしむ。恵公礼倨る。召公之を譏る。四年、晋饑ゑ、糴を秦に乞ふ。繆公百里奚に問ふ。百里奚曰く、「天菑流行し、国家代はる代はる有り。菑を救ひ隣を恤むは、国の道なり。之に与へよ」と。邳鄭の子豹曰く、「之を伐て」と。繆公曰く、「其の君は是れ悪なり。其の民何の罪かあらん」と。卒に粟を与へ、雍より絳に属(つら)なる。五年、秦饑ゑ、糴を晋に請ふ。晋君之を謀る。慶鄭曰く、「秦を以て立つを得、已にして其の地の約に倍く。晋饑ゑて秦我に貸す。今秦饑ゑて糴を請ふ。之に与ふること何ぞ疑はん。而も之を謀るとは」と。虢射曰く、「往年天晋を以て秦に賜ふ。秦取るを知らずして我に貸す。今天秦を以て晋に賜ふ。晋其れ以て天に逆らふべけんや。遂に之を伐て」と。恵公虢射の謀を用ひ、秦に粟を与へず、而して兵を発して且に秦を伐たんとす。秦大いに怒り、亦た兵を発して晋を伐つ。六年春、秦の繆公兵を将ゐて晋を伐つ。晋の恵公慶鄭に謂ひて曰く、「秦の師深し。奈何せん」と。鄭曰く、「秦君を内る。君其の賂に倍く。晋饑ゑて秦粟を輸る。秦饑ゑて晋之に倍き、乃ち其の饑に因りて之を伐たんと欲す。其の深きも亦た宜ならずや」と。晋御右を卜す。慶鄭皆吉なり。公曰く、「鄭は孫(したが)はず」と。乃ち更に歩陽をして戎に御せしめ、家僕徒を右と為し、兵を進む。九月壬戌、秦の繆公・晋の恵公韓原に合戦す。恵公の馬騺(ち)して行かず。秦の兵至る。公窘しみ、慶鄭を召して御と為さんとす。鄭曰く、「卜を用ひず。敗るるも亦た当たらずや」と。遂に去る。更に梁繇靡をして御せしめ、虢射を右と為し、秦の繆公を輅(むか)ふ。
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国語・晋語三公秦に在ること三月、秦の将に成(たいら)がんとするを聞き、乃ち郤乞(げききつ)をして呂甥に告げしむ。呂甥之に言を教え、国人を朝に令せしめて曰く、「君乞をして二三子に告げしめて曰く、『秦将に寡人を帰さんとす。寡人以て社稷を辱むるに足らず。二三子其れ改め置きて以て圉に代えよ』と」。且つ賞して以て衆を悦ばしむ。衆皆哭す。焉(ここ)に轅田(えんでん)を作る。 呂甥衆を致して之に告げて曰く、「吾が君慚(は)じて其の亡を之れ卹(うれ)えずして、群臣を是れ憂う、亦恵ならずや。君猶外に在り、若何」と。衆曰く、「何を為さば可ならん」と。呂甥曰く、「韓の病を以て、兵甲尽きたり。若し征繕(せいぜん)して以て孺子を輔け、以て君の援けと為さば、四隣の之を聞くと雖も、君を喪うも君有り、群臣輯睦(しゅうぼく)し、兵甲益々多く、我を好む者は勧み、我を悪む者は懼れん。庶(こいねが)わくは益有らんか」と。衆皆説ぶ。焉に州兵を作る。 呂甥君を秦に逆(むか)う。穆公之に訊いて曰く、「晋国和するか」と。対えて曰く、「和せず」と。公曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「其の小人は其の君の罪を念わずして、其の父兄子弟の死喪する者を悼み、征繕を憚らずして以て孺子を立て、曰く、『必ず讎に報いん。吾寧ろ斉・楚に事えん、斉・楚又交(こもごも)之を輔けん』と。其の君子は其の君を思い、且つ其の罪を知りて、曰く、『必ず秦に事えん、死有るも他無し』と。故に和せず。其の和するに比(およ)びて来たる、故に久し」と。公曰く、「而(なんじ)来たること無くとも、吾固より将に君を帰さんとす。国君を何とか謂う」と。対えて曰く、「小人は免れずと曰い、君子は則ち否とす」と。公曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「小人は忌みて思わず、其の君に従いて与に秦に報いんことを願う、是の故に云う。其の君子は則ち否として、曰く、『吾が君の入るや、君の恵みなり。能く之を納れ、能く之を執らえ、則ち能く之を釈す。徳焉より厚きは莫く、恵焉より大なるは莫し。納れて遂げず、廃して起こさず、徳を以て怨みと為す、君其れ然らざらん』と」。秦君曰く、「然り」と。乃ち晋君を改館し、七牢(しちろう)を饋(おく)る。
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国語・晋語三公絳の郊に至り、慶鄭の止まるを聞き、家僕徒をして之を召さしめて曰く、「鄭や罪有り、猶在るか」と。慶鄭曰く、「臣君を怨む。始め入りて徳に報いば、降(くだ)らず。降りて諫めを聴かば、戦わず。戦いて良を用いば、敗れず。既に敗れて誅す、又罪有るを失わば、以て国を封(まも)るべからず。臣是を以て刑に即くを待ちて、以て君の政を成さん」と。君曰く、「之を刑せよ」と。慶鄭曰く、「下に直言有るは、臣の行いなり。上に直刑有るは、君の明なり。臣行い君明らかなるは、国の利なり。君刑せずと雖も、必ず自殺せん」と。蛾析曰く、「臣聞く、刑に奔る臣は、之を赦して以て讎に報いしむるに若かずと。君盍ぞ之を赦して、以て秦に報いざる」と。梁由靡曰く、「不可なり。我能く之を行わば、秦豈に能わざらんや。且つ戦いて勝たずして、之に報ゆるに賊を以てするは、武ならず。出でて戦いて克たず、入りて処りて安からざるは、智ならず。成(たいら)ぎて之に反くは、信ならず。刑を失い政を乱すは、威ならず。出でて用うる能わず、入りて治むる能わず、国を敗り且つ孺子を殺さん。之を刑するに若かず」と。君曰く、「鄭を斬れ、自殺せしむること無かれ」と。家僕徒曰く、「君有りて忌まず、臣有りて刑に死す、其の聞こえ之を刑するより賢(まさ)らん」と。梁由靡曰く、「夫れ君は政刑あり、是を以て民を治む。命を聞かずして擅(ほしいまま)に進退するは、政を犯すなり。意を快くして君を喪うは、刑を犯すなり。鄭や賊して国を乱す、失うべからざるなり。且つ戦いて自ら退き、退きて自殺す。臣其の志を得て、君其の刑を失わば、後用うべからざるなり」と。君司馬説(しばえつ)に令して之を刑せしむ。司馬説三軍の士を進めて慶鄭を数(せ)めて曰く、「夫れ韓の誓いに曰く、次(じ)を失い令を犯すは、死。将止めらるるに面夷(めんい)せざるは、死。偽言して衆を誤るは、死と。今鄭次を失い令を犯す、而(なんじ)の罪一なり。鄭擅に進退す、而の罪二なり。女梁由靡を誤り、秦公を失わしむ、而の罪三なり。君親ら止めらるるに、女面夷せず、而の罪四なり。鄭や刑に就け」と。慶鄭曰く、「説(えつ)よ。三軍の士皆在り、人の能く坐して刑を待ちて、面夷する能わざる者有らんや。趣(すみ)やかに事を行え」と。丁丑、慶鄭を斬り、乃ち絳に入る。 十五年、恵公卒し、懐公立つ。秦乃ち重耳を楚より召して之を納る。晋人懐公を高梁に殺して、重耳に授く。実に文公と為す。
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史記 秦本紀聴かず、而して陰かに豹を用ゐる。十二年、斉の管仲・隰朋死す。晋旱し、来たりて粟を請ふ。丕豹繆公に説きて与ふる勿からしめ、其の饑に因りて之を伐たんとす。繆公公孫支に問ふ。支曰く、「饑穣は更事なるのみ、与へざる可からず」と。百里傒に問ふ。傒曰く、「夷吾罪を君に得たり、其の百姓何の罪かあらん」と。是に於て百里傒・公孫支の言を用ゐ、卒に之に粟を与ふ。船漕車転を以てし、雍より相望みて絳に至る。十四年、秦饑ゑ、粟を晋に請ふ。晋君之を群臣に謀る。虢射曰く、「其の饑に因りて之を伐たば、大功有る可し」と。晋君之に従ふ。十五年、兵を興して将に秦を攻めんとす。繆公兵を発し、丕豹をして将たらしめ、自ら往きて之を撃つ。九月壬戌、晋の恵公夷吾と韓の地に合戦す。晋君其の軍を棄て、秦と利を争ひ、還りて馬騺る。繆公麾下と馳せて之を追ふも、晋君を得る能はず、反りて晋軍の囲む所と為る。晋繆公を撃ち、繆公傷つく。是に於て岐下の善馬を食らひし者三百人、馳せて晋軍を冒す。晋軍囲みを解き、遂に繆公を脱して反りて晋君を生け得たり。
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史記 晋世家繆公の壮士冒して晋の軍を敗る。晋の軍敗れ、遂に秦の繆公を失ひ、反って晋公を獲て以て帰る。秦将に以て上帝を祀らんとす。晋君の姊は繆公の夫人為り。衰絰して涕泣す。公曰く、「晋侯を得て将に以て楽しみと為さんとす。今乃ち此の如し。且つ吾聞く、箕子唐叔の初めて封ぜらるるを見て曰く、『其の後必ず当に大なるべし』と。晋庸(なん)ぞ滅ぼすべけんや」と。乃ち晋侯と王城に盟ひて之が帰るを許す。晋侯も亦た呂省等をして国人に報ぜしめて曰く、「孤帰るを得と雖も、社稷に見ゆる面目毋し。日を卜して子圉を立てよ」と。晋人之を聞き、皆哭す。秦の繆公呂省に問ふ、「晋国和するか」と。対へて曰く、「和せず。小人は君を失ひ親を亡ふを懼れ、子圉を立つるを憚らず。曰く『必ず讎に報いん。寧ろ戎・狄に事へん』と。其の君子は則ち君を愛して罪を知り、以て秦の命を待つ。曰く『必ず徳に報いん』と。此の二つの故有り、和せず」と。是に於て秦の繆公更に晋の恵公を舎(やど)らしめ、之に七牢を餽る。十一月、晋侯を帰す。晋侯国に至り、慶鄭を誅し、政教を修む。謀りて曰く、「重耳外に在り。諸侯多く之を内るるを利とす」と。人をして重耳を狄に殺さしめんと欲す。重耳之を聞き、斉に如く。八年、太子圉をして秦に質たらしむ。初め、恵公亡げて梁に在るや、梁伯其の女を以て之に妻す。一男一女を生む。梁伯之を卜す。男は人の臣と為り、女は人の妾と為る。故に男に名づけて圉と為し、女を妾と為す。十年、秦梁を滅ぼす。梁伯土功を好み、城溝を治め、民力罷れて怨み、其の衆数々相驚きて「秦の寇至る」と曰ふ。民恐れ惑ふ。秦竟に之を滅ぼす。十三年、晋の恵公病む。内に数子有り。太子圉曰く、「吾が母の家は梁に在り。梁今秦之を滅ぼす。我外は秦に軽んぜられ、内は国に援け無し。君即し起たずんば、大夫を病ましめ軽んぜられ、更に他の公子を立てん」と。乃ち其の妻と倶に亡げ帰らんことを謀る。秦の女曰く、「子は一国の太子にして、辱めて此に在り。秦婢子をして侍らしむるは、以て子の心を固めんとてなり。子亡げよ。我子に従はず、亦た敢て言はず」と。
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『春秋左氏伝』僖公十五年 外彊中乾晉侯慶鄭に謂ひて曰く、「寇深し、之を若何せん」と。對へて曰く、「君實に之を深くす、若何すべけん」と。公曰く、「孫ならず」と。右を卜す、慶鄭吉なり。使はず。步揚戎を御し、家僕徒右と為る。小駟に乘る、鄭の入れしなり。慶鄭曰く、「古は大事には、必ず其の產に乘る。其の水土に生まれて其の人の心を知り、其の教訓に安んじて、其の道に服習す。唯だ之を納るる所、志の如くならざる無し。今異產に乘りて以て戎事に從はば、懼るるに及びて變じ、將に人と易らんとす。亂氣狡憤し、陰血周く作り、張脈僨興し、外彊くして中乾く。進退可ならず、周旋能はず、君必ず之を悔いん」と。聽かず。九月、晉侯秦の師を逆へ、韓簡をして師を視しむ。復して曰く、「師は我より少なく、鬥士は我に倍す」と。公曰く、「何の故ぞ」と。對へて曰く、「出づるには其の資に因り、入るには其の寵を用ゐ、饑ゑては其の粟を食らふ。三たび施して報無し、是を以て來るなり。今又之を擊たば、我は怠り秦は奮ふ、倍すとも猶ほ未だしきなり」と。公曰く、「一夫すら狃るべからず、況んや國をや」と。遂に戰を請はしめて曰く、「寡人佞ならず、能く其の眾を合はすれども離す能はず。君若し還らずんば、命を逃るる所無からん」と。秦伯公孫枝をして對へしめて曰く、「君の未だ入らざるや、寡人之を懼れ、入りて未だ列を定めざるも、猶ほ吾が憂ひなり。苟も列定まらば、敢へて命を承けざらんや」と。韓簡退きて曰く、「吾幸ひにして囚はるるを得ん」と。
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