国語 / 周語下
「天所崇之子孫,或在畎畝,由欲亂民也。畎畝之人,或在社稷,由欲靖民也。無有異焉!《詩》云:『殷鑒不遠,在夏后之世。』將焉用飾宮?其以徼亂也。度之天神,則非祥也。比之地物,則非義也。類之民則,則非仁也。方之時動,則非順也。咨之前訓,則非正也。觀之詩書,與民之憲言,則皆亡王之為也。上下議之,無所比度,王其圖之!夫事大不從象,小不從文。上非天刑,下非地德,中非民則,方非時動而作之者,必不節矣。作又不節,害之道也。」 王卒壅之。及景王多寵人,亂於是乎始生。景王崩,王室大亂。及定王,王室遂卑。
新字:「天所崇之子孫,或在畎畝,由欲乱民也。畎畝之人,或在社稷,由欲靖民也。無有異焉!《詩》云:『殷鑒不遠,在夏后之世。』将焉用飾宮?其以徼乱也。度之天神,則非祥也。比之地物,則非義也。類之民則,則非仁也。方之時動,則非順也。咨之前訓,則非正也。観之詩書,与民之憲言,則皆亡王之為也。上下議之,無所比度,王其図之!夫事大不従象,小不従文。上非天刑,下非地徳,中非民則,方非時動而作之者,必不節矣。作又不節,害之道也。」 王卒壅之。及景王多寵人,乱於是乎始生。景王崩,王室大乱。及定王,王室遂卑。
書き下し
「天の崇(たか)くする所の子孫も、或いは畎畝(けんぽ)に在るは、民を乱さんと欲するに由るなり。畎畝の人も、或いは社稷に在るは、民を靖んぜんと欲するに由るなり。異なること有る無し。詩に云う、『殷鑒(いんかん)遠からず、夏后の世に在り』と。将た焉んぞ宮を飾るを用いん。其れ以て乱を徼(もと)むるなり。之を天神に度(はか)れば、則ち祥に非ざるなり。之を地物に比ぶれば、則ち義に非ざるなり。之を民則に類すれば、則ち仁に非ざるなり。之を時動に方(くら)ぶれば、則ち順に非ざるなり。之を前訓に咨(はか)れば、則ち正に非ざるなり。之を詩書と民の憲言とに観れば、則ち皆亡王の為なり。上下之を議するに、比度する所無し。王其れ之を図れ。夫れ事は大は象に従わず、小は文に従わず。上は天刑に非ず、下は地徳に非ず、中は民則に非ず、方は時動に非ずして之を作す者は、必ず節あらず。作して又節あらざるは、害の道なり」と。 王卒(つい)に之を壅ぐ。景王に及びて寵人多く、乱是に於いてか始めて生ず。景王崩じ、王室大いに乱る。定王に及びて、王室遂に卑し。
現代語訳
(太子晋は続けた。)「天が高い地位を与えた者の子孫でも、田畑で働く身に落ちることがあるのは、民を乱そうとしたからです。田畑の民でも、国の祭祀をつかさどる地位に上ることがあるのは、民を治めようとしたからです。この道理に例外はありません。『詩』に『殷の鑑とすべきものは遠くにあるのではない。夏王朝の末の世にある』とあります。どうして宮殿を取り繕う必要がありましょう。それはかえって乱を招くことです。天の神に照らせば吉祥ではなく、地の物に比べれば義ではなく、民の法に照らせば仁ではなく、時節の動きに比べれば順ではなく、先人の教えに問えば正しくありません。『詩』『書』や民の間の格言に照らしてみても、どれも滅んだ王のしわざと同じです。上から下まで議論しても、比べてよしとできるものは何もありません。王よ、よくお考えください。そもそもこの事業は、大きく見れば天の象に従わず、小さく見れば詩書の教えに従っていません。上は天の法ではなく、下は地の利ではなく、中は民の法ではなく、四方は時節の動きではないのに、それを行えば、必ず節度を失います。行ってしかも節度を失うのは、害を招く道です。」 王は結局、川をせき止めた。景王の代になると寵臣が多く、乱はここから始まった。景王が崩じると王室は大いに乱れ、定王の代に至って、王室はついに衰えた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公元年 皿蟲を蠱と為す風淫すれば末疾、雨淫すれば腹疾、晦淫すれば惑疾、明淫すれば心疾。女は陽物にして晦時なり。淫すれば則ち内熱惑蠱の疾を生ず。今君節せず時ならず、能く此に及ぶこと無からんや」と。出でて趙孟に告ぐ。趙孟曰く、「誰か良臣に當たる」と。對へて曰く、「主是れを謂ふなり。主晉國に相たること、今に於いて八年、晉國亂無く、諸侯闕くる無し。良と謂ふ可し。和之を聞く、國の大臣は、其の寵祿を榮とし、其の大節を任ず。菑禍興る有りて改むる無くんば、必ず其の咎を受く。今君淫に至りて以って疾を生じ、將に社稷を圖恤すること能はざらんとす。禍孰(いづ)れか焉より大ならん。主禦ぐこと能はず。吾是を以って云ふなり」と。趙孟曰く、「何をか蠱と謂ふ」と。對へて曰く、「淫溺惑亂の生ずる所なり。文に於いて、皿蟲を蠱と為す。穀の飛ぶも亦た蠱と為す。周易に在りては、女男を惑はし、風山を落とす、之を蠱と謂ふ。皆同物なり」と。趙孟曰く、「良醫なり」と。厚く其の禮して之を歸す。
-
『春秋左氏伝』襄公四年 和戎の五利少康を立つ。少康、澆を過に滅ぼし、后杼、豷を戈に滅ぼす。有窮、是に由りて遂に亡ぶ。人を失ふが故なり。昔、周の辛甲の大史たるや、百官に命じ、官ごとに王の闕を箴(いまし)めしむ。虞人の箴に於て曰く、『芒芒たる禹の跡、畫して九州と爲し、九道を經啟す。民に寢廟有り、獸に茂草有り。各〻攸(ところ)を處(しめ)る有り、德用(もつ)て擾れず。帝夷羿に在りては、原獸に冒(むさぼ)り、其の國の恤(うれ)ひを忘れて、其の麀牡(ゆうぼ)を思ふ。武は重ぬべからず、用て夏家を恢(ひろ)めず。獸臣原を司る、取りて僕夫に告ぐ』と。虞箴是くの如し。懲りざるべけんや」と。是に於て晉侯田を好む。故に魏絳之に及ぶ。公曰く、「然らば則ち戎に和するに如くは莫きか」と。對へて曰く、「戎に和するに五利有り。戎狄は荐居(せんきょ)し、貨を貴びて土を易(かろ)んず。土賈(か)ふべし。一なり。邊鄙聳(おそ)れず、民其の野に狎れ、穡人(しょくじん)功を成す。二なり。戎狄晉に事へ、四鄰振動し、諸侯威懷す。三なり。德を以て戎を綏んじ、師徒動かず、甲兵頓(つか)れず。四なり。后羿に鑒みて、德度を用ゐ、遠きは至り邇(ちか)きは安んず。五なり。君其れ之を圖れ」と。公說(よろこ)び、魏絳をして諸戎と盟はしむ。民事を脩め、田するに時を以てす。冬、十月、邾人・莒人、鄫を伐つ。臧紇、鄫を救ひ、邾を侵し、狐駘(こたい)に敗る。國人の喪を逆ふる者、皆髽(ざ)す。魯、是に於てか始めて髽す。國人之を誦して曰く、「臧の狐裘、我を狐駘に敗る。我が君は小子、朱儒是れ使ふ。朱儒よ朱儒よ、我をして邾に敗らしむ」と。
-
史記 滑稽列伝威王大いに説び、酒を後宮に置き、髡を召して之に酒を賜ふ。問ひて曰く、「先生能く飲むこと幾何にして酔ふ」と。対へて曰く、「臣、一斗を飲みて亦酔ひ、一石にして亦酔ふ」と。
-
国語・晋語九梗陽(こうよう)の人に獄有り。将に勝たざらんとす。賂(まいない)を魏献子(ぎけんし)に納れんと請う。献子将に之を許さんとす。閻没(えんぼつ)、叔寛(しゅくかん)に謂いて曰く、「子と与(とも)に諫めんか。吾が主は賄せざるを以て諸侯に聞こゆ。今梗陽の賄を以て之を殃(そこな)うは、不可なり」と。二人朝して退かず。献子将に食せんとし、誰か庭に於けると問う。曰く、「閻明・叔褒(しゅくほう)在り」と。之を召して食を佐(すす)めしむ。食し已(おわ)るに比(およ)びて、三たび歎ず。既に飽き、献子焉(これ)に問いて曰く、「人言える有り、曰く、唯だ食のみ以て憂いを忘るべし、と。吾子一食の間にして三たび歎ずるは何ぞや」と。辞を同じうして対えて曰く、「吾は小人なり、貪る。饋(き)の始めて至るや、其の足らざるを懼る。故に歎ず。中食にして自ら咎めて曰く、豈に主の食にして足らざること有らんや、と。是を以て再び歎ず。主の既已に食するや、願わくは小人の腹を以て君子の心と為し、饜(あ)くに属(いた)りて已(や)まんことを。是を以て三たび歎ず」と。献子曰く、「善し」と。乃ち梗陽の人を辞す。
-
史記 白起王翦列伝是の時、武安君病み、行くに任へず。四十九年正月、陵、邯鄲を攻むるも、利少なし。秦益々兵を発して陵を佐く。陵の兵、五校を亡ふ。武安君病愈ゆ、秦王、武安君をして陵に代はりて将たらしめんと欲す。武安君言ひて曰く、「邯鄲は実に未だ攻め易からざるなり。且つ諸侯の救ひ日に至らん。彼の諸侯の秦を怨むの日久し。今、秦は長平の軍を破ると雖も、秦の卒の死する者は半ばを過ぎ、国内空し。遠く河山を絶りて人の国都を争はば、趙はその内に応じ、諸侯はその外を攻めん。秦の軍を破ること必せり。不可なり」と。秦王自ら命ずるも、行かず。乃ち応侯をしてこれを請はしむ、武安君終に辞して行くことを肯んぜず、遂に病と称す。秦王、王齕をして陵に代はりて将たらしめ、八九月、邯鄲を囲むも、抜く能はず。楚、春申君及び魏の公子をして兵数十万を将ゐて秦の軍を攻めしむ、秦の軍失亡多し。武安君言ひて曰く、「秦、臣の計を聴かず、今如何ぞや」と。秦王これを聞きて怒り、彊ひて武安君を起こす、武安君遂に病甐しと称す。応侯これを請ふも、起たず。是に於いて武安君を免じて士伍と為し、これを陰密に遷す。武安君病み、未だ行く能はず。居ること三月、諸侯秦の軍を攻むること急にして、秦の軍数々卻き、使者日に至る。秦王乃ち人をして白起を遣らしめ、咸陽の中に留まるを得ざらしむ。武安君既に行き、咸陽の西門を出づること十里、杜郵に至る。秦の昭王、応侯・群臣と議して曰く、「白起の遷るや、その意尚ほ怏怏として服せず、余言有り」と。秦王乃ち使者をしてこれに剣を賜ひ、自裁せしむ。武安君、剣を引きて将に自ら剄ねんとして、曰く、「我何の罪ありて天に于いて此に至るや」と。良久しくして、曰く、「我固より当に死すべし。長平の戦ひ、趙の卒の降る者数十万人、我詐りて尽くこれを阬にす、是れ以て死するに足る」と。遂に自殺す。武安君の死するや、秦の昭王五十年十一月を以てす。死して其の罪に非ず、秦人これを憐れみ、郷邑皆これを祭祀す。
-
呂氏春秋・達鬱③管仲、桓公を觴し、日暮れたり。桓公之を樂しみて燭を徴む。管仲曰く、「臣、其の晝を卜するも、未だ其の夜を卜せず。君以て出づ可し。」公說ばず、曰く、「仲父年老いたり。寡人、仲父と樂しみを為すこと將た之を幾たびかせん。請う之を夜にせん。」管仲曰く、「君過てり。夫れ味に厚き者は、徳に薄く、樂しみに沈む者は、憂に反る。壯にして怠れば則ち時を失い、老いて解れば則ち名無し。臣乃ち今將に君が為に之を勉めんとす。若何ぞ其れ酒に沈むや。」管仲は能く行いを立つと謂う可し。凡そ行の墮るるや樂しみに於いてす。今樂しみて益々飭す。行の壞るるや貴に於いてす。今主留まらんと欲するも許さず。志を伸べ理を行い、貴樂に變を為さず、以て其の主に事う。此れ桓公の霸たりし所以なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る