国語 / 周語下
王曰:「七律者何?」對曰:「昔武王伐殷,歲在鶉火,月在天駟,日在析木之津,辰在斗柄,星在天黿。星與日辰之位,皆在北維。顓頊之所建也,帝嚳受之。我姬氏出自天黿,及析木者,有建星及牽牛焉,則我皇妣大姜之姪伯陵之後,逄公之所憑神也。歲之所在,則我有周之分野也。月之所在,辰馬農祥也。我太祖后稷之所經緯也,王欲合是五位三所而用之。自鶉及駟七列也。南北之揆七同也,凡人神以數合之,以聲昭之。數合聲和,然後可同也。故以七同其數,而以律和其聲,於是乎有七律。 「王以二月癸亥夜陳,未畢而雨。以夷則之上宮畢,當辰。辰在戌上,故長夷則之上宮,名之曰羽,所以藩屏民則也。王以黃鍾之下宮,布戎于牧之野,故謂之厲,所以厲六師也。以太蔟之下宮,布令于商,昭顯文德,底紂之多罪,故謂之宣,所以宣三王之德也。反及嬴內,以無射之上宮,布憲施舍於百姓,故謂之嬴亂,所以優柔容民也。」
新字:王曰:「七律者何?」対曰:「昔武王伐殷,歳在鶉火,月在天駟,日在析木之津,辰在斗柄,星在天黿。星与日辰之位,皆在北維。顓頊之所建也,帝嚳受之。我姫氏出自天黿,及析木者,有建星及牽牛焉,則我皇妣大姜之姪伯陵之後,逄公之所憑神也。歳之所在,則我有周之分野也。月之所在,辰馬農祥也。我太祖后稷之所経緯也,王欲合是五位三所而用之。自鶉及駟七列也。南北之揆七同也,凡人神以数合之,以声昭之。数合声和,然後可同也。故以七同其数,而以律和其声,於是乎有七律。 「王以二月癸亥夜陳,未畢而雨。以夷則之上宮畢,当辰。辰在戌上,故長夷則之上宮,名之曰羽,所以藩屏民則也。王以黄鍾之下宮,布戎于牧之野,故謂之厲,所以厲六師也。以太蔟之下宮,布令于商,昭顕文徳,底紂之多罪,故謂之宣,所以宣三王之徳也。反及嬴内,以無射之上宮,布憲施舎於百姓,故謂之嬴乱,所以優柔容民也。」
書き下し
王曰く、「七律とは何ぞ」と。対えて曰く、「昔武王殷を伐つとき、歳は鶉火(じゅんか)に在り、月は天駟(てんし)に在り、日は析木(せきぼく)の津に在り、辰は斗柄(とへい)に在り、星は天黿(てんげん)に在り。星と日辰の位とは、皆北維に在り。顓頊(せんぎょく)の建つる所なり、帝嚳(ていこく)之を受く。我が姫氏は天黿より出づ。析木に及ぶ者は、建星及び牽牛有り、則ち我が皇妣(こうひ)大姜(たいきょう)の姪(てつ)伯陵の後、逄公(ほうこう)の憑(よ)る所の神なり。歳の在る所は、則ち我が有周の分野なり。月の在る所は、辰馬の農祥なり。我が太祖后稷の経緯する所なり。王是の五位三所を合わせて之を用いんと欲す。鶉より駟に及ぶまで七列なり。南北の揆(はか)り七同なり。凡そ人神は数を以て之を合わせ、声を以て之を昭らかにす。数合い声和し、然る後に同じくすべし。故に七を以て其の数を同じくし、律を以て其の声を和す。是に於いてか七律有り。 「王二月癸亥の夜を以て陳(じん)す。未だ畢(お)わらずして雨ふる。夷則の上宮を以て畢わる、辰に当たる。辰は戌の上に在り、故に夷則の上宮を長じ、之に名づけて羽と曰う。民則を藩屏する所以なり。王黄鍾の下宮を以て、戎を牧の野に布く、故に之を厲と謂う。六師を厲ます所以なり。太蔟の下宮を以て、令を商に布き、文徳を昭顕し、紂の多罪を底(いた)す、故に之を宣と謂う。三王の徳を宣ぶる所以なり。反りて嬴内(えいない)に及び、無射の上宮を以て、憲を布き百姓に施舎す、故に之を嬴乱と謂う。優柔にして民を容るる所以なり」と。
現代語訳
王が「七律とは何か」と尋ねた。伶州鳩は答えた。「昔、武王が殷を討ったとき、歳星(木星)は鶉火の宿に、月は天駟(房宿)に、太陽は析木の津(天の川の渡し場)に、日と月の会合点は北斗の柄の先に、辰星(水星)は天黿の宿にありました。辰星と太陽と日月の会合点の位置は、どれも北方にありました。北方は顓頊(古の帝王)が拠って立ったところで、帝嚳(周の祖先)がそれを受け継ぎました。わが姫氏は天黿から出ています。析木にかかる辺りには建星と牽牛の星があり、それはわが皇妣大姜(太王の妃)の甥にあたる伯陵の子孫、逄公がよりどころとする神です。歳星のある場所は、わが周の分野(天の区画と対応する地)です。月のある場所は辰馬(房宿・心宿)で、農事の吉兆を示す星であり、わが太祖后稷が治め営んだところです。武王はこの五つの星の位置と三つのゆかりの場所とを合わせて用いようとしたのです。鶉火から天駟までは七つの宿が並び、南から北への度数も七つにそろいます。そもそも人と神とは数によって合わせ、音によって明らかにします。数が合い音が和して、はじめて一つになることができます。だから七で数をそろえ、音律でその声を和したのです。こうして七律ができました。 「武王は二月癸亥の夜に陣を布きました。布陣が終わらないうちに雨が降り、夷則の上宮の音で布陣を終えたとき、ちょうど日月の会合点の時刻に当たりました。会合点は戌の上にありましたから、夷則の上宮を先に用いて、その楽を羽と名づけました。民の法を守る垣根とするためです。武王は黄鍾の下宮の音で、牧野に兵を並べました。だからそれを厲と呼びます。全軍を励ますためです。太蔟の下宮の音で、殷の地に命令を布き、文王の徳を明らかに示し、紂の多くの罪を責めました。だからそれを宣と呼びます。先代の三王の徳を広めるためです。凱旋して嬴内に戻ると、無射の上宮の音で、百姓に法を布き、恵みを施し罪を赦しました。だからそれを嬴乱と呼びます。ゆったりとやわらかに民を包み込むためです。」
解説
この章句が説くこと
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国語・周語下王将に無射を鋳んとし、律を伶州鳩に問う。対えて曰く、「律は均を立て度を出だす所以なり。古の神瞽(しんこ)中声を考えて之を量るに制を以てし、律を度り鍾を均しくし、百官の軌儀とす。之を紀するに三を以てし、之を平らかにするに六を以てし、十二に成る。天の道なり。夫れ六は中の色なり。故に之に名づけて黄鍾(こうしょう)と曰う。六気・九徳を宣養する所以なり。是に由りて之を第す。二に曰く太蔟(たいそう)、金奏して陽を賛(たす)け滞りを出だす所以なり。三に曰く姑洗(こせん)、百物を修潔し、神を考え賓を納るる所以なり。四に曰く蕤賓(すいひん)、神人を安靖し、献酬交酢(こうさく)する所以なり。五に曰く夷則(いそく)、九則を詠歌し、民を平らかにして貳(ふた)ごころ無からしむる所以なり。六に曰く無射、哲人の令徳を宣布し、民に軌儀を示す所以なり。之が為に六間を為(つく)り、以て沈伏を揚げて、散越を黜(しりぞ)く。元間は大呂(たいりょ)、物を宣ぶるを助くるなり。二間は夾鍾(きょうしょう)、四隙の細を出だすなり。三間は仲呂(ちゅうりょ)、中気を宣ぶるなり。四間は林鍾(りんしょう)、百事を和展し、粛純恪(しゅくじゅんかく)に任ぜざる莫からしむるなり。五間は南呂(なんりょ)、陽の秀を賛くるなり。六間は応鍾(おうしょう)、器用を均利し、応じて復せしむるなり。 「律呂易(か)わらざれば、姦物無し。細鈞は鍾有りて鎛(はく)無し、其の大を昭らかにするなり。大鈞は鎛有りて鍾無し。甚だ大なるは鎛無し、其の細を鳴らすなり。大昭らかに小鳴るは、和の道なり。和平なれば則ち久しく、久固なれば則ち純なり。純明なれば則ち終わり、終わりて復すれば則ち楽しむ。政を成す所以なり。故に先王之を貴ぶ」と。
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五行大義・第十五論律呂亦云う、応は応和の義なり。此の時将に復た陽気に応じて下に動かんとするを言うなり、と。『楽緯』に云う、黄鐘を宮と為し、林鐘を徴(ち)と為し、大簇を商と為し、南呂を羽と為し、姑洗を角と為し、応鐘を変宮と為し、蕤賓を変徴と為す、と。次を以てこれを配すれば、五音備わる。黄鐘は下りて林鐘を生ず、故に林鐘を徴と為し、黄鐘に次ぐ。林鐘は上りて大簇を生ず、故に大簇を商と為し、林鐘に次ぐ。大簇は下りて南呂を生ず、故に南呂を羽と為し、大簇に次ぐ。南呂は上りて姑洗を生ず、故に姑洗を角と為し、南呂に次ぐ。姑洗は下りて応鐘を生ず、故に応鐘を変宮と為し、姑洗に次ぐ。応鐘は上りて蕤賓を生ず、故に蕤賓を変徴と為す。凡そ七音有りて圜(めぐ)りて相宮と為る。七音とは、蓋し相生の数七なるを以ての故なり。始め黄鐘は林鐘を生ず、十二月より六月に至るまで、凡そ七月なり。服虔(ふくけん)解して云う、七律を七音と為す、と。『外伝』に解して云う、武王商に剋(か)つ、歳は鶉火に在り、日は天駟(てんし)に在り。鶉火は天駟を去ること凡そ七宿。又地辰は日甲子に在り、子より午に至るまで又七。天象・地辰、その数皆七なり。聖人は律を以てその数を同じくし、声を以てこれを招く。故に七音を以てす、と。楽は七律を以て七始に配し、故に以て三元四時を定む。故に黄鐘は以て天に配し、林鐘は以て地に配し、大簇は以て人に配し、姑洗は以て春に配し、蕤賓は以て夏に配し、南呂は以て秋に配し、応鐘は以て冬に配す。凡そ三元とは、周は建子の月を以て天正と為す、故に黄鐘の管これに配す。殷は建丑の月を以て地正と為す、応に大呂の管を以てこれに配すべし。但し陰の数は偶、未は土王、又天社たり、故にその衝を取り、地の気に応じて、林鐘の管を以てこれに配す。夏は建寅の月を以て人正と為す、故に大簇の管これに配す。夫れ陽徳は自ら処る、
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国語・周語下王聴かず、之を伶州鳩(れいしゅうきゅう)に問う。対えて曰く、「臣の守官は及ばざるなり。臣之を聞く、琴瑟は宮を尚び、鍾は羽を尚び、石は角を尚び、匏竹(ほうちく)は制を利とす。大は宮を踰えず、細は羽を過ぎず。夫れ宮は音の主なり。第して以て羽に及ぶ。聖人は楽を保ちて財を愛し、財は以て器を備え、楽は以て財を殖やす。故に楽器の重き者は細に従い、軽き者は大に従う。是を以て金は羽を尚び、石は角を尚び、瓦絲は宮を尚び、匏竹は議を尚び、革木は一声なり。 「夫れ政は楽に象(かたど)り、楽は和に従い、和は平に従う。声は以て楽を和し、律は以て声を平らかにす。金石以て之を動かし、絲竹以て之を行い、詩以て之を道い、歌以て之を詠じ、匏以て之を宣べ、瓦以て之を賛(たす)け、革木以て之を節す。物其の常を得るを楽極と曰い、極の集まる所を声と曰い、声応じて相保つを和と曰い、細大踰えざるを平と曰う。是くの如くにして、之を金に鋳、之を石に磨き、之を絲木に繋け、之を匏竹に越(うが)ち、之を鼓に節して之を行い、以て八風を遂ぐ。是に於いてか気に滞陰無く、亦散陽無く、陰陽序次し、風雨時に至り、嘉生繁祉し、人民龢利し、物備わりて楽成り、上下罷(つか)れず。故に楽正と曰う。今細其の主を過ぎて正を妨げ、物を用いること度を過ぎて財を妨げ、正害われ財匱しくして楽を妨ぐ。細抑えられ大陵ぎ、耳に容れられず、和に非ざるなり。声を聴くこと越遠なり、平に非ざるなり。正を妨げ財を匱しくし、声和平ならず、宗官の司る所に非ざるなり。 「夫れ和平の声有れば、則ち蕃殖の財有り。是に於いてか之を道くに中徳を以てし、之を詠ずるに中音を以てす。徳音愆(あやま)たず、以て神人を合す。神是を以て寧く、民是を以て聴く。若し夫れ財用を匱しくし、民力を罷らし、以て淫心を逞しくし、之を聴けども和せず、之を比ぶれども度あらず、教えに益無くして、民を離し神を怒らすは、臣の聞く所に非ざるなり」と。 王聴かず、卒に大鍾を鋳る。二十四年、鍾成り、伶人和を告ぐ。王伶州鳩に謂いて曰く、「鍾果たして和せり」と。対えて曰く、「未だ知るべからざるなり」と。王曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「上器を作り、民備(つぶさ)に之を楽しむ、則ち和と為す。今財亡び民罷れ、怨恨せざるは莫し。臣其の和を知らざるなり。且つ民の曹(とも)に好む所は、其の済らざること鮮し。其の曹に悪む所は、其の廃れざること鮮し。故に諺に曰く、『衆心城を成し、衆口金を鑠(と)かす』と。三年の中にして、害金再び興る。懼らくは一の廃れんことを」と。王曰く、「爾老耄せり。何をか知らん」と。二十五年、王崩じ、鍾和せず。
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史記 楽書且つ夫れ武は、始めて北に出で、再成して商を滅ぼし、三成して南し、四成して南国是れ疆し、五成して陜を分かち、周公は左し、召公は右し、六成して綴に復り、以て天子を崇ぶ。夾みて之を振ひて四たび伐ち、威を中国に盛(振)るふなり。分夾して進むは、事の蚤く済るなり。久しく綴に立つは、以て諸侯の至るを待つなり。且つ夫れ女独り未だ牧野の語を聞かざるか。武王殷に克ちて商に反り、未だ車を下るに及ばずして、黄帝の後を薊に封じ、帝堯の後を祝に封じ、帝舜の後を陳に封ず。車を下りて夏后氏の後を杞に封じ、殷の後を宋に封じ、王子比干の墓を封じ、箕子の囚を釈き、之をして商容を行はしめて其の位に復す。庶民は政を弛め、庶士は禄を倍す。河を済りて西し、馬は華山の陽に散じて復た乗らず、牛は桃林の野に散じて復た服せず、車甲は弢みて之を府庫に蔵して復た用ひず、干戈を倒載し、之を苞むに虎皮を以てし、将率の士は、諸侯と為さしめ、之に名づけて建櫜と曰ふ。然る後に天下武王の復た兵を用ひざるを知るなり。軍を散じて郊射し、左は貍首を射、右は騶虞を射て、革を貫くの射息む。裨冕して笏を搢みて、虎賁の士は剣を税く。明堂に祀りて、民孝を知る。朝覲して、然る後に諸侯臣たる所以を知る。藉を耕して、然る後に諸侯敬する所以を知る。五者は天下の大教なり。三老五更を太学に食はしめ、天子袒ぎて牲を割き、醤を執りて饋り、爵を執りて酳め、冕して干を総ぶ、諸侯に悌を教ふる所以なり。此くの若くなれば、則ち周道四達し、礼楽交々通ず、則ち夫の武の遅久なること、亦宜ならずや」と。子貢、師乙に見えて問ひて曰く、「賜聞く、声歌には各々宜しき有りと。賜の如き者は何を歌ふに宜しきや」と。師乙曰く、「乙は賤工なり、何ぞ以て宜しき所を問ふに足らん。
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史記 律書王者の事を制し法を立て、物度軌則は、壱に六律に稟く、六律は万事の根本為り。其の兵械に於いて尤も重んずる所なり、故に云ふ「敵を望みて吉凶を知り、声を聞きて勝負を效す」と、百王易へざるの道なり。武王紂を伐つや、律を吹きて声を聴き、孟春より推して以て季冬に至るまで、殺気相并せて、音は宮を尚ぶ。同声相従ふは、物の自然なり、何ぞ怪しむに足らんや。兵とは、聖人の彊暴を討ち、乱世を平らげ、険阻を夷らげ、危殆を救ふ所以なり。歯を含み角を戴くの獣すら犯さるれば則ち校ゆ、而るを況んや人の好悪喜怒の気を懐くに於いてをや。喜べば則ち愛心生じ、怒れば則ち毒螫加はる、情性の理なり。昔黄帝に涿鹿の戦ひ有りて、以て火災を定む。顓頊に共工の陳有りて、以て水害を平らぐ。成湯に南巣の伐有りて、以て夏の乱を殄す。遞ひに興り遞ひに廃れ、勝つ者事を用ふ、天に受くる所なり。是より後、名士迭ひに興り、晋は咎犯を用ひ、呉は孫武を用ひ、軍約を申明し、賞罰必ず信にして、卒に諸侯に伯たり、邦土を兼列す、三代の誥誓に及ばずと雖も、然れども身寵せられ君尊く、当世に顕揚す、栄と謂はざるべけんや。豈に世儒の大較に闇く、軽重を権らず、猥りに徳化を云ひて、当に兵を用ふべからずとし、大は君辱められ守りを失ふに至り、小は乃ち侵犯削弱せられて、遂に執りて移らざる等と与にせんや。故に教笞は家に廃すべからず、刑罰は国に捐つべからず、誅伐は天下に偃むべからず、之を用ふるに巧拙有り、之を行ふに逆順有るのみ。夏桀・殷紂は手ら豺狼を搏ち、足は四馬を追ふ、勇微なるに非ず。百戦して克ち勝ち、諸侯懾れ服す、権軽きに非ず。秦の二世は軍を無用の地に宿し、兵を辺陲に連ぬ、力弱きに非ず。怨みを匈奴に結び、禍ひを越に絓く、勢ひ寡なきに非ず。其の威尽き勢ひ極まるに及び、閭巷の人も敵国と為る、咎は武を窮めて足るを知らず、得るを甘しとするの心息まざるに生ずるなり。
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礼記・楽記子曰く、「居(お)れ。吾汝に語らん。夫れ楽なる者は、成れるを象(かたど)る者なり。干(たて)を総(と)りて山立するは、武王の事なり。発揚蹈厲(とうれい)するは、大公の志なり。武の乱に皆坐するは、周・召の治なり。且つ夫れ武は、始めて北に出で、再成して商を滅ぼす。三成して南し、四成して南国是れ疆(さかい)し、五成して分かちて周公は左し召公は右し、六成して綴(てい)に復して以て崇ぶ。天子これを夾みて振い、駟伐(しばつ)するは、威を中国に盛んにするなり。分かち夾みて進むは、事早く済(な)るなり。久しく綴に立つは、以て諸侯の至るを待つなり。且つ女(なんじ)独り未だ牧野の語を聞かざるか。武王殷に克ちて商に反(およ)ぶ。未だ車を下るに及ばずして黄帝の後を薊(けい)に封じ、帝堯の後を祝に封じ、帝舜の後を陳に封ず。車を下りて夏后氏の後を杞に封じ、殷の後を宋に投ず。王子比干の墓を封じ、箕子の囚を釈き、これをして商容に行かしめてその位に復す。庶民は政を弛(ゆる)め、庶士は禄を倍す。河を済(わた)りて西し、馬はこれを華山の陽に散じて、復た乗らず。牛はこれを桃林の野に散じて、復た服せず。車甲は釁(ちぬ)りてこれを府庫に蔵して、復た用いず。干戈を倒(さかしま)に載せ、これを包むに虎皮を以てす。将帥の士は、諸侯と為さしむ。これを名づけて建櫜(けんこう)と曰う。然る後に武王の復た兵を用いざるを知るなり。軍を散じて郊射し、左に貍首(りしゅ)を射、右に騶虞(すうぐ)を射て、革を貫くの射息む。裨冕(ひべん)して笏を搢(はさ)みて、虎賁(こほん)の士剣を説(と)く。明堂に祀りて民孝を知る。朝覲して然る後に諸侯臣たる所以を知り、藉を耕して然る後に諸侯敬する所以を知る。五者は、天下の大教なり。三老五更に大学に食(し)せしめ、天子袒(はだぬ)ぎて牲を割き、醤を執りて饋(すす)め、爵を執りて酳(いん)し、冕して干を総るは、諸侯の弟(てい)を教うる所以なり。此くの若くなれば則ち周道四達し、礼楽交通す。則ち夫れ武の遅久なる、亦宜ならずや」と。
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