国語 / 晋語三
穆公歸,至于王城,合大夫而謀曰:「殺晉君與逐出之,與以歸之,與復之,孰利?」公子縶曰:「殺之利。逐之恐搆諸侯,以歸則國家多慝,復之則君臣合作,恐為君憂,不若殺之。」公孫枝曰:「不可。恥大國之士於中原,又殺其君以重之,子思報父之仇,臣思報君之讎。雖微秦國,天下孰弗患?」公子縶曰:「吾豈將徒殺之?吾將以公子重耳代之。晉君之無道莫不聞,公子重耳之仁莫不知。戰勝大國,武也。殺無道而立有道,仁也。勝無後害,智也。」公孫枝曰:「恥一國之士,又曰余納有道以臨女,無乃不可乎?若不可,必為諸侯笑。戰而取笑諸侯,不可謂武。殺其弟而立其兄,兄德我而忘其親,不可謂仁。若弗忘,是再施不遂也,不可謂智。」君曰:「然則若何?」公孫枝曰:「不若以歸,以要晉國之成,復其君而質其適子,使子父代處秦,國可以無害。」是故歸惠公而質子圉,秦始知河東之政。
新字:穆公帰,至于王城,合大夫而謀曰:「殺晋君与逐出之,与以帰之,与復之,孰利?」公子縶曰:「殺之利。逐之恐搆諸侯,以帰則国家多慝,復之則君臣合作,恐為君憂,不若殺之。」公孫枝曰:「不可。恥大国之士於中原,又殺其君以重之,子思報父之仇,臣思報君之讎。雖微秦国,天下孰弗患?」公子縶曰:「吾豈将徒殺之?吾将以公子重耳代之。晋君之無道莫不聞,公子重耳之仁莫不知。戦勝大国,武也。殺無道而立有道,仁也。勝無後害,智也。」公孫枝曰:「恥一国之士,又曰余納有道以臨女,無乃不可乎?若不可,必為諸侯笑。戦而取笑諸侯,不可謂武。殺其弟而立其兄,兄徳我而忘其親,不可謂仁。若弗忘,是再施不遂也,不可謂智。」君曰:「然則若何?」公孫枝曰:「不若以帰,以要晋国之成,復其君而質其適子,使子父代処秦,国可以無害。」是故帰恵公而質子圉,秦始知河東之政。
書き下し
穆公帰りて、王城に至り、大夫を合わせて謀りて曰く、「晋君を殺すと、之を逐い出だすと、以て之を帰すと、之を復するとは、孰れか利あらん」と。公子縶曰く、「之を殺すは利あり。之を逐わば諸侯を搆(かま)えんことを恐れ、以て帰さば則ち国家慝(とく)多く、之を復せば則ち君臣合わせ作(おこ)りて、君の憂いと為らんことを恐る。之を殺すに若かず」と。公孫枝曰く、「不可なり。大国の士を中原に恥ずかしめ、又其の君を殺して以て之を重ねば、子は父の仇に報いんことを思い、臣は君の讎に報いんことを思わん。秦国微(な)しと雖も、天下孰か患えざらん」と。公子縶曰く、「吾豈に将に徒(いたず)らに之を殺さんとせんや。吾将に公子重耳を以て之に代えんとす。晋君の無道なる、聞かざる莫く、公子重耳の仁なる、知らざる莫し。戦いて大国に勝つは、武なり。無道を殺して有道を立つるは、仁なり。勝ちて後害無きは、智なり」と。公孫枝曰く、「一国の士を恥ずかしめて、又余(われ)有道を納れて以て女(なんじ)に臨むと曰う、乃ち不可なる無からんや。若し不可ならば、必ず諸侯の笑いと為らん。戦いて笑いを諸侯に取るは、武と謂うべからず。其の弟を殺して其の兄を立つ、兄我を徳として其の親を忘れば、仁と謂うべからず。若し忘れずんば、是れ再び施して遂げざるなり、智と謂うべからず」と。君曰く、「然らば則ち若何」と。公孫枝曰く、「以て帰して、以て晋国の成(たいら)ぎを要し、其の君を復して其の適子を質とし、子父をして代わる代わる秦に処らしむるに若かず。国以て害無かるべし」と。是の故に恵公を帰して子圉(しぎょ)を質とす。秦始めて河東の政を知る。
現代語訳
穆公は帰途につき、王城(秦の地)まで来ると、大夫たちを集めて謀った。「晋君を殺すのと、国外へ追放するのと、秦に連れ帰るのと、晋に戻して復位させるのと、どれが得策か」。公子縶が言った。「殺すのが得策です。追放すれば諸侯と結んで事を構えるおそれがあり、連れ帰ればわが国の内情を知られて悪事の種が増え、復位させれば晋の君臣が力を合わせて立ち上がり、殿の憂いとなるおそれがあります。殺すに越したことはありません」。公孫枝が言った。「いけません。大国晋の兵士たちに戦場で恥をかかせたうえ、その君を殺して恥を重ねれば、子は父の仇を討とうと思い、臣は君の仇を討とうと思うでしょう。たとえ秦でなくとも、天下にこれを憂えない者がありましょうか」。公子縶は言った。「私はただ殺そうというのではない。公子重耳を代わりに立てるのだ。晋君の無道は知らぬ者がなく、公子重耳の仁は知らぬ者がない。戦って大国に勝つのは武である。無道の者を殺して道ある者を立てるのは仁である。勝って後の害を残さないのは智である」。公孫枝は言った。「一国の兵士に恥をかかせたうえ、さらに『私が道ある者を立ててお前たちに臨ませる』と言うのは、よろしくないのではありませんか。うまくいかなければ、必ず諸侯の笑いものになります。戦って諸侯の笑いものになるのは、武とは言えません。弟を殺してその兄を立て、兄がわれらに恩を感じて肉親を忘れるようなら、仁とは言えません。もし肉親を忘れないなら、二度も恩を施して報われないことになり、智とは言えません」。穆公は言った。「では、どうすればよいのか」。公孫枝は言った。「ひとまず連れ帰って、晋に講和を結ばせ、晋君を復位させる代わりに跡継ぎを人質に取り、父と子が代わる代わる秦にいるようにさせるのがよいでしょう。そうすれば国に害はありません」。こうして秦は恵公を晋に帰し、その跡継ぎの子圉を人質とした。秦はこのとき初めて、黄河の東の地を治めることになった。
解説
この章句が説くこと
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国語・晋語二公子縶退き、公子夷吾を梁に弔うこと、公子重耳を弔うの命の如くす。夷吾冀芮に告げて曰く、「秦人我を勤(たす)く」と。冀芮曰く、「公子之を勉めよ。亡人は狷潔(けんけつ)無し、狷潔なれば行われず。重賂もて徳に配せよ。公子之を尽くせ、財を愛しむこと無かれ。人実に之を有するに、我以て徼倖す、亦可ならずや」と。公子夷吾出でて使者に見え、再拝稽首し、起ちて哭せず、退きて公子縶に私して曰く、「中大夫里克我に与(くみ)せり。吾之に命ずるに汾陽(ふんよう)の田百万を以てす。丕鄭我に与せり。吾之に命ずるに負蔡(ふさい)の田七十万を以てす。君苟も我を輔けば、天命を蔑(な)みせん。亡人苟も入りて宗廟を掃い、社稷を定めば、亡人何ぞ国をこれ有らん。君実に郡県有り、且つ河外の列城五を入れん。豈に君に有ること無しと謂わんや、亦君の東游して津梁の上に、難急有ること無からしめんが為なり。亡人の懐挟(かいきょう)する所の纓纕(えいじょう)、以て君の塵垢を望む者なり。黄金四十鎰(いつ)、白玉の珩(こう)六双、敢えて公子に当てず、請う之を左右に納れん」と。 公子縶反り、命を穆公に致す。穆公曰く、「吾は公子重耳に与せん。重耳は仁なり。再拝して稽首せざるは、後と為ることに没(むさぼ)らざるなり。起ちて哭するは、其の父を愛するなり。退きて私せざるは、利に没らざるなり」と。公子縶曰く、「君の言過てり。君若し晋君を置きて之を載(な)さんことを求めば、仁を置くこと亦可ならずや。君若し晋君を置きて以て名を天下に成さんことを求めば、則ち不仁を置きて以て其の中を猾(みだ)し、且つ以て進退すべきに如かず。臣之を聞く、曰く、『仁にも置くこと有り、武にも置くこと有り。仁は徳を置き、武は服を置く』と」。是の故に先ず公子夷吾を置く、寔(これ)を恵公と為す。
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国語・晋語三公秦に在ること三月、秦の将に成(たいら)がんとするを聞き、乃ち郤乞(げききつ)をして呂甥に告げしむ。呂甥之に言を教え、国人を朝に令せしめて曰く、「君乞をして二三子に告げしめて曰く、『秦将に寡人を帰さんとす。寡人以て社稷を辱むるに足らず。二三子其れ改め置きて以て圉に代えよ』と」。且つ賞して以て衆を悦ばしむ。衆皆哭す。焉(ここ)に轅田(えんでん)を作る。 呂甥衆を致して之に告げて曰く、「吾が君慚(は)じて其の亡を之れ卹(うれ)えずして、群臣を是れ憂う、亦恵ならずや。君猶外に在り、若何」と。衆曰く、「何を為さば可ならん」と。呂甥曰く、「韓の病を以て、兵甲尽きたり。若し征繕(せいぜん)して以て孺子を輔け、以て君の援けと為さば、四隣の之を聞くと雖も、君を喪うも君有り、群臣輯睦(しゅうぼく)し、兵甲益々多く、我を好む者は勧み、我を悪む者は懼れん。庶(こいねが)わくは益有らんか」と。衆皆説ぶ。焉に州兵を作る。 呂甥君を秦に逆(むか)う。穆公之に訊いて曰く、「晋国和するか」と。対えて曰く、「和せず」と。公曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「其の小人は其の君の罪を念わずして、其の父兄子弟の死喪する者を悼み、征繕を憚らずして以て孺子を立て、曰く、『必ず讎に報いん。吾寧ろ斉・楚に事えん、斉・楚又交(こもごも)之を輔けん』と。其の君子は其の君を思い、且つ其の罪を知りて、曰く、『必ず秦に事えん、死有るも他無し』と。故に和せず。其の和するに比(およ)びて来たる、故に久し」と。公曰く、「而(なんじ)来たること無くとも、吾固より将に君を帰さんとす。国君を何とか謂う」と。対えて曰く、「小人は免れずと曰い、君子は則ち否とす」と。公曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「小人は忌みて思わず、其の君に従いて与に秦に報いんことを願う、是の故に云う。其の君子は則ち否として、曰く、『吾が君の入るや、君の恵みなり。能く之を納れ、能く之を執らえ、則ち能く之を釈す。徳焉より厚きは莫く、恵焉より大なるは莫し。納れて遂げず、廃して起こさず、徳を以て怨みと為す、君其れ然らざらん』と」。秦君曰く、「然り」と。乃ち晋君を改館し、七牢(しちろう)を饋(おく)る。
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国語・晋語二秦の穆公許諾す。使者を反(かえ)し、乃ち大夫子明(しめい)及び公孫枝(こうそんし)を召して曰く、「夫れ晋国の乱、吾誰をか先んぜしめて、夫(か)の二公子に若(ゆ)きて之を立てしめん。以て朝夕の急と為す」と。大夫子明曰く、「君縶(ちつ)を使わせ。縶は敏にして且つ礼を知り、敬にして以て微を知る。敏なれば能く謀を竄(ひそ)め、礼を知れば使いすべし。敬なれば命を墜とさず、微なれば可否を知る。君其れ之を使わせ」と。 乃ち公子縶をして公子重耳を狄に弔わしめて曰く、「寡君縶をして公子の憂いを弔わしむ、又之に重ぬるに喪を以てす。寡人之を聞く、国を得るは常に喪に於いてし、国を失うは常に喪に於いてすと。時は失うべからず、喪は久しくすべからず。公子其れ之を図れ」と。重耳舅犯に告ぐ。舅犯曰く、「不可なり。亡人は親無し、信と仁とを以て親と為す。是の故に之を置く者殆(あや)うからず。父死して堂に在るに利を求めば、人孰か我を仁とせん。人実に之を有するに、我以て徼倖(ぎょうこう)せば、人孰か我を信とせん。不仁不信にして、将た何を以て長く利あらん」と。公子重耳出でて使者に見えて曰く、「君亡臣を恵弔し、又重ねて命有り。重耳身亡(に)げ、父死して哭泣の位に与るを得ず、又何ぞ敢えて他志有りて以て君の義を辱めん」と。再拝して稽首せず、起ちて哭し、退きて私せず。
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国語・晋語三六年、秦歳定まり、師を帥いて晋を侵し、韓に至る。公慶鄭に謂いて曰く、「秦寇深し、奈何(いかん)せん」と。慶鄭曰く、「君其の怨みを深くす、能く其の寇を浅くせんや。鄭の知る所に非ざるなり、君其れ射(せき)に訊(と)え」と。公曰く、「舅(きゅう)の病む所か」と。右を卜するに、慶鄭吉なり。公曰く、「鄭や遜(したが)わず」と。家僕徒(かぼくと)を以て右と為し、歩揚(ほよう)戎に御す。梁由靡韓簡(かんかん)に御し、虢射右と為り、以て公に承(つ)ぐ。 公秦の師を禦ぎ、韓簡をして師を視しむ。曰く、「師は我より少なきも、闘士は衆し」と。公曰く、「何の故ぞ」と。簡曰く、「君の出ずるや己に処り、入るや己を煩わし、饑えて其の糴を食う。三たび施して報い無し、故に来たる。今又之を撃たば、秦慍(いか)らざる莫く、晋怠らざる莫し。闘士是の故に衆し」と。公曰く、「然り。今我撃たずんば、帰りて必ず狃(あなど)らん。一夫すら狃らしむべからず、而るを況んや国をや」と。公韓簡をして戦いを挑ましめて曰く、「昔君の恵みや、寡人未だ之を敢えて忘れず。寡人衆有り、能く之を合わすも離す能わず。君若し還らば、寡人の願いなり。君若し還らずんば、寡人将に避くる所無からんとす」と。穆公彫戈(ちょうか)を衡(よこ)たえて出でて使者に見えて曰く、「昔君の未だ入らざるや、寡人の憂いなり。君入りて列未だ成らざるも、寡人未だ敢えて忘れず。今君既に定まりて列成れり。君其れ列を整えよ、寡人将に親(みずか)ら見(まみ)えんとす」と。 客還る。公孫枝進み諫めて曰く、「昔君の公子重耳を納れずして晋君を納れしは、是れ君の徳を置かずして服を置けるなり。置きて遂げず、撃ちて勝たずんば、其れ諸侯の笑いと為るを若何(いかん)せん。君盍ぞ之を待たざる」と。穆公曰く、「然り。昔吾の公子重耳を納れずして晋君を納れしは、是れ吾徳を置かずして服を置けるなり。然れども公子重耳実に肯(がえ)んぜず、吾又奚(なに)をか言わんや。其の内主を殺し、其の外賂に背く。彼塞ぎて我施す、若し天無からんか。若し天有らば、吾必ず之に勝たん」と。君大夫に揖して車に就かしめ、君鼓して之を進む。晋の師潰(つい)え、戎馬濘(でい)して止まる。公慶鄭に号(さけ)びて曰く、「我を載せよ」と。慶鄭曰く、「善を忘れて徳に背き、又吉卜を廃す、何ぞ我をこれ載せん。鄭の車は以て君の避くるを辱むるに足らざるなり」と。梁由靡韓簡に御し、秦公を輅(むか)えて、将に之を止めんとす。慶鄭曰く、「釈(す)てて来たりて君を救え」と。亦救う克(あた)わず、遂に秦に止めらる。
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