国語 / 魯語上
文公欲弛孟文子之宅,使謂之曰:「吾欲利子於外之寬者。」對曰:「夫位,政之建也;署,位之表也;車服,表之章也;宅,章之次也;祿,次之食也。君議五者以建政,為不易之故也。今有司來命易臣之署與其車服,而曰:『將易而次,為寬利也。』夫署,所以朝夕虔君命也。臣立先臣之署,服其車服,為利故而易其次,是辱君命也,不敢聞命。若罪也,則請納祿與車服而違署,唯里人所命次。」公弗取。臧文仲聞之曰:「孟孫善守矣,其可以蓋穆伯而守其後於魯乎!」 公欲弛郈敬子之宅,亦如之。對曰:「先臣惠伯以命於司里,嘗、禘、蒸、享之所致君胙者有數矣。出入受事之幣以致君命者,亦有數矣。今命臣更次於外,為有司之以班命事也,無乃違乎!請從司徒以班徙次。」公亦不取。
新字:文公欲弛孟文子之宅,使謂之曰:「吾欲利子於外之寛者。」対曰:「夫位,政之建也;署,位之表也;車服,表之章也;宅,章之次也;禄,次之食也。君議五者以建政,為不易之故也。今有司来命易臣之署与其車服,而曰:『将易而次,為寛利也。』夫署,所以朝夕虔君命也。臣立先臣之署,服其車服,為利故而易其次,是辱君命也,不敢聞命。若罪也,則請納禄与車服而違署,唯里人所命次。」公弗取。臧文仲聞之曰:「孟孫善守矣,其可以蓋穆伯而守其後於魯乎!」 公欲弛郈敬子之宅,亦如之。対曰:「先臣恵伯以命於司里,嘗、禘、蒸、享之所致君胙者有数矣。出入受事之幣以致君命者,亦有数矣。今命臣更次於外,為有司之以班命事也,無乃違乎!請従司徒以班徙次。」公亦不取。
書き下し
文公、孟文子(もうぶんし)の宅を弛(こぼ)たんと欲し、之に謂わしめて曰く、「吾、子を外の寛(ひろ)き者に利せんと欲す」と。対えて曰く、「夫れ位は政の建(た)つるところなり。署(しょ)は位の表なり。車服は表の章(しるし)なり。宅は章の次(やどり)なり。禄は次の食なり。君、五者を議して以て政を建つるは、易(か)えざるの故の為なり。今、有司来たりて臣の署と其の車服とを易えんことを命じて、曰く、『将に而(なんじ)の次を易えんとす、寛く利ならしめんが為なり』と。夫れ署は、朝夕君命を虔(つつし)む所以なり。臣、先臣の署に立ち、其の車服を服す。利の故の為に其の次を易うるは、是れ君命を辱しむるなり。敢えて命を聞かず。若し罪あらば、則ち請う、禄と車服とを納めて署を違(さ)り、唯だ里人の命ずる所に次(やど)らん」と。公取らず。臧文仲(ぞうぶんちゅう)之を聞きて曰く、「孟孫は善く守れり。其れ以て穆伯(ぼくはく)を蓋(おお)いて其の後を魯に守るべきか」と。 公、郈敬子(こうけいし)の宅を弛たんと欲し、亦た之の如くす。対えて曰く、「先臣恵伯(けいはく)、命を司里に以(う)けてより、嘗(しょう)・禘(てい)・蒸(じょう)・享(きょう)の君の胙(ひもろぎ)を致す所の者、数(すう)有り。出入して事を受くるの幣、以て君命を致す者も、亦た数有り。今、臣に命じて次を外に更(あらた)めしむるは、有司の班(はん)を以て事を命ずるが為なるも、乃ち違うこと無からんや。請う、司徒に従いて班を以て次を徙(うつ)さん」と。公亦た取らず。
現代語訳
魯の文公は、孟文子(孟孫氏の当主、公孫敖の子)の屋敷を取り壊して宮殿を広げようと思い、使者をやってこう伝えさせた。「そなたには城外のもっと広い土地を与えて、得をさせたいと思う」。孟文子は答えた。「そもそも位は政治を打ち立てるもの、官署はその位のしるし、車や衣服はそのしるしを飾るもの、屋敷はその飾りを置く居どころ、俸禄はその居どころを養う糧でございます。君がこの五つを定めて政治を打ち立てられたのは、みだりに変えないためです。いま役人が来て、私の官署と車服を変えるよう命じ、『お前の居どころを移す。広くて得になるようにしてやるのだ』と申します。官署とは朝夕につつしんで君命を奉じる場所です。私は先代の臣が立った官署に立ち、その車服を身につけております。得になるからといって居どころを変えるのは、君命をはずかしめることになります。このご命令はお受けできません。もしそれが罪だとおっしゃるなら、俸禄と車服をお返しして官署を去り、里の役人が指図する所に住むことにいたします」。文公はそれ以上取り上げなかった。臧文仲(魯の賢大夫)はこれを聞いて言った。「孟孫はよく家を守った。父の穆伯の過ちを覆い隠して、魯でその家を後の世まで保つことができるだろう」。 文公は郈敬子(魯の大夫)の屋敷も取り壊そうとし、同じように申し渡した。郈敬子は答えた。「先代の恵伯が司里(里の居住を司る官)から命を受けてこのかた、嘗・禘・蒸・享の祭りのたびに君からお下がりの肉を賜った回数は記録に残っております。出入りして使命を受けるときの幣帛で君命を伝えた回数も、記録に残っております。いま私に城外へ居を移せと命じられるのは、役人が序列に従って仕事を割り振るためでしょうが、それはかえって道に違うことになりはしませんか。どうしても移れとおっしゃるなら、司徒(土地と民を司る官)の定めに従い、序列どおりに移ることにいたします」。文公はこれも取り上げなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・奉使晉楚の君相與に好會を宛丘の上に爲す。宋人をして往かしむ。晉楚の大夫曰く、「趣かに天子の禮を以て吾が君に見えよ、我子の爲に見えん。」使者曰く、「冠弊ると雖も、宜しく其の上に加うべし。履新たなりと雖も、宜しく其の下に居るべし。周室微なりと雖も、諸侯未だ之を易うる能わざるなり。師宋城に升るとも、猶お臣の服を更めざるなり。」揖して之を去る。諸大夫瞿然とし、遂に諸侯の禮を以て之に見ゆ。
-
史記 高祖本紀高祖長く雒陽に都せんと欲す、斉人劉敬説き、乃ち留侯上に勧めて関中に入り都せしむ、高祖是の日駕して、入りて関中に都す。六月、天下に大赦す。十月、燕王臧荼反し、代の地を攻め下す。高祖自ら将として之を撃ち、燕王臧荼を得たり。即ち太尉盧綰を立てて燕王と為す。丞相噲をして兵を将ゐて代を攻めしむ。其の秋、利幾反す、高祖自ら兵を将ゐて之を撃つ、利幾走る。利幾は、項氏の将なり。項氏敗れ、利幾陳公為り、項羽に随はず、亡げて高祖に降る、高祖之を潁川に侯とす。高祖雒陽に至り、通侯の籍を挙げて之を召す、而して利幾恐る、故に反す。六年、高祖五日に一たび太公に朝す、家人の父子の礼の如くす。太公の家令太公に説きて曰く、「天に二日無く、土に二王無し。今高祖子なりと雖も、人主なり。太公父なりと雖も、人臣なり。柰何ぞ人主をして人臣を拝せしめん。此くの如くならば、則ち威重行はれず。」と。後に高祖朝す、太公篲(ほうき)を擁し、門に迎へて卻行す。高祖大いに驚き、下りて太公を扶く。太公曰く、「帝は、人主なり、柰何ぞ我を以て天下の法を乱さん。」と。是に於て高祖乃ち太公を尊びて太上皇と為す。心に家令の言を善しとし、金五百斤を賜ふ。十二月、人変事を上りて楚王信の謀反を告ぐる有り、上左右に問ふ、左右争ひて之を撃たんと欲す。陳平の計を用ゐ、乃ち偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会す、楚王信迎ふ、即ち因りて之を執ふ。是の日、天下に大赦す。田肯賀し、因りて高祖に説きて曰く、「陛下韓信を得、又秦中を治む。秦は、形勝の国なり、河山の険を帯び、県隔すること千里、戟を持つもの百万、秦百に二を得たり。地勢便利にして、其の以て兵を諸侯に下すこと、譬へば猶ほ高屋の上に居りて瓴水を建(くつがへ)すがごときなり。夫れ斉は、東に瑯邪・即墨の饒有り、南に泰山の固有り、西に濁河の限有り、北に勃海の利有り。
-
尚書・盤庚上網の綱に在るが若く、条有りて紊れず。
-
人物志・流業是を主道得られて臣道序すと謂い、官方を易えずして、太平用て成る。
-
論語・八佾篇子曰く、『夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず。』
-
『春秋左氏伝』昭公七年 普天の下、王土に非ざる莫し七年春、王の正月、齊と平らぐ。齊之を求むるなり。癸巳、齊侯虢に次る。燕人成を行ひて曰く、「敝邑罪を知る、敢へて命を聽かざらんや。先君の敝器もて、請ふ以て罪を謝せん」と。公孫皙曰く、「服を受けて退き、釁を俟ちて動くは、可なり」と。二月、戊午、濡上に盟ふ。燕人燕姬を歸(とつ)がしめ、賂ふに瑤罋・玉櫝・斝耳を以てす。克たずして還る。楚子の令尹為るや、王の旌を為りて以て田す。芋尹無宇之を斷ちて曰く、「一國に兩君あらば、其れ誰か之に堪へん」と。即位するに及び、章華の宮を為り、亡人を納れて以て之を實たす。無宇の閽焉に入る。無宇之を執ふ。有司與へずして曰く、「人を王宮に執ふ、其の罪大なり」と。執へて諸を王に謁す。王將に酒を飲まんとす。無宇辭して曰く、「天子は經略し、諸侯は封を正す、古の制なり。封略の内、何か君の土に非ざる。土の毛を食む、誰か君の臣に非ざる。故に詩に曰く、『普天の下、王土に非ざる莫く、率土の濱、王臣に非ざる莫し』と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る