弁名 / 恭敬莊愼獨
諸書又有恭敬連言者。亦其義相關故也。先王之道。敬天爲本。故不敢自高。是恭敬所以連言故也。蓋堯舜之所以不敢輕視其下者。爲天意不可知故也。夫或誘其衷。則鯀驩兜。何必昔日之鯀驩兜哉。芻蕘之言。豈必出我下哉。孔子之不輕棄天下。亦天意之不可知也。故聖人之恭。敬天之至也。莊。專主容。以臨下言之。上天照臨。日月星辰森如。爲人上者法之。是莊也。
新字:諸書又有恭敬連言者。亦其義相関故也。先王之道。敬天為本。故不敢自高。是恭敬所以連言故也。蓋堯舜之所以不敢軽視其下者。為天意不可知故也。夫或誘其衷。則鯀驩兜。何必昔日之鯀驩兜哉。芻蕘之言。豈必出我下哉。孔子之不軽棄天下。亦天意之不可知也。故聖人之恭。敬天之至也。荘。専主容。以臨下言之。上天照臨。日月星辰森如。為人上者法之。是荘也。
書き下し
諸書に又た恭敬を連ね言ふ者有り。亦た其の義相関はる故なり。先王の道は天を敬するを本と為す。故に敢へて自ら高しとせず。是れ恭敬の連ね言はるる所以の故なり。蓋し堯舜の敢へて其の下を軽視せざる所以の者は、天意の知るべからざるが為の故なり。夫れ或いは其の衷を誘はば、則ち鯀・驩兜も、何ぞ必ずしも昔日の鯀・驩兜ならんや。芻蕘の言も、豈に必ずしも我が下に出でんや。孔子の軽々しく天下を棄てざるも、亦た天意の知るべからざればなり。故に聖人の恭は、天を敬するの至りなり。荘は、専ら容を主とし、下に臨むを以て之を言ふ。上天照臨して、日月星辰森如たり。人の上たる者之に法る、是れ荘なり。
現代語訳
諸書にはまた恭と敬を並べて言う例がある。これも両者の意味が関わり合っているからである。先王の道は天を敬うことを根本とする。だから自分を高しとしない。これが恭と敬が並べて言われる理由である。思うに堯や舜が下の者を軽んじなかったのは、天の意思が測り知れないからである。もし天がその心を導くことがあれば、鯀や驩兜(ともに堯の時代の悪臣)でも、どうして昔のままの鯀や驩兜であろうか。草刈りや木こりの言葉も、どうして必ず自分より劣っているといえようか。孔子が天下を軽々しく見捨てなかったのも、天の意思が測り知れないからである。だから聖人の恭は、天を敬うことの極みである。荘とは、もっぱら容儀について言い、下の者に臨む場面について言う。天が上から照らし臨み、日月星辰がおごそかに並ぶ。人の上に立つ者がこれにのっとる、これが荘である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』恭敬莊愼獨恭は徳の名なり。自ら高しとせざるを謂ふなり。倨の反なり。宋儒乃ち「恭は容を主とし、敬は心を主とす」の説有る者は、非なり。凡そ貌に見はるる者は心に本づく。未だ心に恭敬無くして能く貌の恭敬なる者有らず。故に恭敬は皆心に在り、皆貌に見はる。恭敬の分は、恭は己を主とし、敬は必ず敬する所有り、異なりと為すのみ。故に敬は「之を敬す」と曰ひ、恭は「之を恭す」と曰はず。堯の「允に恭」、舜の「己を恭しくす」は、皆自ら高しとせず、自ら聖とせず、敢へて人を軽視せざるを謂ふなり。堯の鯀の命に方き族を圮るを知るも、四岳「試みて可なれば乃ち已めん」と曰へば、則ち之を用ひ、礼楽を作らんと欲すれば、則ち舜を登庸するが如き、是れ恭なり。舜の問ふことを好み、好んで邇言を察するが如き、是れ恭なり。孔子の子産を称して「其の己を行ふや恭、其の上に事ふるや敬」と曰ふが如き、恭敬の分、以て見るべきのみ。
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国語・晋語五臼季(きゅうき)使いし、冀(き)の野に舎(やど)る。冀缺(きけつ)薅(くさぎ)り、其の妻之に饁(かれい)す。敬して、相待すること賓の如し。従いて之に問えば、冀芮(きぜい)の子なり。之と与に帰り、既に復命して、之を進めて曰く、「臣賢人を得たり、敢えて以て告ぐ」と。文公曰く、「其の父罪有り、可ならんか」と。対えて曰く、「国の良なるや、其の前悪を滅す。是の故に舜の刑するや鯀(こん)を殛(ころ)し、其の挙ぐるや禹を興す。今君の聞く所なり。斉の桓公親(みずか)ら管敬子(かんけいし)を挙ぐ、其の賊なり」と。公曰く、「子何を以て其の賢なるを知るや」と。対えて曰く、「臣其の敬を忘れざるを見る。夫れ敬は、徳の恪(つつし)みなり。徳に恪みて以て事に臨まば、其れ何ぞ済(な)らざらん」と。公之に見(まみ)え、下軍の大夫と為す。
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『弁名』恭敬莊愼獨孟子曰く、「難きを君に責むる、之を恭と謂ひ、善を陳べ邪を閉づる、之を敬と謂ふ」と。亦た其の君を軽視せざるを以て恭と為し、其の事を敬するを以て敬と為す。孟子に「交際は何の心ぞや」、曰く「恭なり」。「之を郤くるを不恭と為すは何ぞや」、曰く「尊者之を賜ふに、『其の之を取る所の者は義か不義か』と曰ひて而る後に之を受くるは、是を以て不恭と為す。故に郤けざるなり」と。亦た人を軽視せざるなり。孟子、柳下恵を不恭と称す。恵の意は天下に有道の君無しと謂ふ。故に「焉くに往くとして三たび黜けられざらん」と曰ふ。其の郷人を視ること、蜾蠃と螟蛉との如し。故に「爾焉んぞ能く我を浼さんや」と曰ふ。是れ皆人を軽視するの甚だしきなり。故に之を不恭と謂ふ。恭の字の義、以て見るべきのみ。
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尚書・太甲中先を奉じては孝を思い、下に接しては恭を思う。遠きを視るは惟れ明、徳を聴くは惟れ聡。
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『慎思録』巻之四恭にして和なるは、友に交はるの道なり。厳にして寛なるは、下に接するの道なり。蓋し恭にして厳なれば、則ち己を失はず。和にして寛なれば、則ち人を失はず。李白の詩に曰く、他人方寸の間、山海幾千里、と。言ふこころは、我他人の心曲を知ること能はず、他人も亦た焉んぞ能く我の心曲を知らん。然らば則ち彼我何ぞ能く心を傾けて相信ぜんや。故に孔子曰く、人の己を知らざるを患へず、人を知らざるを患ふ、と。
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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