春秋左氏伝 / 昭公二十二年 雄鶏、自ら尾を断つ
王子朝。賓起。有寵於景王。王與賓孟說之。欲立之。劉獻公之庶子伯蚡事單穆公。惡賓孟之為人也。願殺之。又惡王子朝之言。以為亂。願去之。賓孟適郊。見雄雞自斷其尾。問之侍者曰。自憚其犧也。遽歸告王。且曰。雞其憚為人用乎。人異於是。犧者實用人。人犧實難。己犧何害。王弗應。夏。四月。王田北山。使公卿皆從。將殺單子。劉子。王有心疾。乙丑。崩于榮錡氏。戊辰。劉子摯卒。無子。單子立劉蚡。五月。庚辰。見王。遂攻賓起。殺之。盟群王子于單氏。晉之取鼓也。既獻而反鼓子焉。又叛於鮮虞。六月。荀吳略東陽。使師偽糴者。負甲以息於昔陽之門外。遂襲鼓滅之。以鼓子鳶鞮歸。使涉佗守之。
新字:王子朝。賓起。有寵於景王。王与賓孟説之。欲立之。劉献公之庶子伯蚡事単穆公。悪賓孟之為人也。願殺之。又悪王子朝之言。以為乱。願去之。賓孟適郊。見雄鶏自断其尾。問之侍者曰。自憚其犠也。遽帰告王。且曰。鶏其憚為人用乎。人異於是。犠者実用人。人犠実難。己犠何害。王弗応。夏。四月。王田北山。使公卿皆従。将殺単子。劉子。王有心疾。乙丑。崩于栄錡氏。戊辰。劉子摯卒。無子。単子立劉蚡。五月。庚辰。見王。遂攻賓起。殺之。盟群王子于単氏。晋之取鼓也。既献而反鼓子焉。又叛於鮮虞。六月。荀呉略東陽。使師偽糴者。負甲以息於昔陽之門外。遂襲鼓滅之。以鼓子鳶鞮帰。使渉佗守之。
書き下し
王子朝・賓起、景王に寵有り。王賓孟と之を說び、之を立てんと欲す。劉獻公の庶子伯蚡、單穆公に事ふ。賓孟の人と為りを惡み、之を殺さんと願ふ。又王子朝の言を惡み、以って亂と為し、之を去らんと願ふ。賓孟郊に適き、雄雞の自ら其の尾を斷つを見る。之を侍者に問ふ、曰く、「自ら其の犧たるを憚るなり」と。遽かに歸りて王に告げ、且つ曰く、「雞其れ人の用と為るを憚るか。人は是に異なり。犧は實に人に用ゐらる。人の犧たるは實に難し。己の犧たるは何ぞ害あらん」と。王應へず。夏、四月、王北山に田し、公卿をして皆從はしめ、將に單子・劉子を殺さんとす。王心疾有り。乙丑、榮錡氏に崩ず。戊辰、劉子摯卒す。子無し。單子劉蚡を立つ。五月、庚辰、王に見え、遂に賓起を攻めて、之を殺す。群王子に單氏に盟ふ。晉の鼓を取るや、既に獻じて鼓子を反す。又鮮虞に叛く。六月、荀吳東陽を略し、師をして糴(かいよね)する者に偽りて、甲を負ひて以って昔陽の門外に息はしめ、遂に鼓を襲ひて之を滅し、鼓子鳶鞮を以って歸り、涉佗をして之を守らしむ。
現代語訳
王子朝(おうじちょう、景王の庶長子)と賓起(ひんき、賓孟)は周の景王に寵愛されていた。景王は賓孟とともに王子朝を気に入り、太子に立てようとした。劉献公(りゅうけんこう)の庶子の伯蚡(はくふん)は単穆公(ぜんぼくこう)に仕えていたが、賓孟の人柄を憎んでこれを殺したいと願い、また王子朝の言動を憎んで乱のもとだと考え、排除したいと願っていた。賓孟が郊外に出かけると、雄鶏が自分で自分の尾を断ち切っているのを見た。そばの者に尋ねると、「いけにえにされるのを嫌がっているのです(美しい尾の鶏が犠牲に選ばれるため)」と答えた。賓孟は急いで帰って王に告げ、こう言った。「鶏は人に使われるのを嫌がるのでしょうか。人はこれとは違います。いけにえとは、実は人に使われるものです。人のいけにえとなるのは本当につらいことですが、自分自身のために飾られるのなら何の害がありましょう(王子朝を立てて、他人の犠牲ではなく王家自身のための人とすべきです)」。王は答えなかった。夏四月、景王は北山で狩りを催し、公卿全員を従わせ、そこで単子(単穆公)と劉子(劉献公)を殺そうとした。ところが王は心臓の病を患い、乙丑の日、栄錡氏の家で崩御した。戊辰の日、劉子摯(劉献公)が亡くなった。子がなかったので、単子は劉蚡(伯蚡)を後継に立てた。五月庚辰の日、単子らは新王(悼王、王子猛)に謁見し、そのまま賓起を攻めて殺した。王子たちを単氏の屋敷で盟わせた。晋が鼓を攻め取ったとき、戦利品を献上した後、鼓の君を国に帰してやった。ところが鼓はまた晋に背いて鮮虞についた。六月、晋の荀呉は東陽を攻略し、兵を穀物の買い付け人に変装させ、鎧を背負ったまま昔陽の門外で休ませ、そのまま鼓を襲って滅ぼし、鼓の君の鳶鞮(えんてい)を連れ帰り、渉佗(しょうだ)にこの地を守らせた。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公二十二年 王子朝の乱丁巳、景王を葬る。王子朝、舊官・百工の職秩を喪ひし者と、靈・景の族とに因りて、以って亂を作す。郊・要・餞の甲を帥ゐて、以って劉子を逐ふ。壬戌、劉子揚に奔る。單子悼王を莊宮に逆へて、以って歸る。王子還、夜王を取りて以って莊宮に如く。癸亥、單子出づ。王子還、召莊公と謀りて曰く、「單旗を殺さずんば、捷たず。之と重盟せば、必ず來らん。盟に背きて克つ者多し」と。之に從ふ。樊頃子曰く、「言に非ざるなり。必ず克たざらん」と。遂に王を奉じて以って單子を追ひ、領に及び、大いに盟ひて復る。摯荒を殺して以って說く。劉子劉に如く。單子亡ぐ。乙丑、平畤に奔る。群王子之を追ふ。單子、還・姑・發・弱・鬷・延・定・稠を殺す。子朝京に奔る。丙寅、之を伐つ。京人山に奔る。劉子王城に入る。辛未、鞏簡公京に敗績す。乙亥、甘平公も亦た焉に敗る。叔鞅京師より至る。
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 王子朝の檄文天周を弔(あはれ)まず、王昏くして若(したが)はず、用って厥の位を愆(うしな)ふ。攜王(けいおう)命を奸(をか)す。諸侯之を替へて、王嗣を建て、用って郟鄏(こうじょく)に遷る。則ち是れ兄弟の能く力を王室に用ふるなり。惠王に至り、天周を靖んぜず、頹に禍心を生じ、叔帶に施(およ)ぶ。惠・襄難を辟け、王都を越え去る。則ち晉・鄭有りて、咸(みな)不端を黜け、以って王家を綏定す。則ち是れ兄弟の能く先王の命に率ふなり。定王の六年に在りて、秦人妖を降して曰く、『周其れ髭王有らん。亦た克く其の職を脩め、諸侯服享し、二世職を共にせん。王室其れ王位を間(うかが)ふもの有らん。諸侯圖らずして、其の亂災を受けん』と。靈王に至り、生まれながらにして髭有り。王甚だ神聖にして、諸侯に惡まるること無し。靈王・景王、克く其の世を終ふ。今王室亂る。單旗・劉狄、天下を剝亂し、壹に若はざるを行ひ、謂ふ、『先王何の常か之れ有らん。唯だ余が心の命ずる所なり。其れ誰か敢へて之を請はん』と。群不弔の人を帥ゐて、以って亂を王室に行ひ、侵欲厭くこと無く、規求度無し。
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『春秋左氏伝』昭公二十五年 季氏を怨む者たち初め、季公鳥、妻を齊の鮑文子に娶り、甲を生む。公鳥死す。季公亥、公思展と、公鳥の臣申夜姑と、其の室を相く。季姒、饔人檀と通ずるに及び、懼る。乃ち其の妾をして己を抶(う)たしめ、以って秦遄の妻に示して曰く、「公若余を使はんと欲す。余可かずして余を抶てり」と。又公甫に訴へて曰く、「展と夜姑と將に余を要せんとす」と。秦姬以って公之に告ぐ。公之、公甫と平子に告ぐ。平子展を卞に拘へて、夜姑を執へ、將に之を殺さんとす。公若泣きて之を哀しみて曰く、「是を殺すは、是れ余を殺すなり」と。將に之が為に請はんとす。平子豎をして内れしむる勿からしむ。日中まで請ふを得ず。有司命を逆ふ。公之速やかに之を殺さしむ。故に公若平子を怨む。季・郈の雞鬥ふ。季氏其の雞に介し、郈氏之が為に金距す。平子怒りて、宮を郈氏に益し、且つ之を讓む。故に郈昭伯も亦た平子を怨む。臧昭伯の從弟會、臧氏に讒を為して、季氏に逃る。臧氏旃を執ふ。平子怒りて、臧氏の老を拘ふ。將に襄公に禘せんとす。萬する者二人のみ。其の衆は季氏に萬す。臧孫曰く、
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 王子朝、典籍を奉じて楚に奔る十一月、辛酉、晉の師鞏に克つ。召伯盈、王子朝を逐ふ。王子朝及び召氏の族、毛伯得、尹氏固、南宮嚚(なんきゅうぎん)、周の典籍を奉じて、以って楚に奔る。陰忌、莒に奔りて以って叛く。召伯、王を尸に逆へ、劉子・單子に及びて盟ふ。遂に圉澤に軍し、隄上に次る。癸酉、王成周に入る。甲戌、襄宮に盟ふ。晉の師、成公般をして周を戍らしめて還る。十二月、癸未、王莊宮に入る。王子朝、諸侯に告げしめて曰く、「昔武王殷に克ち、成王四方を靖んじ、康王民を息はしむ。並びに母弟を建てて、以って周に蕃屏たらしむ。亦た曰く、『吾專ら文武の功を享くること無し。且つ後人の迷敗傾覆して、難に溺入するが為には、則ち之を振救せよ』と。夷王に至り、王厥の身に愆(やまひ)あり。諸侯並びに其の望に走りて、以って王の身を祈らざる莫し。厲王に至り、王の心戾虐にして、萬民忍びず、王を彘(てい)に居らしむ。諸侯位を釋てて、以って王政に間(あづか)る。宣王志有りて、而る後に官を效す。幽王に至り、
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史記 魯周公世家師己曰く、「文・成の世の童謡に曰く、『鸜鵒来りて巣くへば、公は乾侯に在り。鸜鵒入りて処れば、公は外野に在り』と」。季氏、郈氏と鶏を闘はす。季氏は鶏の羽に芥し、郈氏は距に金す。季平子怒りて郈氏を侵す。郈昭伯も亦平子を怒る。臧昭伯の弟会、偽りて臧氏を讒し、季氏に匿る。臧昭伯、季氏の人を囚ふ。季平子怒りて、臧氏の老を囚ふ。臧・郈氏、難を以て昭公に告ぐ。昭公、九月戊戌、季氏を伐ち、遂に入る。平子、台に登りて請ひて曰く、「君、讒を以て臣の罪を察せずして之を誅せんとす。請ふ沂上に遷らん」と。許さず。鄪に囚はれんことを請ふも、許さず。五乗を以て亡げんことを請ふも、許さず。子家駒曰く、「君其れ之を許せ。政の季氏よりすること久し。徒為る者衆し。衆将に合謀せんとす」と。聴かず。郈氏曰く、「必ず之を殺せ」と。叔孫氏の臣戾、其の衆に謂ひて曰く、「季氏無きと有ると、孰れか利ある」と。皆曰く、「季氏無くんば是れ叔孫氏無きなり」と。戾曰く、「然り。季氏を救へ」と。遂に公の師を敗る。孟懿子、叔孫氏の勝てるを聞き、亦郈昭伯を殺す。郈昭伯は公の使と為る。故に孟氏之を得たり。三家共に公を伐つ。公遂に奔る。己亥、公、斉に至る。斉の景公曰く、「請ふ千社を致して君を待せん」と。子家曰く、「周公の業を棄てて斉に臣たるは、可ならんや」と。乃ち止む。子家曰く、「斉の景公は信無し。早く晋に之くに如かず」と。従はず。叔孫、公に見えて還り、平子に見ゆ。平子頓首す。初め昭公を迎へんと欲するも、孟孫・季孫後に悔い、乃ち止む。二十六年春、斉、魯を伐ち、鄆を取りて昭公を居らしむ。夏、斉の景公将に公を内れんとし、魯の賂を受くる無からしむ。申豊・汝賈、斉の臣高齕・子将に粟五千庾を許す。子将、斉侯に言ひて曰く、「群臣は魯君に事ふる能はず、異有り。宋の元公は魯の為に晋に如き、之を内れんことを求むるも、道に卒す。叔孫昭子は其の君を内れんことを求むるも、病無くして死す。知らず、天魯を棄つるか。
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