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国語 / 魯語下

齊閭丘來盟,子服景伯戒宰人曰:「陷而入於恭。」閔馬父笑,景伯問之,對曰:「笑吾子之大也。昔正考父校商之名頌十二篇於周太師,以那為首,其輯之亂曰:『自古在昔,先民有作。溫恭朝夕,執事有恪。』先聖王之傳恭,猶不敢專,稱曰『自古』,古曰『在昔』,昔曰『先民』。今吾子之戒吏人曰『陷而入於恭』,其滿之甚也。周恭王能庇昭、穆之闕而為『恭』,楚恭王能知其過而為『恭』。今吾子之教官僚曰:『陷而後恭』,道將何為?」

新字:斉閭丘来盟,子服景伯戒宰人曰:「陥而入於恭。」閔馬父笑,景伯問之,対曰:「笑吾子之大也。昔正考父校商之名頌十二篇於周太師,以那為首,其輯之乱曰:『自古在昔,先民有作。温恭朝夕,執事有恪。』先聖王之伝恭,猶不敢専,称曰『自古』,古曰『在昔』,昔曰『先民』。今吾子之戒吏人曰『陥而入於恭』,其満之甚也。周恭王能庇昭、穆之闕而為『恭』,楚恭王能知其過而為『恭』。今吾子之教官僚曰:『陥而後恭』,道将何為?」

書き下し

斉の閭丘(りょきゅう)来たりて盟う。子服景伯(しふくけいはく)、宰人を戒めて曰く、「陥りて恭に入れ」と。閔馬父(びんばほ)笑う。景伯之を問う。対えて曰く、「吾子の大なるを笑うなり。昔、正考父(せいこうほ)、商の名頌十二篇を周の太師に校し、那(だ)を以て首と為す。其の輯(しゅう)の乱に曰く、『古より在昔、先民作(な)す有り。温恭朝夕、事を執ること恪(かく)有り』と。先聖王の恭を伝うるも、猶お敢えて専らにせず。称して『古より』と曰い、古を『在昔』と曰い、昔を『先民』と曰う。今、吾子の吏人を戒めて『陥りて恭に入れ』と曰うは、其の満つることの甚だしきなり。周の恭王は能く昭・穆の闕(けつ)を庇いて『恭』と為り、楚の恭王は能く其の過ちを知りて『恭』と為る。今、吾子の官僚に教えて『陥りて後に恭せよ』と曰う。道将に何をか為さん」と。

現代語訳

斉の閭丘明(斉の大夫)が盟約を結びに魯へやって来た。子服景伯(魯の大夫)は接待役の役人たちに戒めて言った。「過ちがあったら、恭しくすることで取り繕え」。閔馬父(魯の大夫)がこれを笑ったので、景伯がそのわけを尋ねた。馬父は答えた。「あなたの尊大さを笑ったのです。昔、正考父(宋の大夫、孔子の祖先)は殷の名高い頌十二篇を周の太師(楽官の長)のもとで校訂し、「那」を第一篇としました。その結びの歌にはこうあります。『いにしえより、昔より、先人がこれを行ってきた。朝に夕に温和で恭しく、事にあたってはつつしみ深い』。先の聖王が恭しさを伝えるときでさえ、自分が始めたものだとは言わず、『いにしえより』と言い、そのいにしえを『昔』と言い、その昔を『先人』と言ったのです。いまあなたが役人たちに『過ちがあったら恭しくせよ』と戒めたのは、思い上がりもはなはだしい。周の恭王は、祖父の昭王と父の穆王の欠けたところを覆い繕ったから『恭』とおくり名され、楚の恭王は、自分の過ちを知ることができたから『恭』とおくり名されました。いまあなたは部下たちに『過ちを犯してから恭しくせよ』と教えている。それでは道を得たときには、いったいどうするというのですか」。

解説

斉の閭丘明が魯に来て盟約を結んだとき(韋昭の注は魯の哀公八年、前487とする)、子服景伯が接待の役人に「陥りて恭に入れ」、つまり失敗したら恭しくしてしのげと戒めたのを、閔馬父が笑った話である。馬父は『詩経』商頌の「那」の結びを引き、聖王でさえ恭しさを自分のものとせず、古から昔へ、昔から先人へと受け継いだものとして語ったと述べた。それに比べ、恭しさを失敗の後始末の道具として扱うのは思い上がりだという。さらに周の恭王と楚の恭王のおくり名を挙げ、恭とは先人の欠けを覆い、自らの過ちを知ることであって、取り繕いの技ではないと示した。韋昭の注は結びの句を、過ちを犯してさえ恭しくするなら、道を得たときには何をするのかという意味に解している。謙虚さは最初から身に備えるものであって、失敗した時だけ持ち出すものではない。

この章句が説くこと

国語魯語恭謙虚詩

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