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国語 / 魯語上

莊公如齊觀社。曹劌諫曰:「不可。夫禮,所以正民也。是故先王制諸侯,使五年四王、一相朝。終則講於會,以正班爵之義,帥長幼之序,訓上下之則,制財用之節,其閒無由荒怠。夫齊棄太公之法而觀民於社,君為是舉而往觀之,非故業也,何以訓民?土發而社,助時也。收攟而蒸,納要也。今齊社而往觀旅,非先王之訓也。天子祀上帝,諸侯會之受命焉。諸侯祀先王、先公,卿大夫佐之受事焉。臣不聞諸侯相會祀也,祀又不法。君舉必書,書而不法,後嗣何觀?」公不聽,遂如齊。

新字:荘公如斉観社。曹劌諫曰:「不可。夫礼,所以正民也。是故先王制諸侯,使五年四王、一相朝。終則講於会,以正班爵之義,帥長幼之序,訓上下之則,制財用之節,其閒無由荒怠。夫斉棄太公之法而観民於社,君為是舉而往観之,非故業也,何以訓民?土発而社,助時也。収攟而蒸,納要也。今斉社而往観旅,非先王之訓也。天子祀上帝,諸侯会之受命焉。諸侯祀先王、先公,卿大夫佐之受事焉。臣不聞諸侯相会祀也,祀又不法。君舉必書,書而不法,後嗣何観?」公不聴,遂如斉。

書き下し

荘公斉に如(ゆ)きて社を観んとす。曹劌諫めて曰く、「不可なり。夫れ礼は民を正す所以なり。是の故に先王諸侯を制し、五年に四たび王し、一たび相朝せしむ。終われば則ち会に講じて、以て班爵の義を正し、長幼の序を帥(ひき)い、上下の則を訓え、財用の節を制す。其の間荒怠するに由無し。夫れ斉は太公の法を棄てて民を社に観す。君是の挙を為して往きて之を観るは、故業に非ざるなり。何を以てか民を訓えん。土発して社するは、時を助くるなり。収攟(しゅうくん)して蒸するは、要を納むるなり。今斉社して往きて旅を観るは、先王の訓えに非ざるなり。天子上帝を祀れば、諸侯会して命を受く。諸侯先王・先公を祀れば、卿大夫佐けて事を受く。臣諸侯の相会祀するを聞かざるなり。祀又法あらず。君の挙は必ず書す。書して法あらずんば、後嗣何をか観ん」と。公聴かず、遂に斉に如く。

現代語訳

荘公が斉へ行って社の祭りを見物しようとした。曹劌が諫めて言った。「なりません。礼とは民を正すためのものです。だから先王は諸侯に定めを設け、五年のうちに四度は天子のもとに使者を送って仕え、一度は諸侯どうしで朝見し合うようにさせました。それが終われば会合で礼を習い、爵位の序列の意義を正し、長幼の順序を守らせ、上下の決まりを教え、財の使い方の節度を定めました。こうしてその間に怠り乱れる余地がなかったのです。ところが斉は太公(斉の始祖、太公望)の法を捨て、社の祭りにかこつけて民を集めて見せびらかしています。あなたがこうした催しにわざわざ出かけて見物するのは、昔からの務めではありません。それでどうして民を教え導けましょう。土が起きる春に社を祀るのは、農事の時を助けるためです。収穫を拾い終えて冬に蒸の祭りをするのは、五穀の実りを納めるためです。いま斉が社を祀るのに出かけて群衆を見物するのは、先王の教えではありません。天子が上帝を祀るとき、諸侯は集まって命を受けます。諸侯が先王・先公を祀るとき、卿大夫が助けて職務を受けます。諸侯どうしが互いに相手の祭りに会するなど、私は聞いたことがありません。しかもその祭り自体が法にかなっていません。君の行いは必ず記録されます。記録されたことが法にかなっていなければ、後の世継ぎは何を手本にすればよいのでしょう。」荘公は聞き入れず、そのまま斉へ行った。

解説

魯の荘公が斉の社の祭りを見物しに出かけようとしたとき、曹劌が諫めた言葉である。韋昭によれば、斉は社を祀るのにかこつけて兵や兵車をそろえて客に見せており、荘公はそれを見に行こうとした。曹劌は、礼は民を正すためのもので、諸侯の往来は天子への朝聘と会合による序列の確認に限られていたと説く。社の祭りには春に農事を助け、冬に実りを納めるという本来の意味があり、他国の祭りをわざわざ見物に行くのは先王の教えにない。とりわけ鋭いのは結びの「君の挙は必ず書す」である。君の行いは記録に残り、後の世継ぎの手本になる。一度の遊興が前例となって後代を縛るのである。『春秋左氏伝』荘公二十三年にも曹劌の同じ諫めがあり、この句も見える。長の軽い振る舞いも、組織にとっては先例として残ることを忘れたくない。

この章句が説くこと

国語魯語礼前例諫言

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