国語 / 魯語下
公父文伯之母,季康子之從祖叔母也。康子往焉,䦱門與之言,皆不踰閾。祭悼子,康子與焉,酢不受,徹俎不宴,宗不具不繹,繹不盡飫則退。仲尼聞之,以為別於男女之禮矣。
新字:公父文伯之母,季康子之従祖叔母也。康子往焉,䦱門与之言,皆不踰閾。祭悼子,康子与焉,酢不受,徹俎不宴,宗不具不繹,繹不尽飫則退。仲尼聞之,以為別於男女之礼矣。
書き下し
公父文伯の母は、季康子の従祖叔母(じゅうそしゅくぼ)なり。康子焉(ここ)に往く。門を䦱(ひら)きて之と言い、皆閾(しきい)を踰(こ)えず。悼子(とうし)を祭るに、康子与(あずか)る。酢(さく)受けず、俎(そ)を徹して宴せず、宗具わらざれば繹(えき)せず、繹するも飫(よ)を尽くさずして則ち退く。仲尼之を聞きて、以て男女の礼を別つと為す。
現代語訳
公父文伯の母(敬姜)は、季康子(魯の執政)にとって祖父の兄弟の妻、つまり大叔母にあたる。康子が彼女のもとを訪ねると、彼女は寝所の門を開けて話をしたが、二人とも敷居を越えなかった。季悼子(敬姜の亡き舅)を祭ったとき、康子もその祭りに加わった。彼女は康子からの返杯を自分の手では受けず、祭りが終わって供え物の台が下げられても、宴には加わらなかった。宗臣(祭祀を司る一族の家臣)がそろっていなければ翌日の祭りを行わず、翌日の祭りを行っても、その後の酒宴が終わるのを待たずに退いた。仲尼(孔子)はこれを聞いて、男女の礼をよくわきまえていると評した。
解説
公父文伯の母敬姜が、一族の年下の男性である季康子との間で守った礼の区別を記した短い章である。韋昭の注によれば、敬姜は季悼子の子穆伯の妻で、康子から見て祖父の兄弟の妻にあたる。それでも彼女は、門を開けて話すときも敷居を越えず、祭りでは康子からの返杯を直接受けず、祭りの後の宴にも加わらなかった。宗臣がそろわなければ翌日の祭りを行わず、行っても酒宴の終わりまでは残らなかった。韋昭は、酔って失態を招くことを恐れて嫌疑を遠ざけたのだと解している。親しい間柄だからこそ区切りを明らかにしておくという考えである。孔子がこれを男女の礼をわきまえていると評したのは、形式の厳しさよりも、関係を濁らせない配慮を見たからであろう。身内や親しい相手ほど、線引きを曖昧にしないことが互いを守る。
この章句が説くこと
国語魯語礼男女節度
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