春秋左氏伝 / 昭公元年 皿蟲を蠱と為す
風淫末疾。雨淫腹疾。晦淫惑疾。明淫心疾。女陽物而晦時。淫則生内熱惑蠱之疾。今君不節不時能無及此乎。出告趙孟。趙孟曰。誰當良臣。對曰。主是謂矣。主相晉國。於今八年。晉國無亂。諸侯無闕。可謂良矣。和聞之。國之大臣。榮其寵祿。任其大節。有菑禍興而無改焉。必受其咎。今君至於淫以生疾。將不能圖恤社稷。禍孰大焉。主不能禦。吾是以云也。趙孟曰。何謂蠱。對曰。淫溺惑亂之所生也。於文。皿蟲為蠱。穀之飛亦為蠱。在周易。女惑男。風落山。謂之蠱。皆同物也。趙孟曰。良醫也。厚其禮而歸之。
新字:風淫末疾。雨淫腹疾。晦淫惑疾。明淫心疾。女陽物而晦時。淫則生内熱惑蠱之疾。今君不節不時能無及此乎。出告趙孟。趙孟曰。誰当良臣。対曰。主是謂矣。主相晋国。於今八年。晋国無乱。諸侯無闕。可謂良矣。和聞之。国之大臣。栄其寵禄。任其大節。有菑禍興而無改焉。必受其咎。今君至於淫以生疾。将不能図恤社稷。禍孰大焉。主不能禦。吾是以云也。趙孟曰。何謂蠱。対曰。淫溺惑乱之所生也。於文。皿虫為蠱。穀之飛亦為蠱。在周易。女惑男。風落山。謂之蠱。皆同物也。趙孟曰。良医也。厚其礼而帰之。
書き下し
風淫すれば末疾、雨淫すれば腹疾、晦淫すれば惑疾、明淫すれば心疾。女は陽物にして晦時なり。淫すれば則ち内熱惑蠱の疾を生ず。今君節せず時ならず、能く此に及ぶこと無からんや」と。出でて趙孟に告ぐ。趙孟曰く、「誰か良臣に當たる」と。對へて曰く、「主是れを謂ふなり。主晉國に相たること、今に於いて八年、晉國亂無く、諸侯闕くる無し。良と謂ふ可し。和之を聞く、國の大臣は、其の寵祿を榮とし、其の大節を任ず。菑禍興る有りて改むる無くんば、必ず其の咎を受く。今君淫に至りて以って疾を生じ、將に社稷を圖恤すること能はざらんとす。禍孰(いづ)れか焉より大ならん。主禦ぐこと能はず。吾是を以って云ふなり」と。趙孟曰く、「何をか蠱と謂ふ」と。對へて曰く、「淫溺惑亂の生ずる所なり。文に於いて、皿蟲を蠱と為す。穀の飛ぶも亦た蠱と為す。周易に在りては、女男を惑はし、風山を落とす、之を蠱と謂ふ。皆同物なり」と。趙孟曰く、「良醫なり」と。厚く其の禮して之を歸す。
現代語訳
風が過ぎれば手足の病、雨が過ぎれば腹の病、晦(夜)が過ぎれば惑いの病、明(昼)が過ぎれば心の病となります。女は陽に属するものでありながら、晦(夜)の時に交わるものです。度を過ごせば、内に熱がこもり心が惑う蠱の病を生じます。いま君は節度もなく時もわきまえておられない。こうならずに済むはずがありましょうか」。医和は退出して趙孟(趙武、晋の執政)に告げた。趙孟は言った。「(先ほどの)良臣とは誰のことか」。答えて言った。「あなたのことです。あなたが晋国の宰相となってから今年で八年、晋国には乱がなく、諸侯との関係にも欠けるところがありません。良臣と言うべきです。私はこう聞いております。国の大臣は、君の寵愛と俸禄を栄誉として受け、国の大事を任される。災いや禍が起こっているのにそれを改めなければ、必ずその咎を受ける、と。いま君は淫楽の果てに病となり、国家のことを考え憂えることができなくなろうとしています。これより大きな禍がありましょうか。あなたはそれを防ぐことができなかった。だから私は(良臣が死ぬと)申したのです」。趙孟は言った。「蠱とは何か」。答えて言った。「淫楽におぼれ、惑い乱れることから生まれるものです。文字の上では、皿と虫を合わせて蠱とします。穀物が古くなって虫となって飛ぶのも蠱といいます。『周易』では、女が男を惑わし、風が山の木を落とす卦を蠱といいます。みな同じ性質のものです」。趙孟は言った。「良い医者だ」。手厚く礼遇して秦に帰した。
解説
この章句が説くこと
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