国語 / 晋語二
伐虢之役,師出於虞。宮之奇諫而不聽,出,謂其子曰:「虞將亡矣!唯忠信者能留外寇而不害。除闇以應外謂之忠,定身以行事謂之信。今君施其所惡於人,闇不除矣;以賄滅親,身不定矣。夫國非忠不立,非信不固。既不忠信,而留外寇,寇知其釁而歸圖焉。已自拔其本矣,何以能久?吾不去,懼及焉。」以其孥適西山,三月,虞乃亡。
新字:伐虢之役,師出於虞。宮之奇諫而不聴,出,謂其子曰:「虞将亡矣!唯忠信者能留外寇而不害。除闇以応外謂之忠,定身以行事謂之信。今君施其所悪於人,闇不除矣;以賄滅親,身不定矣。夫国非忠不立,非信不固。既不忠信,而留外寇,寇知其釁而帰図焉。已自抜其本矣,何以能久?吾不去,懼及焉。」以其孥適西山,三月,虞乃亡。
書き下し
虢を伐つの役、師虞(ぐ)より出ず。宮之奇(きゅうしき)諫めて聴かれず。出でて、其の子に謂いて曰く、「虞将に亡びんとす。唯だ忠信なる者のみ能く外寇を留めて害せられず。闇(あん)を除きて以て外に応ずる、之を忠と謂う。身を定めて以て事を行う、之を信と謂う。今君其の悪む所を人に施す、闇除かれず。賄(まいない)を以て親を滅ぼす、身定まらず。夫れ国は忠に非ざれば立たず、信に非ざれば固からず。既に忠信ならずして、外寇を留む。寇其の釁(ひま)を知りて帰りて焉を図らん。已に自ら其の本を抜けり、何を以て能く久しからん。吾去らずんば、及ばんことを懼る」と。其の孥(ど)を以て西山に適く。三月にして、虞乃ち亡ぶ。
現代語訳
晋が虢を討ったとき、晋の軍は虞(虢の隣国)の領内を通って出兵した。宮之奇(虞の大夫)は、晋に道を貸さぬよう主君を諫めたが聞き入れられなかった。退出して、自分の子に言った。「虞は滅びるだろう。忠と信を備えた者だけが、外国の軍を国内にとどめても害を受けずにすむ。自分の心の暗さを除いて外の相手に応じる、これを忠という。わが身を安んじられるように事を行う、これを信という。いま君は、自分がされて嫌なことを人に施そうとしている。心の暗さが除かれていない。賄賂を受けて親族の国を滅ぼそうとしている。わが身を安んじることにならない。そもそも国は忠がなければ立たず、信がなければ固まらない。忠も信もないまま外国の軍を国内にとどめれば、敵はこちらの隙を知って、帰ってから攻め取ろうと謀るだろう。君はもう自分で国の根を引き抜いてしまった。どうして長く続けられよう。私がここを去らなければ、禍いがわが身に及ぶのが恐ろしい」。そして妻子を連れて国の西の山へ移った。三か月後、虞は滅びた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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国語・周語下「此の一王四伯は、豈に繄(こ)れ多寵ならんや。皆亡王の後なり。唯能く嘉義を釐(おさ)め挙げ、以て胤(たね)の下に在る有りて、祀を守りて其の典を替えず。有夏衰うと雖も、杞・鄫(そう)猶お在り。申・呂衰うと雖も、斉・許猶お在り。唯嘉功有りて、以て姓を命ぜられ祀を受け、天下に迄(いた)る。其の之を失うに及ぶや、必ず慆淫(とういん)の心の之に間(まじ)わる有り。故に其の氏姓を亡い、踣斃(ほくへい)して振るわず、後を絶ちて主無く、湮替(いんたい)して隷圉(れいぎょ)となる。夫の亡ぶる者も豈に繄れ寵無からんや。皆黄・炎の後なり。唯天地の度に帥わず、四時の序に順わず、民神の義を度らず、生物の則に儀らず、以て殄滅(てんめつ)して胤無く、今に至るまで祀られず。其の之を得るに及ぶや、必ず忠信の心の之に間わる有り。天地に度りて時動に順い、民神に和して物則に儀る。故に高朗にして令終し、顕融昭明にして、姓を命ぜられ氏を受け、之に附するに令名を以てす。若し先王の遺訓を啓(ひら)き、其の典図刑法を省みて、其の廃興を観る者は、皆知るべきなり。其の興る者は、必ず夏・呂の功有り。其の廃るる者は、必ず共・鮌の敗有り。今吾が執政、乃ち実に避くる所有りて、夫の二川の神を滑(みだ)し、争明に至らしめ、以て王宮を妨ぐること無からんや。王にして之を飾るは、乃ち不可なること無からんや。
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孔子家語・儒行解儒に金玉を宝とせずして、忠信を以て宝と為し、土地を祈らずして、仁義を以て土地と為し、多積を求めずして、多文を以て富と為す有り。得難くして禄し易く、禄し易くして畜い難し。時に非ざれば見えず、亦た難得ならずや。義に非ざれば合わず、亦た難畜ならずや。労を先にして禄を後にす、亦た易禄ならずや。其の人情に近きこと此くの如き者有り。儒に之に委ぬるに財貨を以てして貪らず、之を淹すに楽好を以てして淫せず、之を劫すに衆を以てして懼れず、之を阻むに兵を以てして懾れず、利を見て其の義を虧かず、死を見て其の守りを更めず、鷙虫の攫搏も其の勇を程らず、重鼎を引くも其の力を程らず、往く者を悔いず、来る者を予めせず、過言再びせず、流言極めず、其の威を断たず、其の謀を習わず有り。其の特立すること此くの如き者有り。
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論語・衛霊公篇子張、行を問う。子曰く、「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば、則ち其の前に参するを見るなり。輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。」子張、諸を紳に書す。
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史記 蒙恬列伝蒙恬は、其の先は斉人なり。恬の大父蒙驁、斉より秦の昭王に事へ、官上卿に至る。秦の荘襄王の元年、蒙驁秦の将と為り、韓を伐ち、成皋・滎陽を取り、三川郡を作置す。二年、蒙驁趙を攻め、三十七城を取る。始皇の三年、蒙驁韓を攻め、十三城を取る。五年、蒙驁魏を攻め、二十城を取り、東郡を作置す。始皇の七年、蒙驁卒す。驁の子を武と曰ひ、武の子を恬と曰ふ。恬嘗て獄を書し文学を典る。始皇の二十三年、蒙武秦の裨将軍と為り、王翦と楚を攻め、大いに之を破り、項燕を殺す。二十四年、蒙武楚を攻め、楚王を虜にす。蒙恬の弟は毅なり。始皇の二十六年、蒙恬家世に因りて秦の将と為るを得、斉を攻め、大いに之を破り、拝して内史と為る。秦已に天下を并せ、乃ち蒙恬をして三十万の衆を将ゐて北のかた戎狄を逐ひ、河南を収めしむ。長城を筑き、地形に因り、用て険塞を制し、臨洮に起こり、遼東に至る。延袤万余里。是に於て河を渡り、陽山に拠り、逶蛇して北す。師を外に暴すこと十余年、上郡に居る。是の時蒙恬の威匈奴を振るはす。始皇甚だ蒙氏を尊寵し、信任して之を賢とす。而して蒙毅を親近し、位上卿に至り、出づれば則ち参乗し、入れば則ち御前にあり。恬は外事に任じて毅は常に内謀を為す。名づけて忠信と為す。故に諸将相と雖も敢て之と争ふ莫し。
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説苑・雜言孔子、呂梁を観る。懸水四十仞、環流九十里、魚鱉過ぐる能わず、黿鼉敢えて居らず。一丈夫有り、方に将に之を渉らんとす。孔子人をして崖に並びて之を止めしめて曰く、「此の懸水四十仞、圜流九十里、魚鱉敢えて過ぎず、黿鼉敢えて居らず、意うに済り難からんか」と。丈夫意に錯かず、遂に渡りて出づ。孔子問う、「子巧みなるか。且つ道術有るか。能く入りて出づる所以は何ぞや」と。丈夫曰く、「始め吾入るや、先ず忠信を以てす。吾の出づるや、又従うに忠信を以てす。忠信吾が軀を波流に錯くも、吾敢えて私を用いず。吾の能く入りて復た出づる所以なり」と。孔子弟子に謂いて曰く、「水すら尚お忠信を以てす可し、義久しくして身之に親しめば、況んや人に於いてをや」と。
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論語・子罕篇子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること毋かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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