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国語 / 魯語下

季康子欲以田賦,使冉有訪諸仲尼。仲尼不對,私於冉有曰:「求來!女不聞乎?先王制土,籍田以力,而砥其遠邇;賦里以入,而量其有無;任力以夫,而議其老幼。於是乎有鰥、寡、孤、疾,有軍旅之出則徵之,無則已。其歲,收田一井,出稯禾、秉芻、缶米,不是過也。先王以為足。若子季孫欲其法也,則有周公之籍矣;若欲犯法,則苟而賦,又何訪焉!」

新字:季康子欲以田賦,使冉有訪諸仲尼。仲尼不対,私於冉有曰:「求来!女不聞乎?先王制土,籍田以力,而砥其遠邇;賦里以入,而量其有無;任力以夫,而議其老幼。於是乎有鰥、寡、孤、疾,有軍旅之出則徴之,無則已。其歳,収田一井,出稯禾、秉芻、缶米,不是過也。先王以為足。若子季孫欲其法也,則有周公之籍矣;若欲犯法,則苟而賦,又何訪焉!」

書き下し

季康子田賦(でんぷ)を以てせんと欲し、冉有(ぜんゆう)をして諸(これ)を仲尼に訪(と)わしむ。仲尼対えず。冉有に私して曰く、「求来たれ。女(なんじ)聞かざるか。先王の土を制するや、田を籍(せき)するに力を以てして、其の遠邇(えんじ)を砥(たいら)にす。里に賦するに入を以てして、其の有無を量る。力を任ずるに夫を以てして、其の老幼を議す。是に於いてか鰥(かん)・寡・孤・疾有り。軍旅の出有れば則ち之を徴し、無ければ則ち已む。其の歳、田一井を収むるに、稯禾(そうか)・秉芻(へいすう)・缶米(ふべい)を出だす。是に過ぎざるなり。先王以て足れりと為す。若し子季孫其の法を欲せば、則ち周公の籍有り。若し法を犯さんと欲せば、則ち苟(いやしく)もして賦せよ。又た何ぞ訪わん」と。

現代語訳

季康子(魯の執政)が田の面積に応じて軍賦を課そうと考え、冉有(孔子の弟子、名は求、季氏の家宰)を遣わして仲尼(孔子)に意見を求めさせた。孔子は公には答えず、冉有にひそかにこう言った。「求よ、こちらへ来なさい。お前は聞いたことがないのか。先王が土地の制度を定めたときは、田の税は耕す力に応じてかけ、遠い所と近い所の差をならした。商人の住む里には収入に応じて賦をかけ、財産のあるなしを量った。労役は一家の男手を単位として課し、年寄りと幼い者には配慮した。そのうえで、男やもめ・やもめ・みなしご・病人については、軍を出すことがあればそのときだけ徴発し、なければやめた。軍を出す年でも、田一井から取り立てるのは、稲束一稯・まぐさ一秉・米一缶であって、それ以上は取らなかった。先王はそれで十分だと考えたのだ。もしお前の主人の季孫が法に従いたいのなら、周公の定めた制度がある。もし法を犯したいのなら、好き勝手に取り立てればよい。わざわざ私に尋ねることはあるまい」。

解説

季康子が田の面積に応じた新たな軍賦を課そうとし、家宰の冉有を通じて孔子に意見を求めた章である。孔子は公の場では答えず、冉有だけに先王の制度を説いた。田の税は耕す力に応じ、商人の里には収入に応じ、労役は男手の数に応じて課し、老幼や鰥寡孤独には配慮した。軍を出す年でも取り立てには上限があり、それで先王は足りるとした。法に従うなら周公の定めがあり、法を破るつもりなら勝手に取ればよく、相談する必要もないと突き放したのである。韋昭の注によれば、季康子は聞き入れず、哀公十二年(前483)の春に田賦を実施した。『春秋左氏伝』哀公十一年にも同じ趣旨の問答があり、『論語』先進篇には、季氏のために取り立てを重ねた冉有を孔子が「吾が徒に非ざるなり」と責めた言葉が見える。結論が決まっている相手には、原則を示して線を引くほかない場合がある。

この章句が説くこと

国語魯語税民孔子

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