国語 / 周語下
「夫樂不過以聽耳,而美不過以觀目。若聽樂而震,觀美而眩,患莫甚焉。夫耳目,心之樞機也,故必聽和而視正。聽和則聰,視正則明。聰則言聽,明則德昭。聽言昭德,則能思慮純固。以言德於民,民歆而德之,則歸心焉。上得民心,以殖義方,是以作無不濟,求無不獲,然則能樂。夫耳內和聲,而口出美言,以為憲令,而布諸民,正之以度量,民以心力,從之不倦。成事不貳,樂之至也。口內味而耳內聲,聲味生氣。氣在口為言,在目為明。言以信名,明以時動。名以成政,動以殖生。政成生殖,樂之至也。若視聽不和,而有震眩,則味入不精,不精則氣佚,氣佚則不和。於是乎有狂悖之言,有眩惑之明,有轉易之名,有過慝之度。出令不信,刑政放紛,動不順時,民無據依,不知所力,各有離心。上失其民,作則不濟,求則不獲,其何以能樂?三年之中,而有離民之器二焉,國其危哉!」
新字:「夫楽不過以聴耳,而美不過以観目。若聴楽而震,観美而眩,患莫甚焉。夫耳目,心之枢機也,故必聴和而視正。聴和則聰,視正則明。聰則言聴,明則徳昭。聴言昭徳,則能思慮純固。以言徳於民,民歆而徳之,則帰心焉。上得民心,以殖義方,是以作無不済,求無不獲,然則能楽。夫耳内和声,而口出美言,以為憲令,而布諸民,正之以度量,民以心力,従之不倦。成事不貳,楽之至也。口内味而耳内声,声味生気。気在口為言,在目為明。言以信名,明以時動。名以成政,動以殖生。政成生殖,楽之至也。若視聴不和,而有震眩,則味入不精,不精則気佚,気佚則不和。於是乎有狂悖之言,有眩惑之明,有転易之名,有過慝之度。出令不信,刑政放紛,動不順時,民無拠依,不知所力,各有離心。上失其民,作則不済,求則不獲,其何以能楽?三年之中,而有離民之器二焉,国其危哉!」
書き下し
「夫れ楽は以て耳に聴くに過ぎず、而して美は以て目に観るに過ぎず。若し楽を聴きて震い、美を観て眩(くら)めば、患い焉(これ)より甚だしきは莫し。夫れ耳目は心の枢機なり。故に必ず和を聴きて正を視る。和を聴けば則ち聡く、正を視れば則ち明らかなり。聡ければ則ち言聴かれ、明らかなれば則ち徳昭らかなり。言を聴き徳を昭らかにすれば、則ち能く思慮純固なり。以て徳を民に言えば、民歆(よろこ)びて之を徳とし、則ち心を帰す。上民の心を得て、以て義方を殖(た)つ。是を以て作して済(な)らざる無く、求めて獲ざる無し。然れば則ち能く楽しむ。夫れ耳和声を内(い)れて、口美言を出だし、以て憲令と為して、諸(これ)を民に布き、之を正すに度量を以てすれば、民心力を以て之に従いて倦まず。事を成して貳(たが)わざるは、楽の至りなり。口味を内れて耳声を内れ、声味気を生ず。気口に在りては言と為り、目に在りては明と為る。言以て名を信(まこと)にし、明以て時に動く。名以て政を成し、動以て生を殖やす。政成り生殖ゆるは、楽の至りなり。若し視聴和せずして、震眩有らば、則ち味入りて精ならず。精ならざれば則ち気佚(いっ)し、気佚すれば則ち和せず。是に於いてか狂悖の言有り、眩惑の明有り、転易の名有り、過慝(かとく)の度有り。令を出だして信ならず、刑政放紛し、動きて時に順わず、民拠依無く、力むる所を知らず、各々離心有り。上其の民を失えば、作せば則ち済らず、求むれば則ち獲ず。其れ何を以てか能く楽しまん。三年の中にして、民を離すの器二つ有り。国其れ危うきかな」と。
現代語訳
(単穆公は続けた。)「そもそも音楽は耳で聴くためのものにすぎず、美しいものは目で見るためのものにすぎません。もし音楽を聴いて耳が震え、美しいものを見て目がくらむなら、これほどの害はありません。耳と目は心の要となる入り口です。だから必ず調和した音を聴き、正しいものを見なければなりません。調和した音を聴けば耳はさとく、正しいものを見れば目は明らかになります。耳がさとければ言葉は聴き入れられ、目が明らかなら徳は輝きます。聴き入れられる言葉と輝く徳があれば、思慮は純一で堅固になります。そうして民に徳を説けば、民は喜んでそれを徳と仰ぎ、心を寄せてきます。上に立つ者が民の心を得て、正しい道を打ち立てるからこそ、何をしても成し遂げられ、何を求めても得られるのです。そうであってはじめて音楽を楽しむことができます。耳が調和した音を受け入れれば、口からはよい言葉が出ます。それを法令として民に行き渡らせ、度量によって正せば、民は心と力を尽くして倦むことなく従います。事を成し遂げて違うことがないのが、楽しみの極みです。口が味を受け入れ、耳が音を受け入れて、音と味とが気を生みます。気が口にあれば言葉となり、目にあれば明らかさとなります。言葉によって号令をまことにし、明らかさによって時にかなって動きます。号令によって政治が成り、時にかなった動きによって暮らしが豊かになります。政治が成り暮らしが豊かになることこそ、楽しみの極みです。もし見聞きすることが調和を欠き、耳が震え目がくらむなら、味わいも身に精しく入らず、精しく入らなければ気が散り、気が散れば調和を失います。すると道理に外れた言葉が出、惑わされた見方をし、号令がころころ変わり、法度に過ちが生じます。命令を出しても信用されず、刑罰や政治は乱れ、動きは時節に合わず、民は頼るものがなく、何に力を尽くせばよいかわからず、それぞれ離れる心を抱きます。上に立つ者が民を失えば、何をしても成し遂げられず、何を求めても得られません。それでどうして楽しむことができましょう。わずか三年のうちに、民を離れさせる器を二つも作るのです。国は危ういことでしょう。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之一天地は大寒大暑、大風大雨、迅雷地震、大変の時に方ると雖も、其の太和を失はず。是を以て万物を発育して、生理息まず。人は艱難多事の時、窮困危変の時に方り、横逆払戻の事に遇ふと雖も、従容自得、随処にして之を楽しむの工夫を忘るべからず。中庸の所謂君子は其の位に素して行ひ、入るとして自得せざること無しといふ者なり。苟も此くの如くならざれば、則ち天地の和気と相似ず。
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『慎思録』巻之五礼楽は、聖人の人に教ふるの具なり。故に曰く、礼楽は斯須も身を去るべからず、と。蓋し礼楽に本有り文有り。礼楽の文は繁多なりと雖も、然れども礼の本は是れ一箇の敬、楽の本は是れ一箇の和なり。礼、之を外に表せば、則ち制度品節と為り、楽、之を外に表せば、則ち詠歌舞蹈と為る。所謂礼楽の文なり。本無ければ則ち立たず、文無ければ則ち行はれず。故に礼楽は本と文とを兼ねて全備と為す。礼勝れば則ち離る。故に楽有るを要す。楽勝れば則ち流る。故に礼有るを要す。二者相済ふべく、一を闕くべからざるなり。
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『慎思録』巻之四君子は礼楽を以て修身の本と為す。礼楽に本有り文有り。是れ礼楽の本を指して言ふ。斯須も身を去るべからざる所以なり。蓋し礼は恭敬を以て本と為し、楽は和楽を以て本と為す。文有る者は其の末なり。礼楽を以て身を修むる者は、須らく恭敬和楽並び行はれて、相悖らざるべし。文の如き者は、又其の助けなり。固より其の助け無かるべからざるなり。而れども之を以て専務と為すべからず。
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論語・八佾篇三家者、雍を以て徹す。子曰く、『相維(かな)い辟公、天子穆穆(ぼくぼく)。何をか三家の堂に取りてか。』
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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