国語 / 晋語二
二十二年,公子重耳出亡,及柏谷,卜適齊、楚。狐偃曰:「無卜焉。夫齊、楚道遠而望大,不可以困往。道遠難通,望大難走,困往多悔。困且多悔,不可以走望。若以偃之慮,其狄乎!夫狄近晉而不通,愚陋而多怨,走之易達。不通可以竄惡,多怨可與共憂。今若休憂於狄,以觀晉國,且以監諸侯之為,其無不成。」乃遂之狄。 處一年,公子夷吾亦出奔,曰:「盍從吾兄竄於狄乎?」冀芮曰:「不可。後出同走,不免於罪。且夫偕出偕入難,聚居異情惡,不若走梁。梁近於秦,秦親吾君。吾君老矣,子往,驪姬懼,必援於秦。以吾存也,且必告悔,是吾免也。」乃遂之梁。居二年,驪姬使奄楚以環釋言。四年,復為君。
新字:二十二年,公子重耳出亡,及柏谷,卜適斉、楚。狐偃曰:「無卜焉。夫斉、楚道遠而望大,不可以困往。道遠難通,望大難走,困往多悔。困且多悔,不可以走望。若以偃之慮,其狄乎!夫狄近晋而不通,愚陋而多怨,走之易達。不通可以竄悪,多怨可与共憂。今若休憂於狄,以観晋国,且以監諸侯之為,其無不成。」乃遂之狄。 処一年,公子夷吾亦出奔,曰:「盍従吾兄竄於狄乎?」冀芮曰:「不可。後出同走,不免於罪。且夫偕出偕入難,聚居異情悪,不若走梁。梁近於秦,秦親吾君。吾君老矣,子往,驪姫懼,必援於秦。以吾存也,且必告悔,是吾免也。」乃遂之梁。居二年,驪姫使奄楚以環釈言。四年,復為君。
書き下し
二十二年、公子重耳出亡し、柏谷(はくこく)に及び、斉・楚に適(ゆ)かんことを卜す。狐偃(こえん)曰く、「卜すること無かれ。夫れ斉・楚は道遠くして望(のぞみ)大なり、困しみて以て往くべからず。道遠ければ通じ難く、望大なれば走(はし)り難し。困しみて往けば悔い多し。困しみて且つ悔い多ければ、以て望に走るべからず。若し偃の慮(おもんぱか)りを以てせば、其れ狄か。夫れ狄は晋に近くして通ぜず、愚陋にして怨み多し、之に走らば達し易し。通ぜざれば以て悪を竄(かく)すべく、怨み多ければ与(とも)に憂いを共にすべし。今若し憂いを狄に休め、以て晋国を観、且つ以て諸侯の為す所を監(み)ば、其れ成らざる無けん」と。乃ち遂に狄に之(ゆ)く。 処ること一年、公子夷吾も亦出奔し、曰く、「盍(なん)ぞ吾が兄に従いて狄に竄れざる」と。冀芮(きぜい)曰く、「不可なり。後れて出でて同じく走らば、罪を免れず。且つ夫れ偕(とも)に出でて偕に入るは難く、聚まり居りて情を異にするは悪(あ)し。梁に走るに若かず。梁は秦に近く、秦は吾が君に親しむ。吾が君老いたり。子往かば、驪姫懼れて、必ず秦に援けを求めん。吾が存するを以て、且つ必ず悔いを告げん。是れ吾が免るるなり」と。乃ち遂に梁に之く。居ること二年、驪姫奄楚(えんそ)をして環(かん)を以て言を釈かしむ。四年にして、復(かえ)りて君と為る。
現代語訳
献公の二十二年、公子重耳(献公の子、のちの文公)は国外に逃れ、柏谷(晋の地)まで来たところで、斉と楚のどちらへ行くかを占おうとした。狐偃(重耳の母方の叔父)が言った。「占うには及びません。斉や楚は道が遠く、しかも大国として諸侯の朝貢を望む立場にありますから、困窮した身で頼って行くべきではありません。道が遠ければたどり着くのが難しく、望みの大きな国には身を寄せにくい。困窮して行けば悔いることが多いでしょう。困窮したうえ悔いが多いのなら、大国の力を当てにして走るべきではありません。私の考えで言えば、狄でしょう。狄は晋に近いのに晋と往来がなく、粗野で遅れていて、周りの戎・狄と怨みを抱き合っています。そこへ逃げるならたどり着きやすい。晋と往来がないから身を隠すことができ、怨みが多いから共に憂いを分かち合えます。いま狄で憂いを休め、晋国の様子をうかがい、また諸侯がどう動くかを見定めるなら、成し遂げられないことはないでしょう」。こうして重耳は狄へ向かった。 それから一年して、公子夷吾(重耳の弟、のちの恵公)も国外に逃れることになり、言った。「兄上について狄に身を隠してはどうだろう」。冀芮(夷吾に従う晋の大夫)が言った。「なりません。遅れて出て同じところへ逃げれば、同じ謀の仲間とされ、罪を免れません。それに、そろって出てそろって帰国するのは難しく、一緒にいながらそれぞれ君位を望むのはよくありません。梁(秦に近い小国)へ逃げるのがよいでしょう。梁は秦に近く、秦はわが君と親しい間柄です。わが君は年老いています。あなたが梁に行けば、驪姫は恐れて、必ず秦に助けを求めるでしょう。われらが秦を頼って無事でいるので、驪姫はきっと非を悔いて告げてくるでしょう。そうなれば私たちは罪を免れます」。こうして夷吾は梁へ向かった。梁にいて二年目、驪姫は宦官の楚を遣わし、玉の環を贈って釈明させた。梁に来て四年目、夷吾は晋に戻って君主となった。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷上卯の夏夜話に曰く、我分別いつとなく失せ、慮知抔と云ふことなし。然る間云ひ損ひも有らんず事ぢやが、出次第に働きて、此年迄来れとも間に合はぬ事無し。総して若き時より無分別なる性也。然れども元より事の談合肝要の時に至ては、何たる分別者よりも我一言に究むる事多し。我もいな事に思ふ也。但しつゝきれて云ふ心か、夫れは元より中中强い位有り、事の談合に及んでは、聞くと早や胸すはつてつゝきれて云はるゝと也。
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