国語 / 晋語一
郭偃曰:「夫三季王之亡也宜。民之主也,縱惑不疚,肆侈不違,流志而行,無所不疚,是以及亡而不獲追鑒。今晉國之方,偏侯也。其土又小,大國在側,雖欲縱惑,未獲專也。大家、鄰國將師保之,多而驟立,不其集亡。雖驟立,不過五矣。且夫口,三五之門也。是以讒口之亂,不過三五。且夫挾,小鯁也。可以小戕,而不能喪國。當之者戕焉,於晉何害?雖謂之挾,而猾以齒牙,口弗堪也,其與幾何?晉國懼則甚矣,亡猶未也。商之衰也,其銘有之,曰:『嗛嗛之德,不足就也,不可以矜,而祇取憂也。嗛嗛之食,不足狃也,不能為膏,而祗罹咎也。』雖驪之亂,其罹咎而已,其何能服?吾聞以亂得聚者,非謀不卒時,非人不免難,非禮不終年,非義不盡齒,非德不及世,非天不離數。今不據其安,不可謂能謀;行之以齒牙,不可謂得人;廢國而向己,不可謂禮;不度而迂求,不可謂義;以寵賈怨,不可謂德;少族而多敵,不可謂天。德義不行,禮義不則,棄人失謀,天亦不贊。吾觀君夫人也,若為亂,其猶隸農也。雖獲沃田而勤易之,將不克饗,為人而已。」 士蒍曰:「誡莫如豫,豫而後給。夫子誡之,抑二大夫之言其皆有焉。」 既,驪姬不克,晉正於秦,五立而後平。
新字:郭偃曰:「夫三季王之亡也宜。民之主也,縦惑不疚,肆侈不違,流志而行,無所不疚,是以及亡而不獲追鑒。今晋国之方,偏侯也。其土又小,大国在側,雖欲縦惑,未獲専也。大家、鄰国将師保之,多而驟立,不其集亡。雖驟立,不過五矣。且夫口,三五之門也。是以讒口之乱,不過三五。且夫挟,小鯁也。可以小戕,而不能喪国。当之者戕焉,於晋何害?雖謂之挟,而猾以歯牙,口弗堪也,其与幾何?晋国懼則甚矣,亡猶未也。商之衰也,其銘有之,曰:『嗛嗛之徳,不足就也,不可以矜,而祇取憂也。嗛嗛之食,不足狃也,不能為膏,而祗罹咎也。』雖驪之乱,其罹咎而已,其何能服?吾聞以乱得聚者,非謀不卒時,非人不免難,非礼不終年,非義不尽歯,非徳不及世,非天不離数。今不拠其安,不可謂能謀;行之以歯牙,不可謂得人;廃国而向己,不可謂礼;不度而迂求,不可謂義;以寵賈怨,不可謂徳;少族而多敵,不可謂天。徳義不行,礼義不則,棄人失謀,天亦不賛。吾観君夫人也,若為乱,其猶隸農也。雖獲沃田而勤易之,将不克饗,為人而已。」 士蒍曰:「誡莫如予,予而後給。夫子誡之,抑二大夫之言其皆有焉。」 既,驪姫不克,晋正於秦,五立而後平。
書き下し
郭偃(かくえん)曰く、「夫れ三季の王の亡ぶるや宜なり。民の主なるに、惑いを縦(ほしいまま)にして疚(や)まず、侈(おご)りを肆(ほしいまま)にして違わず、志を流して行い、疚まざる所無し。是を以て亡に及びて追鑒(ついかん)を獲ず。今晋国の方は、偏侯なり。其の土又小さく、大国側に在り。惑いを縦にせんと欲すと雖も、未だ専らにするを獲ざるなり。大家・鄰国将に之を師保せんとす。多くして驟(しばしば)立つるも、其れ集(いた)りて亡びざらん。驟立つと雖も、五に過ぎず。且つ夫れ口は、三五の門なり。是を以て讒口の乱は、三五に過ぎず。且つ夫れ挟むは、小鯁(しょうこう)なり。以て小しく戕(そこな)うべくして、国を喪う能わず。之に当たる者は戕われん。晋に於いて何の害かあらん。之を挟むと謂うと雖も、而も猾するに歯牙を以てすれば、口堪えざるなり。其れ与(とも)にすること幾何ぞ。晋国の懼るること則ち甚だしきも、亡ぶること猶お未だしなり。商の衰うるや、其の銘に之有りて曰く、『嗛嗛(けんけん)の徳は、就くに足らざるなり。以て矜(ほこ)るべからずして、祇(ただ)に憂いを取るなり。嗛嗛の食は、狃(な)るるに足らざるなり。膏と為る能わずして、祗(ただ)に咎(とが)に罹(かか)るなり』と。驪の乱と雖も、其の咎に罹るのみ。其れ何ぞ能く服せん。吾聞く、乱を以て聚むるを得る者は、謀に非ざれば時を卒えず、人に非ざれば難を免れず、礼に非ざれば年を終えず、義に非ざれば歯を尽くさず、徳に非ざれば世に及ばず、天に非ざれば数を離れずと。今其の安きに拠らざれば、能く謀ると謂うべからず。之を行うに歯牙を以てすれば、人を得たりと謂うべからず。国を廃して己に向かわしむれば、礼と謂うべからず。度らずして迂求すれば、義と謂うべからず。寵を以て怨みを賈(か)えば、徳と謂うべからず。族少なくして敵多ければ、天と謂うべからず。徳義行われず、礼義則(のっと)られず、人を棄て謀を失わば、天も亦賛(たす)けず。吾君夫人を観るに、若し乱を為さば、其れ猶お隷農のごときなり。沃田を獲て勤めて之を易(おさ)むと雖も、将に饗(う)くるに克(た)えずして、人の為にするのみならん」と。 士蒍(しい)曰く、「誡めは豫(あらかじ)めするに如くは莫し。豫めして後に給(た)る。夫子之を誡む。抑々二大夫の言は其れ皆有らん」と。 既にして、驪姫克たず、晋秦に正され、五たび立てて後に平らぐ。
現代語訳
郭偃(晋の大夫)が言った。「あの三代の末世の王たちが滅びたのは当然のことだ。民の主でありながら、惑いにふけってやましく思わず、贅沢をほしいままにして改めず、欲のままに流されて行い、やましく思わないことがなかった。だから滅びるまで、振り返って戒めとすることができなかった。いまの晋の国の大きさは、周の畿内の片隅の一諸侯にすぎない。土地もまた小さく、大国がすぐ傍らにある。惑いにふけろうとしても、思うままにはできない。大夫の家々や隣国がこれを導き守るだろう。君が何度も立てられることはあっても、それで滅びるまでには至るまい。何度立てられるにしても、五人を越えることはない。そもそも口というものは、三辰(日・月・星)と五行を言い表す門である。だから讒言の口による乱も、三や五を越えることはない。また、挟むというのは小さな魚の骨がのどに刺さったようなものだ。少し傷つけることはできても、国を失わせることはできない。まともに当たった者が傷つくだけで、晋の国にとって何の害があろう。挟むと言っても、歯と牙でもてあそばれれば、口のほうが耐えられない。いつまで続くものか。晋の国が恐れることはひどくなるだろうが、滅びるまでには至らない。殷が衰えたときの銘文にこうある。『わずかばかりの徳は、頼るに足りない。誇ることはできず、かえって憂いを招くだけだ。わずかばかりの食べ物は、慣れ親しむに足りない。体の脂肪にはならず、かえって咎めを受けるだけだ』と。驪姫の乱といっても、自らが咎めを受けるだけのことで、どうして国を従えることができよう。私はこう聞いている。乱によって人や物を集めた者は、謀がなければその時期を全うできず、人がいなければ難を免れず、礼がなければ一年を終えられず、義がなければ天寿を全うできず、徳がなければ子孫の代まで続かず、天の助けがなければ定めの運命から逃れられない、と。いま驪姫は安定したところに拠っていないから、よく謀ったとは言えない。歯牙のような讒言で事を行うのだから、人を得たとは言えない。国の正しい跡継ぎを廃して自分の子に向けさせるのだから、礼とは言えない。道理を量らずに筋違いなものを求めるのだから、義とは言えない。寵愛によって恨みを買うのだから、徳とは言えない。身内は少なく敵は多いのだから、天の助けがあるとは言えない。徳義を行わず、礼義に従わず、人を棄て謀を失えば、天もまた助けない。私が見るに、主君の夫人(驪姫)がもし乱を起こしても、それは奴隷の農夫のようなものだ。肥えた田を手に入れて勤めて耕したところで、その実りを自分で味わうことはできず、他人のために働くだけに終わるだろう。」 士蒍(晋の大夫)は言った。「戒めは前もってしておくに越したことはない。前もって備えてこそ、いざという時に間に合う。あのお方(史蘇)はそのために戒めたのだ。それに、お二人の言うことは、どちらも当たるところがあるだろう。」 その後、驪姫は結局思いを遂げることができず、晋は秦によって正され、五人の君が立てられてようやく国は平らいだ。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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『墨子』公孟子墨子、公孟子に謂いて曰く、「喪禮は、君と父母と妻と後子と死すれば、三年の喪服、伯父・叔父・兄弟は期、族人は五月、姑・姊・甥は皆な數月の喪有り。或いは喪せざるの間を以て、詩三百を誦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う。若し子の言を用いば、則ち君子は何れの日を以て聴治せん。庶人は何れの日を以て事に従わん」と。公孟子曰く、「國亂るれば則ち之を治め、治まれば則ち禮樂を為す。國治まれば則ち事に従い、國富めば則ち禮樂を為す」と。子墨子曰く、「國の治まるは、之を治むればなり。治むること廢すれば、則ち國の治まるも亦た廢す。國の富むや、事に従えばなり。事に従うこと廢すれば、則ち國の富むも亦た廢す。故に國を治むと雖も、之を勸めて饜くこと無く、然る後に可なり。今、子曰く、『國治まれば則ち禮樂を為し、亂るれば則ち之を治む』と。是れ譬うれば猶お噎して井を穿ち、死して醫を求むるがごときなり。古者、三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、薾に聲樂を為して、其の民を顧みず。是を以て身は刑僇と為り、國は戾虚と為る者は、皆な此の道に従えばなり」と。
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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