国語 / 晋語二
虢公夢在廟,有神人面白毛虎爪,執鉞立於西阿,公懼而走。神曰:「無走!帝命曰:『使晉襲於爾門。』」公拜稽首,覺,召史嚚占之,對曰:「如君之言,則蓐收也,天之刑神也,天事官成。」公使囚之,且使國人賀夢。舟之僑告諸其族。曰:「眾謂虢亡不久,吾乃今知之。君不度而賀大國之襲,於己也何瘳?吾聞之曰:『大國道,小國襲焉曰服。小國傲,大國襲焉曰誅。』民疾君之侈也,是以遂於逆命。今嘉其夢侈必展,是天奪之鑒而益其疾也。民疾其態,天又誑之;大國來誅,出令而逆;宗國既卑,諸侯遠己。內外無親,其誰云救之?吾不忍俟也!」將行,以其族適晉。六年,虢乃亡。
新字:虢公夢在廟,有神人面白毛虎爪,執鉞立於西阿,公懼而走。神曰:「無走!帝命曰:『使晋襲於爾門。』」公拝稽首,覚,召史嚚占之,対曰:「如君之言,則蓐収也,天之刑神也,天事官成。」公使囚之,且使国人賀夢。舟之僑告諸其族。曰:「衆謂虢亡不久,吾乃今知之。君不度而賀大国之襲,於己也何瘳?吾聞之曰:『大国道,小国襲焉曰服。小国傲,大国襲焉曰誅。』民疾君之侈也,是以遂於逆命。今嘉其夢侈必展,是天奪之鑒而益其疾也。民疾其態,天又誑之;大国来誅,出令而逆;宗国既卑,諸侯遠己。内外無親,其誰云救之?吾不忍俟也!」将行,以其族適晋。六年,虢乃亡。
書き下し
虢公(かくこう)夢に廟に在り。神有り、人面白毛にして虎爪(こそう)、鉞(えつ)を執りて西阿(せいあ)に立つ。公懼れて走る。神曰く、「走ること無かれ。帝命じて曰く、『晋をして爾(なんじ)の門に襲(い)らしめん』と」。公拝して稽首す。覚めて、史嚚(しぎん)を召して之を占わしむ。対えて曰く、「君の言の如くんば、則ち蓐収(じょくしゅう)なり、天の刑神なり。天事は官成る」と。公之を囚えしめ、且つ国人をして夢を賀せしむ。舟之僑(しゅうしきょう)諸(これ)を其の族に告げて曰く、「衆虢の亡ぶること久しからずと謂う。吾乃ち今之を知る。君度(はか)らずして大国の襲うを賀す、己に於いて何ぞ瘳(い)えん。吾之を聞けり、曰く、『大国道あれば、小国焉に襲るを服と曰う。小国傲(おご)れば、大国焉に襲るを誅と曰う』と。民君の侈(おご)りを疾(にく)む、是を以て命に逆らうことを遂ぐ。今其の夢を嘉(よみ)すれば侈り必ず展(の)びん。是れ天之が鑒(かがみ)を奪いて其の疾を益すなり。民其の態を疾み、天又之を誑(たぶら)かす。大国来たりて誅するに、令を出だして逆う。宗国既に卑しく、諸侯己を遠ざく。内外に親無し、其れ誰か之を救わんと云わん。吾俟つに忍びざるなり」と。将に行かんとし、其の族を以て晋に適く。六年にして、虢乃ち亡ぶ。
現代語訳
虢公(虢の君主、名は醜)は、宗廟にいる夢を見た。一柱の神が現れた。人の顔に白い毛、虎の爪をもち、大斧を手にして廟の西の軒先に立っている。虢公は恐れて逃げ出した。神は言った。「逃げるな。天帝が命じられた、『晋にお前の国の門を攻め入らせよ』と」。虢公はひれ伏して拝礼した。目覚めると、史嚚(虢の太史)を呼んで夢を占わせた。史嚚は答えた。「仰せのとおりの姿ならば、それは蓐収(西方をつかさどる神)で、天の刑罰をつかさどる神です。天の事は、それぞれの神の役目どおりに成就いたします」。虢公は史嚚を捕らえて牢に入れ、さらに国の人々に夢を祝わせた。舟之僑(虢の大夫)はこれを一族に告げて言った。「人々は虢の滅亡は遠くないと言っているが、私も今ようやくそれがわかった。君は神意を測りもせずに、大国が攻め入るという夢を祝わせた。それで身に迫る禍いが少しでも減るものか。私はこう聞いている。『大国に道があれば、小国に攻め入っても服従させると言う。小国がおごれば、大国が攻め入るのを誅伐と言う』と。民は君のおごりを憎んでいる。だから命令に背くまでになっているのだ。いま凶夢をめでたいとすれば、おごりはきっといっそう募るだろう。これは天が君から自らを省みる鏡を奪い、その病を重くしているのだ。民はその振る舞いを憎み、天はさらに君を惑わせる。大国が誅伐に来ようというのに、君はそれに逆らう命令を出している。公族はすでに衰え、諸侯は虢から遠ざかっている。内にも外にも親しむ者がいない。いったい誰が救おうと言ってくれよう。私はここで滅亡を待つのに忍びない」。そして去ることに決め、一族を率いて晋へ移った。その六年後、虢はついに滅びた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 田叔列伝魯の相初めて到るや、民自ら相に言ひ、王の其の財物を取るを訟ふる者百余人。田叔其の渠率二十人を取り、各々笞うつこと五十、余は各々搏つこと二十、之を怒りて曰く、「王は若の主に非ずや。何ぞ自ら敢へて若の主を言ふ」と。魯王之を聞きて大いに慚ぢ、中府の銭を発し、相をして之を償はしむ。相曰く、「王自ら之を奪ひ、相をして之を償はしむるは、是れ王悪を為して相善を為すなり。相は与に之を償ふ毋し」と。是に於て王乃ち尽く之を償ふ。魯王猟を好み、相常に従ひて苑中に入る。王輒ち相を休ませて館舎に就かしむ。相出でて、常に暴坐して王を苑外に待つ。王数々人をして相に休まんことを請はしむるも、終に休まず。曰く、「我が王苑中に暴露す。我独り何為れぞ舎に就かん」と。魯王故を以て大いには出游せず。
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史記 殷本紀紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 張丞相列伝帝、太子を廃して、戚姫の子如意を立てて太子と為さんと欲するに及び、大臣固く之を争へども、能く得る莫し。上、留侯の策を以て即ち止む。而して周昌廷に之を争ふこと彊し。上其の説を問ふ。昌は人と為り吃(ども)りにして、又盛んに怒りて曰く、「臣の口は言ふこと能はず。然れども臣期期として其の不可なるを知る。陛下太子を廃せんと欲すと雖も、臣期期として詔を奉ぜず」と。上欣然として笑ふ。既に罷むるや、呂后東箱に耳を側てて聴き、周昌を見て、為に跪きて謝して曰く、「君微(な)かりせば、太子幾(ほと)んど廃せられん」と。是の後戚姫の子如意、趙王と為り、
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史記 白起王翦列伝是の時、武安君病み、行くに任へず。四十九年正月、陵、邯鄲を攻むるも、利少なし。秦益々兵を発して陵を佐く。陵の兵、五校を亡ふ。武安君病愈ゆ、秦王、武安君をして陵に代はりて将たらしめんと欲す。武安君言ひて曰く、「邯鄲は実に未だ攻め易からざるなり。且つ諸侯の救ひ日に至らん。彼の諸侯の秦を怨むの日久し。今、秦は長平の軍を破ると雖も、秦の卒の死する者は半ばを過ぎ、国内空し。遠く河山を絶りて人の国都を争はば、趙はその内に応じ、諸侯はその外を攻めん。秦の軍を破ること必せり。不可なり」と。秦王自ら命ずるも、行かず。乃ち応侯をしてこれを請はしむ、武安君終に辞して行くことを肯んぜず、遂に病と称す。秦王、王齕をして陵に代はりて将たらしめ、八九月、邯鄲を囲むも、抜く能はず。楚、春申君及び魏の公子をして兵数十万を将ゐて秦の軍を攻めしむ、秦の軍失亡多し。武安君言ひて曰く、「秦、臣の計を聴かず、今如何ぞや」と。秦王これを聞きて怒り、彊ひて武安君を起こす、武安君遂に病甐しと称す。応侯これを請ふも、起たず。是に於いて武安君を免じて士伍と為し、これを陰密に遷す。武安君病み、未だ行く能はず。居ること三月、諸侯秦の軍を攻むること急にして、秦の軍数々卻き、使者日に至る。秦王乃ち人をして白起を遣らしめ、咸陽の中に留まるを得ざらしむ。武安君既に行き、咸陽の西門を出づること十里、杜郵に至る。秦の昭王、応侯・群臣と議して曰く、「白起の遷るや、その意尚ほ怏怏として服せず、余言有り」と。秦王乃ち使者をしてこれに剣を賜ひ、自裁せしむ。武安君、剣を引きて将に自ら剄ねんとして、曰く、「我何の罪ありて天に于いて此に至るや」と。良久しくして、曰く、「我固より当に死すべし。長平の戦ひ、趙の卒の降る者数十万人、我詐りて尽くこれを阬にす、是れ以て死するに足る」と。遂に自殺す。武安君の死するや、秦の昭王五十年十一月を以てす。死して其の罪に非ず、秦人これを憐れみ、郷邑皆これを祭祀す。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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