国語 / 晋語一
驪姬曰:「以皋落狄之朝夕苛我邊鄙,使無日以牧田野,君之倉廩固不實,又恐削封疆。君盍使之伐狄,以觀其果於眾也,與眾之信輯睦焉。若不勝狄,雖濟其罪,可也;若勝狄,則善用眾矣,求必益廣,乃可厚圖也。且夫勝狄,諸侯驚懼,吾邊鄙不儆,食廩盈,四鄰服,封疆信,君得其賴,又知可否,其利多矣。君其圖之!」公說。是故使申生伐東山,衣之偏裻之衣,佩之以金玦。僕人贊聞之,曰:「太子殆哉!君賜之奇,奇生怪,怪生無常,無常不立。使之出征,先以觀之,故告之以離心,而示之以堅忍之權,則必惡其心而害其身矣。惡其心,必內險之;害其身,必外危之。危自中起,難哉!且是衣也,狂夫阻之衣也。其言曰:『盡敵而反。』雖盡敵,其若內讒何!」申生勝狄而反,讒言作於中。君子曰:「知微。」
新字:驪姫曰:「以皋落狄之朝夕苛我辺鄙,使無日以牧田野,君之倉廩固不実,又恐削封疆。君盍使之伐狄,以観其果於衆也,与衆之信輯睦焉。若不勝狄,雖済其罪,可也;若勝狄,則善用衆矣,求必益広,乃可厚図也。且夫勝狄,諸侯驚懼,吾辺鄙不儆,食廩盈,四鄰服,封疆信,君得其頼,又知可否,其利多矣。君其図之!」公説。是故使申生伐東山,衣之偏裻之衣,佩之以金玦。僕人賛聞之,曰:「太子殆哉!君賜之奇,奇生怪,怪生無常,無常不立。使之出征,先以観之,故告之以離心,而示之以堅忍之権,則必悪其心而害其身矣。悪其心,必内険之;害其身,必外危之。危自中起,難哉!且是衣也,狂夫阻之衣也。其言曰:『尽敵而反。』雖尽敵,其若内讒何!」申生勝狄而反,讒言作於中。君子曰:「知微。」
書き下し
驪姫曰く、「皋落(こうらく)の狄の朝夕我が辺鄙を苛(せ)め、日として以て田野に牧する無からしむるを以て、君の倉廩固より実たず、又封疆を削られんことを恐る。君盍ぞ之をして狄を伐たしめ、以て其の衆に果たるを観て、衆の信と輯睦とを与(とも)にせざる。若し狄に勝たずんば、其の罪を済(ま)すと雖も、可なり。若し狄に勝たば、則ち善く衆を用うるなり。求むること必ず益々広からん。乃ち厚く図るべきなり。且つ夫れ狄に勝たば、諸侯驚懼し、吾が辺鄙儆(いまし)めず、食廩盈ち、四鄰服し、封疆信(まこと)あり。君其の頼を得て、又可否を知る。其の利多し。君其れ之を図れ」と。公説ぶ。是の故に申生をして東山を伐たしめ、之に偏裻(へんとく)の衣を衣せ、之に佩びしむるに金玦(きんけつ)を以てす。僕人贊(さん)之を聞きて曰く、「太子殆(あや)うきかな。君之に奇を賜う。奇は怪を生じ、怪は無常を生じ、無常は立たず。之をして出征せしめ、先ず以て之を観る。故に之に告ぐるに離心を以てし、之に示すに堅忍の権を以てす。則ち必ず其の心を悪(にく)みて其の身を害せん。其の心を悪めば、必ず内に之を険しくせん。其の身を害すれば、必ず外に之を危うくせん。危うきこと中より起こる、難きかな。且つ是の衣や、狂夫の阻(そ)の衣なり。其の言に曰く、『敵を尽くして反れ』と。敵を尽くすと雖も、其れ内讒を若何せん」と。申生狄に勝ちて反る。讒言中に作る。君子曰く、「微を知れり」と。
現代語訳
驪姫は言った。「皋落の狄(東山の皋落氏)が朝から晩まで国境の地を荒らし、一日として安心して田野で家畜を放牧できないありさまです。そのため主君の倉はもともと満ちず、そのうえ国境を削り取られるのではないかと心配です。主君はどうして申生に狄を討たせ、彼が兵を率いて果断に戦えるか、兵が彼を信じて和合しているかを見てみないのですか。もし狄に勝てなければ、それを理由に罪を重ねて問えばよいのです。もし狄に勝てば、兵をうまく使えるということですから、その求めるものは必ずますます大きくなるでしょう。そのときこそ本腰を入れて手を打てばよいのです。それに狄に勝てば、諸侯は驚き恐れ、わが国境は警戒の必要がなくなり、倉は満ち、四方の隣国は服し、国境は確かなものになります。主君はその恩恵を受けたうえに、申生をどう扱うべきかも知ることができます。その利は大きいのです。主君、よくお考えください。」公は喜んだ。そこで申生に東山を討たせ、左右の色が異なる偏裻の衣を着せ、金の玦(環の一部が欠けた佩び玉)を帯びさせた。僕人の贊(公の側近)がこれを聞いて言った。「太子は危うい。主君は太子に奇妙なものを賜った。奇妙なものは怪しいことを生み、怪しいことは常ならぬことを生み、常ならぬ者は位に立てない。太子を出征させるのは、まずそれで様子を見るためだ。だから左右の色が分かれた衣で心が離れていることを告げ、金の玦で固く非情な決断を示したのだ。主君は必ず太子の心を憎み、その身を害するだろう。心を憎めば、必ず内で太子を陥れ、身を害そうとすれば、必ず外で太子を危うくする。危うさが内から起こるのだ。難しいことだ。しかもこの衣は、方相氏(疫病を払う役)の狂夫が呪いをかけて着る衣だ。そのうえ『敵を尽くして帰れ』と命じられている。たとえ敵を尽くしても、内の讒言をどうすることができよう。」申生は狄に勝って帰ったが、讒言は宮中で起こった。君子は言った。「贊はかすかな兆しを見抜いていた。」
解説
この章句が説くこと
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