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国語 / 周語下

景王既殺下門子。賓孟適郊,見雄雞自斷其尾,問之,侍者曰:「憚其犧也。」遽歸告王,曰:「吾見雄雞自斷其尾,而人曰『憚其犧也』,吾以為信畜矣。人犧實難,己犧何害?抑其惡為人用也乎,則可也。人異於是。犧者,實用人也。」王弗應,田于鞏,使公卿皆從,將殺單子,未克而崩。

新字:景王既殺下門子。賓孟適郊,見雄鶏自断其尾,問之,侍者曰:「憚其犠也。」遽帰告王,曰:「吾見雄鶏自断其尾,而人曰『憚其犠也』,吾以為信畜矣。人犠実難,己犠何害?抑其悪為人用也乎,則可也。人異於是。犠者,実用人也。」王弗応,田于鞏,使公卿皆従,将殺単子,未克而崩。

書き下し

景王既に下門子(かもんし)を殺す。賓孟(ひんもう)郊に適き、雄鶏の自ら其の尾を断つを見て、之を問う。侍者曰く、「其の犠(ぎ)となるを憚(はばか)るなり」と。遽(にわ)かに帰りて王に告げて曰く、「吾雄鶏の自ら其の尾を断つを見る。而して人曰く『其の犠となるを憚るなり』と。吾以為(おもえ)らく信(まこと)に畜なりと。人の犠となるは実に難し、己の犠となるは何の害かあらん。抑も其れ人の用と為るを悪むか、則ち可なり。人は是れに異なり。犠なる者は、実に人を用うるなり」と。王応ぜず。鞏(きょう)に田(かり)し、公卿をして皆従わしめ、将に単子を殺さんとす。未だ克(よ)くせずして崩ず。

現代語訳

景王は、王子猛の守り役である下門子(周の大夫)をすでに殺していた。賓孟(王子朝の守り役、賓起)は郊外に出かけ、雄鶏が自分で尾羽を断ち切るのを見て、そのわけを尋ねた。従者は「犠牲にされるのを恐れているのです」と答えた。賓孟は急いで帰って王に告げた。「私は雄鶏が自分で尾羽を断ち切るのを見ました。人は『犠牲にされるのを恐れているのだ』と言います。私は、なるほど畜生とはそういうものだと思いました。人に犠牲にされるのはまことにつらいことですが、自分が犠牲の座に就くのに何の害がありましょう。鶏は人に使われるのを嫌うのでしょうが、それはそれでよろしい。人はこれとは違います。美しく飾られて犠牲の座に就くというのは、実は人を使う立場に立つことなのです。」王は答えなかった。その後、王は鞏(周の地名)で狩りをし、公卿をみな従わせて、王子朝を立てることに反対する単子(単穆公)を殺そうとしたが、果たせないうちに崩じた。

解説

周の景王の晩年、後継ぎをめぐる争いの一齣である。景王は王子猛を立てていたが、寵臣賓孟が傅を務める王子朝に心を移し、まず王子猛の傅の下門子を殺していた。賓孟は、犠牲にされるのを恐れて自ら尾を断つ雄鶏を見て、それを種に王に謎をかける。鶏は人に使われるのを嫌うが、人にとって美しく飾られて犠牲の座に就くことは、人を使う立場、つまり君位に就くことだ、と。韋昭は「人を用う」を「人を治む」と注し、賓孟が子朝を立てるよう王に勧めたのだと読む。王は答えず、反対派の単穆公を狩りの場で殺そうとしたが、その前に急死した。『春秋左氏伝』昭公二十二年にもほぼ同じ話があり、この直後に王子朝の乱が起こる。側近がたとえ話で長の本心をくすぐるとき、それが誰の利益のための話なのかを見極めたい。

この章句が説くこと

国語周語後継寵臣君臣

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