説苑 / 辨物
晉平公出畋,見乳虎伏而不動,顧謂師曠曰:「吾聞之也,霸王之主出,則猛獸伏不敢起。今者寡人出,見乳虎伏而不動,此其猛獸乎?」師曠曰:「鵲食●,●食鵔鸃,鵔鸃食豹,豹食駮,駮食虎;夫駮之狀有似駮馬,今者君之出必驂駮馬而出畋乎?」公曰:「然。」師曠曰:「臣聞之,一自誣者窮,再自誣者辱,三自誣者死。今夫虎所以不動者,為駮馬也,固非主君之德義也,君奈何一自誣乎?」平公異日出朝,有鳥環平公不去,平公顧謂師曠曰:「吾聞之也,霸王之主,鳳下之;今者出朝有鳥環寡人,終朝不去,是其鳳鳥乎?」師曠曰:「東方有鳥名諫珂,其為鳥也,文身而朱足,憎鳥而愛狐。今者吾君必衣狐裘,以出朝乎?」平公曰:「然。」師曠曰:「臣已嘗言之矣,一自誣者窮,再自誣者辱,三自誣者死。今鳥為狐裘之故。非吾君之德義也,君奈何而再自誣乎?」平公不悅。異日置酒虒祁之臺,使郎中馬章布蒺藜於階上,令人召師曠;師曠至,履而上堂。平公曰:「安有人臣履而上人主堂者乎?」師曠解履刺足,伏刺膝,仰天而歎,公起引之曰:「今者與叟戲,叟遽憂乎?」對曰:「憂夫肉自生蟲,而還自食也;木自生蠹,而還自刻也;人自興妖,而還自賊也。五鼎之具不當生藜藿,人主堂廟不當生蒺藜。」平公曰:「今為之奈何?」師曠曰:「妖已在前,無可奈何。入來月八日,脩百官,立太子,君將死矣。」至來月八日得旦,謂師曠曰:「叟以今日為期,寡人如何?」師曠不樂謁歸,歸未幾而平公死,乃知師曠神明矣。
新字:晋平公出畋,見乳虎伏而不動,顧謂師曠曰:「吾聞之也,覇王之主出,則猛獣伏不敢起。今者寡人出,見乳虎伏而不動,此其猛獣乎?」師曠曰:「鵲食●,●食鵔鸃,鵔鸃食豹,豹食駮,駮食虎;夫駮之状有似駮馬,今者君之出必驂駮馬而出畋乎?」公曰:「然。」師曠曰:「臣聞之,一自誣者窮,再自誣者辱,三自誣者死。今夫虎所以不動者,為駮馬也,固非主君之徳義也,君奈何一自誣乎?」平公異日出朝,有鳥環平公不去,平公顧謂師曠曰:「吾聞之也,覇王之主,鳳下之;今者出朝有鳥環寡人,終朝不去,是其鳳鳥乎?」師曠曰:「東方有鳥名諫珂,其為鳥也,文身而朱足,憎鳥而愛狐。今者吾君必衣狐裘,以出朝乎?」平公曰:「然。」師曠曰:「臣已嘗言之矣,一自誣者窮,再自誣者辱,三自誣者死。今鳥為狐裘之故。非吾君之徳義也,君奈何而再自誣乎?」平公不悦。異日置酒虒祁之台,使郎中馬章布蒺藜於階上,令人召師曠;師曠至,履而上堂。平公曰:「安有人臣履而上人主堂者乎?」師曠解履刺足,伏刺膝,仰天而嘆,公起引之曰:「今者与叟戯,叟遽憂乎?」対曰:「憂夫肉自生虫,而還自食也;木自生蠹,而還自刻也;人自興妖,而還自賊也。五鼎之具不当生藜藿,人主堂廟不当生蒺藜。」平公曰:「今為之奈何?」師曠曰:「妖已在前,無可奈何。入来月八日,脩百官,立太子,君将死矣。」至来月八日得旦,謂師曠曰:「叟以今日為期,寡人如何?」師曠不楽謁帰,帰未幾而平公死,乃知師曠神明矣。
書き下し
晋の平公畋(かり)に出で、乳虎の伏して動かざるを見る。顧みて師曠に謂いて曰わく、「吾之を聞く、覇王の主出づれば、則ち猛獣伏して敢えて起きずと。今者(いま)寡人出でて、乳虎の伏して動かざるを見る、此れ其れ猛獣か。」師曠曰わく、「鵲は某を食らい、某は鵔鸃(しゅんぎ)を食らい、鵔鸃は豹を食らい、豹は駮(はく)を食らい、駮は虎を食らう。夫れ駮の状は駮馬に似たる有り、今者君の出づるや必ず駮馬に驂して出畋せしか。」公曰わく、「然り。」師曠曰わく、「臣之を聞く、一たび自ら誣(し)いる者は窮し、再び自ら誣いる者は辱められ、三たび自ら誣いる者は死すと。今夫れ虎の動かざる所以は、駮馬の為なり、固より主君の徳義に非ざるなり、君奈何ぞ一たび自ら誣うるや。」平公異日朝に出づるに、鳥有りて平公を環(めぐ)りて去らず。平公顧みて師曠に謂いて曰わく、「吾之を聞く、覇王の主は、鳳之に下ると。今者朝に出づるに鳥有りて寡人を環り、終朝去らず、是れ其れ鳳鳥か。」師曠曰わく、「東方に鳥有り諫珂(かんか)と名づく。其の鳥為るや、文身にして朱足、烏を憎みて狐を愛す。今者吾が君必ず狐裘を衣て以て朝に出でしか。」平公曰わく、「然り。」師曠曰わく、「臣已に嘗て之を言えり、一たび自ら誣いる者は窮し、再び自ら誣いる者は辱められ、三たび自ら誣いる者は死すと。今鳥の為すは狐裘の故なり、吾が君の徳義に非ざるなり、君奈何ぞ再び自ら誣うるや。」平公悦ばず。異日虒祁(しき)の台に酒を置き、郎中馬章をして蒺藜(しつり)を階上に布かしめ、人をして師曠を召さしむ。師曠至り、履きて堂に上る。平公曰わく、「安(いず)くにか人臣にして履きて人主の堂に上る者有らんや。」師曠履を解きて足を刺し、伏して膝を刺し、天を仰ぎて歎ず。公起ちて之を引きて曰わく、「今者叟(そう)と戯るるのみ、叟遽(にわ)かに憂うるか。」対えて曰わく、「憂うるは夫れ肉自ら虫を生じて、還りて自ら食らわるるなり。木自ら蠹(と)を生じて、還りて自ら刻まるるなり。人自ら妖を興して、還りて自ら賊(そこな)わるるなり。五鼎の具は当(まさ)に藜藿(れいかく)を生ずべからず、人主の堂廟は当に蒺藜を生ずべからず。」平公曰わく、「今之を為すこと奈何にせん。」師曠曰わく、「妖已に前に在り、奈何ともする無し。来月八日に入りて、百官を脩め、太子を立てよ、君将に死せんとす。」来月八日に至りて旦を得、師曠に謂いて曰わく、「叟今日を以て期と為す、寡人如何(いかん)。」師曠楽しまずして帰らんことを謁す。帰りて未だ幾(いくば)くならずして平公死す。乃ち師曠の神明なるを知る。
現代語訳
晋の平公が狩りに出て、子を持つ乳飲み子の虎が伏せて動かないのを見た。振り返って師曠に言った。「私はこう聞いている、覇王たる主君が出かければ猛獣は伏して動こうとしないと。今、私が出てきたところ、乳をやる虎が伏して動かないのを見た。これはその猛獣の証しであろうか。」師曠は言った。「鵲は某を食べ、某は鵔鸃を食べ、鵔鸃は豹を食べ、豹は駮を食べ、駮は虎を食べます。そもそも駮という動物の姿は駮馬(まだら模様の馬)に似ています。今、あなたが出かけられたとき、必ず駮馬に乗って狩りに出られたのではありませんか。」公は「そうだ」と言った。師曠は言った。「私はこう聞いております。一度自らを欺く者は行き詰まり、二度自らを欺く者は辱めを受け、三度自らを欺く者は死ぬ、と。今、あの虎が動かなかった理由は駮馬のためであって、もとよりあなた様の徳義によるものではありません。あなたはどうして一度目の自己欺瞞をなさるのですか。」平公は後日、朝廷に出かけたところ、鳥が平公の周りを巡って去らなかった。平公は振り返って師曠に言った。「私はこう聞いている、覇王たる主君には鳳凰が舞い降りると。今、朝廷に出かけたところ鳥が私を巡り、一朝中去らなかった。これはその鳳凰であろうか。」師曠は言った。「東方に諫珂という鳥がいます。その鳥は、体に文様があり足が赤く、烏を憎んで狐を愛します。今、あなた様は必ず狐の皮衣を着て朝廷に出られたのではありませんか。」平公は「そうだ」と言った。師曠は言った。「私はすでに以前申し上げました。一度自らを欺く者は行き詰まり、二度自らを欺く者は辱めを受け、三度自らを欺く者は死ぬと。今、鳥がそうしたのは狐の皮衣のためであって、あなた様の徳義によるものではありません。あなたはどうして二度目の自己欺瞞をなさるのですか。」平公は不満であった。後日、虒祁の台で酒宴を催し、郎中の馬章にとげのある蒺藜を階段の上に敷かせ、人に師曠を呼びに行かせた。師曠が到着し、靴を履いたまま堂に上がろうとした。平公は言った。「どこの世界に、家臣でありながら履物を履いたまま主君の堂に上がる者がいようか。」師曠は靴を脱いだが足を刺し、伏せると膝を刺し、天を仰いで嘆いた。平公は立ち上がって彼を助け起こして言った。「今のはあなたをからかっただけだ。あなたはにわかに憂えるのか。」師曠は答えて言った。「私が憂えるのは、肉が自ら虫を生じて、かえって自らそれに食われ、木が自ら虫食いを生じて、かえって自らそれに削られ、人が自ら妖異を引き起こして、かえって自らそれに害される、ということです。豪華な食器には本来、あかざや豆の葉のような雑草が生えるべきではなく、主君の堂や廟には本来、蒺藜が生えるべきではありません。」平公は「では今、どうすればよいか」と言った。師曠は言った。「妖異はすでに目の前に現れています。どうしようもありません。来月の八日になったら、百官の人事を整え、太子を立ててください。あなたはまもなく亡くなるでしょう。」来月の八日の朝になって、平公は師曠に言った。「あなたはこの日を期限とした。私はどうなるだろうか。」師曠は浮かない顔をして帰ることを願い出た。帰ってからいくらも経たないうちに平公は亡くなった。そこで人々は師曠がまことに神のごとく明察であったことを知ったのである。
解説

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『十善法語』巻第九・不瞋恚戒晋ノ平公ノ時。師曠ト云カ楽師ト為テ仕フ。或時平公出テ猟ス。乳虎車前ニ伏ス。平公悅テ師曠ニ問フ。我聞ク。覇王ノ君ノ出ルトキ猛獣伏スト。我出ルトキ乳虎伏シテ動ヌハイカナル事ソト。師曠云。君ノ駕スルトコロ駁馬ニアラズヤ。平公云。駁馬ヲ驂ニセシト。師曠云。駁馬カ駿ニ似タル故ナルヘシ。駮ト云獣ハ虎ヲ食スト。又或時平公出。朱文ノ鳥来リ繞テ久シク去ラズ。平公悅テ師曠ニ告。覇王ノ君ノ出ルトキ鳳凰下ルト。今日我出ルニ。朱文ノ鳥下リシハ何ナルコトソ。師曠云。君ハ狐裘ヲ服セズヤ。平公云シカリ。師曠云。鳳ニハアラシ。東方ニ文身朱足ノ鳥アリテ。名ヲ諫珂ト云。是ハ鳥ヲ愛セズシテ狐ヲ愛ストキク。此鳥君ノ裘ヲ見テナレナツクナルヘシ。総シテサシテモナキコトヲ。吉事徳義ノヤウニ思フハ。灾ノ兆ト告タ。平公心内不悅。
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国語・晋語八平公鴳(あん)を射て、死せず。豎襄(じゅじょう)をして之を搏(う)たしむるに、失う。公怒り、拘(とら)えて将に之を殺さんとす。叔向之を聞き、夕(せき)す。君之を告ぐ。叔向曰く、「君必ず之を殺せ。昔吾が先君唐叔(とうしゅく)兕(じ)を徒林(とりん)に射て、殪(たお)し、以て大甲を為(つく)り、以て晋に封ぜらる。今君吾が先君唐叔を嗣ぎ、鴳を射て死せず、之を搏ちて得ず。是れ吾が君の恥を揚ぐる者なり。君其れ必ず速やかに之を殺し、遠く聞こえしむること勿かれ」と。君忸怩(じくじ)として、乃ち趣(すみや)かに之を赦す。
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『十善法語』巻第九・不瞋恚戒他日小臣ニ命シ。殿庭ニ蒺藜ヲ布セテ。師曠ヲ召ス。師曠召ニ応シテ来ルニ。足膝ヲ破ル。ソノトキ師曠天ニ仰テ嘆ズ。平公云。今且ク汝ト戯ル。何故深クナゲクト。師曠答フ。人自カラ妖ヲ興シテ自ラ賊フ。国君ノ殿庭蒺藜生スヘカラズ。此蒺藜アル。滅亡ノ兆ナルヘシト。果シテ久シカラヌ内ニ。平公卒ストアル。此等ハ小事ナレドモ。縁起ノ大体ニ比況スヘキコトシヤ。
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『韓非子』十過第十平公師曠に問ひて曰く、「此れ所謂何の声ぞや」と。師曠曰く、「此れ所謂清商なり」と。公曰く、「清商は固より最も悲しきか」と。師曠曰く、「清徴に如かず」と。公曰く、「清徴は得て聞くべきか」と。師曠曰く、「不可なり。古の清徴を聴く者は、皆徳義有るの君なり。今吾が君は徳薄し、以て聴くに足らず」と。平公曰く、「寡人の好む所の者は、音なり、願はくは試みに之を聴かん」と。師曠已むを得ず、琴を援きて鼓す。一たび之を奏すれば、玄鶴二八有り、南方より来り、郎門の垝に集まる。再び之を奏すれば、而ち列す。三たび之を奏すれば、頸を延べて鳴き、翼を舒べて舞ひ、音宮商の声に中り、声天に聞こゆ。平公大いに説び、坐する者皆喜ぶ。平公觴を提げて起ち師曠の寿を為し、坐に反りて問ひて曰く、「音は清徴より悲しきは莫きか」と。師曠曰く、「清角に如かず」と。平公曰く、「清角は得て聞くべきか」と。師曠曰く、「不可なり。昔者黄帝鬼神を泰山の上に合はせ、象車に駕して蛟竜を六にし、畢方鎋に並び、蚩尤前に居り、風伯進みて掃ひ、雨師道に洒ぎ、虎狼前に在り、鬼神後に在り、騰蛇地に伏し、鳳皇上を覆ひ、大いに鬼神を合はせて、清角を作為す。今吾が君は徳薄し、之を聴くに足らず。之を聴かば、将に恐らくは敗有らんとす」と。平公曰く、「寡人老いたり、好む所の者は音なり、願はくは遂に之を聴かん」と。師曠已むを得ずして之を鼓す。一たび之を奏すれば、玄雲有りて西北方より起こる。再び之を奏すれば、大風至り、大雨之に随ひ、帷幕を裂き、俎豆を破り、廊瓦を隳す。坐する者散走し、平公恐懼して、廊室の間に伏す。晋国大いに旱し、赤地三年。平公の身遂に癃病す。故に曰く、聴治を務めずして、五音を好みて已まざれば、則ち身を窮むるの事なり。奚をか貪愎と謂ふ。昔者智伯瑶趙・韓・魏を率ゐて范・中行を伐ち、之を滅ぼす。反り帰りて、兵を休むること数年、因りて人をして地を韓に請はしむ。
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『新序』雜事第二晉の文公麋を逐いて之を失う。農夫老古に問いて曰く、吾が麋は何くに在る、と。老古足を以て指して曰く、是くの如く往けり、と。公曰く、寡人子に問うに、足を以て指すは、何ぞや、と。老古衣を振るいて起ちて曰く、一に人君の此くの如きを意わざるなり。虎豹の居るや、閒を厭いて人に近づく。故に得らる。魚鼈の居るや、深きを厭いて淺きに之く。故に得らる。諸侯は衆を厭いて其の國を亡う。詩に云う、維れ鵲に巢有り、維れ鳩之に居る、と。君放きて歸らずんば、人將に君たらんとす、と。是に於いて文公恐る。歸りて欒武子に遇う。欒武子曰く、獵して獸を得たるか。而も悦色有り、と。文公曰く、寡人麋を逐いて之を失う。善言を得たり。故に悦色有り、と。欒武子曰く、其の人安くに在りや、と。曰く、吾未だ與に來たらざるなり、と。欒武子曰く、上位に居りて其の下を恤れまざるは、驕なり。令を緩くして誅を急にするは、暴なり。人の言を取りて其の身を棄つるは、盜なり、と。文公曰く、善し、と。還りて老古を載せ、與に俱に歸る。
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国語・晋語八平公疾有り。秦の景公医和(いか)をして之を視しむ。出でて曰く、「為(おさ)むべからざるなり。是を男を遠ざけて女に近づくと謂う。惑いて以て蠱(こ)を生ず。鬼に非ず食に非ず、惑いて以て志を喪う。良臣生きず、天命祐(たす)けず。若し君死せずんば、必ず諸侯を失わん」と。趙文子之を聞きて曰く、「武二三子に従いて以て君を佐(たす)けて諸侯の盟主と為すこと、今に於いて八年なり。内に苛慝(かとく)無く、諸侯弐(ふたごころ)あらず。子胡(なん)ぞ『良臣生きず、天命祐けず』と曰う」と。対えて曰く、「今よりの謂いなり。和之を聞く、曰く、『直は曲を輔(たす)けず、明は闇を規(ただ)さず。拱木(きょうぼく)は危(たか)きに生ぜず、松柏は埤(ひく)きに生ぜず』と。吾子惑いを諫むる能わずして、疾を生ずるに至らしめ、又自ら退かずして其の政を寵とす。八年の謂い多し。何を以て能く久しからん」と。文子曰く、「医も国家に及ぶか」と。対えて曰く、「上医は国を医し、其の次は人を疾(や)む。固(もと)より医官なり」と。文子曰く、「子蠱と称す。何か実に之を生ずる」と。対えて曰く、「蠱の慝(とく)は、穀の飛(ひ)実に之を生ず。物蠱より伏するは莫く、穀より嘉(よ)きは莫し。穀興りて蠱伏して章明なる者なり。故に穀を食らう者は、昼は男徳を選びて以て穀の明に象(かたど)り、宵は女徳を静めて以て蠱の慝を伏す。今君之を一にす。是れ穀を饗(う)けずして蠱を食らうなり。是れ穀の明を昭らかにせずして蠱を皿にするなり。夫れ文、『蟲(ちゅう)』・『皿(べい)』を『蠱』と為す。吾是を以て云う」と。文子曰く、「君其れ幾何(いくばく)ぞ」と。対えて曰く、「若し諸侯服せば三年を過ぎず、服せずんば十年を過ぎず。是を過ぐれば、晋の殃(わざわ)いなり」と。是の歳や、趙文子卒し、諸侯晋に叛く。十年にして、平公薨ず。