国語 / 魯語上
晉人殺厲公,邊人以告,成公在朝。公曰:「臣殺其君,誰之過也?」大夫莫對,里革曰:「君之過也。夫君人者,其威大矣。失威而至於殺,其過多矣。且夫君也者,將牧民而正其邪者也,若君縱私回而棄民事,民旁有慝無由省之,益邪多矣。若以邪臨民,陷而不振,用善不肯專,則不能使,至於殄滅而莫之恤也,將安用之?桀奔南巢,紂踣于京,厲流于彘,幽滅于戲,皆是術也。夫君也者,民之川澤也。行而從之,美惡皆君之由,民何能為焉?」
新字:晋人殺厲公,辺人以告,成公在朝。公曰:「臣殺其君,誰之過也?」大夫莫対,里革曰:「君之過也。夫君人者,其威大矣。失威而至於殺,其過多矣。且夫君也者,将牧民而正其邪者也,若君縦私回而棄民事,民旁有慝無由省之,益邪多矣。若以邪臨民,陥而不振,用善不肯専,則不能使,至於殄滅而莫之恤也,将安用之?桀奔南巣,紂踣于京,厲流于彘,幽滅于戯,皆是術也。夫君也者,民之川沢也。行而従之,美悪皆君之由,民何能為焉?」
書き下し
晋人、厲公(れいこう)を殺す。辺人以て告ぐ。成公朝に在り。公曰く、「臣其の君を殺す、誰の過ちぞや」と。大夫対うる莫し。里革曰く、「君の過ちなり。夫れ人に君たる者は、其の威大なり。威を失いて殺さるるに至るは、其の過ち多し。且つ夫れ君なる者は、将に民を牧して其の邪を正さんとする者なり。若し君、私回(しかい)を縦(ほしいまま)にして民事を棄つれば、民の旁(かたわら)に慝(とく)有るも、由りて之を省(かえり)みる無く、邪を益すこと多し。若し邪を以て民に臨めば、陥りて振るわず。善を用うるも専らにするを肯んぜざれば、則ち使う能わず。殄滅(てんめつ)に至りて之を恤(うれ)うる莫し。将に安んぞ之を用いん。桀は南巣に奔り、紂は京に踣(たお)れ、厲は彘(てい)に流され、幽は戯(き)に滅ぶ。皆是の術なり。夫れ君なる者は、民の川沢なり。行いて之に従う。美悪皆君に之れ由る。民何ぞ能く為さんや」と。
現代語訳
晋の人々が主君の厲公を殺した。国境の役人がそれを知らせてきたとき、魯の成公は朝廷にいた。成公は言った。「臣下がその君を殺した。これは誰の過ちであろうか」。大夫たちは誰も答えなかった。里革(魯の太史)が言った。「君の過ちです。そもそも人の上に立つ君主は、その威光がたいへん大きいものです。その威光を失って殺されるまでになったのは、過ちが多かったからです。それに君主とは、民を養い導いてその邪(よこしま)を正す者です。もし君主が私情とよこしまな振る舞いをほしいままにして民の務めを捨てれば、民の間に悪事があっても、それを省みる手立てがなく、邪はますます増えます。もしよこしまな心で民に臨めば、国は落ち込んで立ち直れません。善い人を用いても、任せきることを肯んじなければ、その人を使いこなすことはできません。そうして滅び去るに至っても、誰も気にかけません。そんな君主を何に用いましょうか。夏の桀王は南巣に逃れ、殷の紂王は都で倒れ、周の厲王は彘に流され、幽王は戯の地で滅びました。みなこの道をたどったのです。そもそも君主というものは、民にとっての川や沢のようなものです。君主が行えば民はそれに従います。善いことも悪いことも、みな君主から出るのです。民に何ができましょうか」。
解説
この章句が説くこと
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