国語 / 周語下
「此一王四伯,豈繄多寵?皆亡王之後也。唯能釐舉嘉義,以有胤在下,守祀不替其典。有夏雖衰,杞、鄫猶在;申、呂雖衰,齊、許猶在。唯有嘉功,以命姓受祀,迄于天下。及其失之也,必有慆淫之心閒之。故亡其氏姓,踣斃不振;絕後無主,湮替隸圉。夫亡者豈繄無寵?皆黃、炎之後也。唯不帥天地之度,不順四時之序,不度民神之義,不儀生物之則,以殄滅無胤,至于今不祀。及其得之也,必有忠信之心閒之。度於天地而順於時動,和於民神而儀於物則,故高朗令終,顯融昭明,命姓受氏,而附之以令名。若啟先王之遺訓,省其典圖刑法,而觀其廢興者,皆可知也。其興者,必有夏、呂之功焉;其廢者,必有共、鮌之敗焉。今吾執政無乃實有所避,而滑夫二川之神,使至於爭明,以妨王宮,王而飾之,無乃不可乎!
新字:「此一王四伯,豈繄多寵?皆亡王之後也。唯能釐舉嘉義,以有胤在下,守祀不替其典。有夏雖衰,杞、鄫猶在;申、呂雖衰,斉、許猶在。唯有嘉功,以命姓受祀,迄于天下。及其失之也,必有慆淫之心閒之。故亡其氏姓,踣斃不振;絶後無主,湮替隸圉。夫亡者豈繄無寵?皆黄、炎之後也。唯不帥天地之度,不順四時之序,不度民神之義,不儀生物之則,以殄滅無胤,至于今不祀。及其得之也,必有忠信之心閒之。度於天地而順於時動,和於民神而儀於物則,故高朗令終,顕融昭明,命姓受氏,而附之以令名。若啓先王之遺訓,省其典図刑法,而観其廃興者,皆可知也。其興者,必有夏、呂之功焉;其廃者,必有共、鮌之敗焉。今吾執政無乃実有所避,而滑夫二川之神,使至於争明,以妨王宮,王而飾之,無乃不可乎!
書き下し
「此の一王四伯は、豈に繄(こ)れ多寵ならんや。皆亡王の後なり。唯能く嘉義を釐(おさ)め挙げ、以て胤(たね)の下に在る有りて、祀を守りて其の典を替えず。有夏衰うと雖も、杞・鄫(そう)猶お在り。申・呂衰うと雖も、斉・許猶お在り。唯嘉功有りて、以て姓を命ぜられ祀を受け、天下に迄(いた)る。其の之を失うに及ぶや、必ず慆淫(とういん)の心の之に間(まじ)わる有り。故に其の氏姓を亡い、踣斃(ほくへい)して振るわず、後を絶ちて主無く、湮替(いんたい)して隷圉(れいぎょ)となる。夫の亡ぶる者も豈に繄れ寵無からんや。皆黄・炎の後なり。唯天地の度に帥わず、四時の序に順わず、民神の義を度らず、生物の則に儀らず、以て殄滅(てんめつ)して胤無く、今に至るまで祀られず。其の之を得るに及ぶや、必ず忠信の心の之に間わる有り。天地に度りて時動に順い、民神に和して物則に儀る。故に高朗にして令終し、顕融昭明にして、姓を命ぜられ氏を受け、之に附するに令名を以てす。若し先王の遺訓を啓(ひら)き、其の典図刑法を省みて、其の廃興を観る者は、皆知るべきなり。其の興る者は、必ず夏・呂の功有り。其の廃るる者は、必ず共・鮌の敗有り。今吾が執政、乃ち実に避くる所有りて、夫の二川の神を滑(みだ)し、争明に至らしめ、以て王宮を妨ぐること無からんや。王にして之を飾るは、乃ち不可なること無からんや。
現代語訳
(太子晋は続けた。)「この一人の王(禹)と四人の伯(四岳)は、特別な寵愛を受けた者だったのでしょうか。いいえ、どちらも滅んだ王の子孫です。ただ、よき道義を正して行ったからこそ、子孫が後の世に続き、祭祀を守ってその法を絶やさなかったのです。夏王朝は衰えても杞と鄫(ともに夏の子孫の国)がなお残り、申と呂は衰えても斉と許(ともに四岳の子孫の国)がなお残っています。ただ立派な功績があったからこそ、姓を授かり祭祀を受け、今の天下にまで至っているのです。反対に、それを失うときには、必ずおごりみだらな心がそこに入り込んでいます。だから氏姓を失い、倒れ伏して立ち直れず、跡継ぎが絶えて祭る者もなく、埋もれ落ちて奴隷や馬飼いの身となるのです。その滅んだ者たちも、寵愛を受けなかったわけではありません。みな黄帝や炎帝の子孫です。ただ天地の法に従わず、四季の順序に従わず、民と神にとっての道理を量らず、生き物の法則にのっとらなかったために、滅び尽くして跡継ぎがなく、今に至るまで祭られないのです。逆に、それを得るときには、必ず忠信の心がそこに入り込んでいます。天地に照らして時の動きに従い、民と神とに和して物の法則にのっとる。だから高く明らかで良い終わりを遂げ、名が大いに輝き、姓を授かり氏を受け、それに良き名が添えられるのです。もし先王の遺した教えを開き、その法典や図や刑法を省みて、国の興亡を観るならば、すべてわかることです。興る者には必ず夏(禹)や呂(四岳)のような功績があり、廃れる者には必ず共工や鮌のような失敗があります。いまわが国の政治には、実は天の意に背いて避けられるべき点があって、それが二つの川の神を乱し、その精気を争わせて王宮を脅かすまでになったのではないでしょうか。それなのに王がそれを取り繕おうとなさるのは、よくないことではありませんか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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国語・晋語二虢を伐つの役、師虞(ぐ)より出ず。宮之奇(きゅうしき)諫めて聴かれず。出でて、其の子に謂いて曰く、「虞将に亡びんとす。唯だ忠信なる者のみ能く外寇を留めて害せられず。闇(あん)を除きて以て外に応ずる、之を忠と謂う。身を定めて以て事を行う、之を信と謂う。今君其の悪む所を人に施す、闇除かれず。賄(まいない)を以て親を滅ぼす、身定まらず。夫れ国は忠に非ざれば立たず、信に非ざれば固からず。既に忠信ならずして、外寇を留む。寇其の釁(ひま)を知りて帰りて焉を図らん。已に自ら其の本を抜けり、何を以て能く久しからん。吾去らずんば、及ばんことを懼る」と。其の孥(ど)を以て西山に適く。三月にして、虞乃ち亡ぶ。
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孔子家語・儒行解儒に金玉を宝とせずして、忠信を以て宝と為し、土地を祈らずして、仁義を以て土地と為し、多積を求めずして、多文を以て富と為す有り。得難くして禄し易く、禄し易くして畜い難し。時に非ざれば見えず、亦た難得ならずや。義に非ざれば合わず、亦た難畜ならずや。労を先にして禄を後にす、亦た易禄ならずや。其の人情に近きこと此くの如き者有り。儒に之に委ぬるに財貨を以てして貪らず、之を淹すに楽好を以てして淫せず、之を劫すに衆を以てして懼れず、之を阻むに兵を以てして懾れず、利を見て其の義を虧かず、死を見て其の守りを更めず、鷙虫の攫搏も其の勇を程らず、重鼎を引くも其の力を程らず、往く者を悔いず、来る者を予めせず、過言再びせず、流言極めず、其の威を断たず、其の謀を習わず有り。其の特立すること此くの如き者有り。
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論語・衛霊公篇子張、行を問う。子曰く、「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば、則ち其の前に参するを見るなり。輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。」子張、諸を紳に書す。
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史記 蒙恬列伝蒙恬は、其の先は斉人なり。恬の大父蒙驁、斉より秦の昭王に事へ、官上卿に至る。秦の荘襄王の元年、蒙驁秦の将と為り、韓を伐ち、成皋・滎陽を取り、三川郡を作置す。二年、蒙驁趙を攻め、三十七城を取る。始皇の三年、蒙驁韓を攻め、十三城を取る。五年、蒙驁魏を攻め、二十城を取り、東郡を作置す。始皇の七年、蒙驁卒す。驁の子を武と曰ひ、武の子を恬と曰ふ。恬嘗て獄を書し文学を典る。始皇の二十三年、蒙武秦の裨将軍と為り、王翦と楚を攻め、大いに之を破り、項燕を殺す。二十四年、蒙武楚を攻め、楚王を虜にす。蒙恬の弟は毅なり。始皇の二十六年、蒙恬家世に因りて秦の将と為るを得、斉を攻め、大いに之を破り、拝して内史と為る。秦已に天下を并せ、乃ち蒙恬をして三十万の衆を将ゐて北のかた戎狄を逐ひ、河南を収めしむ。長城を筑き、地形に因り、用て険塞を制し、臨洮に起こり、遼東に至る。延袤万余里。是に於て河を渡り、陽山に拠り、逶蛇して北す。師を外に暴すこと十余年、上郡に居る。是の時蒙恬の威匈奴を振るはす。始皇甚だ蒙氏を尊寵し、信任して之を賢とす。而して蒙毅を親近し、位上卿に至り、出づれば則ち参乗し、入れば則ち御前にあり。恬は外事に任じて毅は常に内謀を為す。名づけて忠信と為す。故に諸将相と雖も敢て之と争ふ莫し。
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説苑・雜言孔子、呂梁を観る。懸水四十仞、環流九十里、魚鱉過ぐる能わず、黿鼉敢えて居らず。一丈夫有り、方に将に之を渉らんとす。孔子人をして崖に並びて之を止めしめて曰く、「此の懸水四十仞、圜流九十里、魚鱉敢えて過ぎず、黿鼉敢えて居らず、意うに済り難からんか」と。丈夫意に錯かず、遂に渡りて出づ。孔子問う、「子巧みなるか。且つ道術有るか。能く入りて出づる所以は何ぞや」と。丈夫曰く、「始め吾入るや、先ず忠信を以てす。吾の出づるや、又従うに忠信を以てす。忠信吾が軀を波流に錯くも、吾敢えて私を用いず。吾の能く入りて復た出づる所以なり」と。孔子弟子に謂いて曰く、「水すら尚お忠信を以てす可し、義久しくして身之に親しめば、況んや人に於いてをや」と。
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論語・子罕篇子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること毋かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
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