国語 / 周語中
「吾曰:『子則賢矣。抑晉國之舉也,不失其次,吾懼政之未及子也。』謂我曰:『夫何次之有?昔先大夫荀伯自下軍之佐以政,趙宣子未有軍行而以政,今欒伯自下軍往。是三子也,吾又過於四之無不及。若佐新軍而升為政,不亦可乎?將必求之。』是其言也,君以為奚若?」 襄公曰:「人有言曰:『兵在其頸。』其郤至之謂乎!君子不自稱也,非以讓也,惡其蓋人也。夫人性,陵上者也,不可蓋也。求蓋人,其抑下滋甚,故聖人貴讓。且諺曰:『獸惡其網,民惡其上。』《書》曰:『民可近也,而不可上也。』《詩》曰:『愷悌君子,求福不回。』在禮,敵必三讓,是則聖人知民之不可加也。故王天下者必先諸民,然後庇焉,則能長利。今郤至在七人之下而欲上之,是求蓋七人也,其亦有七怨。怨在小醜,猶不可堪,而況在侈卿乎?其何以待之?
新字:「吾曰:『子則賢矣。抑晋国之舉也,不失其次,吾懼政之未及子也。』謂我曰:『夫何次之有?昔先大夫荀伯自下軍之佐以政,趙宣子未有軍行而以政,今欒伯自下軍往。是三子也,吾又過於四之無不及。若佐新軍而升為政,不亦可乎?将必求之。』是其言也,君以為奚若?」 襄公曰:「人有言曰:『兵在其頸。』其郤至之謂乎!君子不自称也,非以譲也,悪其蓋人也。夫人性,陵上者也,不可蓋也。求蓋人,其抑下滋甚,故聖人貴譲。且諺曰:『獣悪其網,民悪其上。』《書》曰:『民可近也,而不可上也。』《詩》曰:『愷悌君子,求福不回。』在礼,敵必三譲,是則聖人知民之不可加也。故王天下者必先諸民,然後庇焉,則能長利。今郤至在七人之下而欲上之,是求蓋七人也,其亦有七怨。怨在小醜,猶不可堪,而況在侈卿乎?其何以待之?
書き下し
「吾曰く、『子は則ち賢なり。抑(そもそ)も晋国の挙ぐるや、其の次を失わず。吾政の未だ子に及ばざるを懼る』と。我に謂いて曰く、『夫れ何の次か之れ有らん。昔先大夫荀伯(じゅんぱく)は下軍の佐より以て政たり。趙宣子(ちょうせんし)は未だ軍行有らずして以て政たり。今欒伯(らんぱく)は下軍より往けり。是の三子や、吾又四に過ぎ、之れ及ばざる無し。若し新軍に佐たるより升(のぼ)りて政と為らば、亦可ならずや。将に必ず之を求めんとす』と。是れ其の言なり。君以て奚若(いかん)と為す」と。 襄公曰く、「人言える有り、曰く、『兵其の頸(くび)に在り』と。其れ郤至(げきし)の謂か。君子は自ら称せず。以て譲るに非ず、其の人を蓋(おお)うを悪(にく)めばなり。夫れ人の性は、上を陵(しの)ぐ者なり。蓋うべからざるなり。人を蓋わんことを求むれば、其の抑えられて下ること滋(ますま)す甚だし。故に聖人は譲を貴ぶ。且つ諺に曰く、『獣は其の網を悪み、民は其の上を悪む』と。書に曰く、『民は近づくべきなり、而して上(しの)ぐべからざるなり』と。詩に曰く、『愷悌(がいてい)の君子、福を求めて回(よこしま)ならず』と。礼に在りては、敵(ひと)しきは必ず三たび譲る。是れ則ち聖人民の加うべからざるを知ればなり。故に天下に王たる者は必ず諸(これ)を民に先にし、然る後に庇(おお)う。則ち能く長く利あり。今郤至七人の下に在りて之に上たらんと欲す。是れ七人を蓋わんことを求むるなり。其れ亦七怨有り。怨み小醜(しょうしゅう)に在るすら、猶お堪うべからず。而るを況んや侈卿(しけい)に在るをや。其れ何を以てか之を待たん。
現代語訳
(邵桓公は続けた。)「私は言いました。『あなたはたしかに賢い。しかし晋国の人事は序列を外さないから、政権があなたに回ってくるのはまだ先ではないかと心配だ』と。すると彼は私に言いました。『序列など何があるものか。昔、先の大夫の荀伯(荀林父)は下軍の佐から正卿になり、趙宣子(趙盾)は軍の指揮に就かないまま正卿となり、いま欒伯(欒書)は下軍の将から正卿に進んだ。この三人に私を加えた四人のうちで、私は誰よりも優れていて、三人に及ばないところは何ひとつない。新軍の佐から一足飛びに正卿になっても、よいではないか。きっと求めるつもりだ』と。これが彼の言葉です。あなたはどうお考えですか。」 単襄公(周の卿士)は言った。「『刃がその首に掛かっている』という言葉があるが、これは郤至(晋の卿、温季)のことであろう。君子が自分をほめないのは、へりくだるためではない。人を覆い隠すことを嫌うからである。そもそも人の性は、上に立つ者をしのごうとするもので、覆い隠すことはできない。人を覆い隠そうとすれば、かえって自分がますます押し下げられる。だから聖人は譲ることを尊ぶのである。ことわざにも『獣は自分を捕らえる網を憎み、民は自分の上に立つ者を憎む』とあり、『書』には『民には親しく近づいてよいが、民の上にのしかかってはならない』とあり、『詩』には『和らぎ楽しむ君子は、福を求めても邪な道によらない』とある。礼では、対等の者どうしは必ず三度譲り合う。これは聖人が、民の上に自分を加えてはならないと知っていたからである。だから天下の王となる者は、必ず民を先にし、そののちに民を庇護する。そうしてこそ長く利を保てるのである。いま郤至は七人の卿の下にいながら、その上に立とうとしている。これは七人を覆い隠そうとすることで、七つの怨みを買うことになる。怨みがつまらぬ小者から向けられても耐えがたいのに、まして権勢をふるう卿たちから向けられればなおさらだ。彼はいったいどうやってそれに備えるというのか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公十三年 譲は礼の主なり君子曰く、「讓は禮の主なり。范宣子讓りて、其の下皆讓る。欒黶汰(おご)ると為すも、敢へて違はず。晉國以て平らかにして、數世之に賴る。善に刑(のつと)ればなり。一人善に刑れば、百姓休和す。務めざるべけんや。書に曰く、『一人慶有れば、兆民之に賴る。其の寧きこと惟れ永し』と。其れ是の謂ひか。周の興るや、其の詩に曰く、『文王に儀刑すれば、萬邦孚を作す』と。善に刑るを言ふなり。其の衰ふるに及びてや、其の詩に曰く、『大夫均しからず、我事に從ひて獨り賢(らう)す』と。讓らざるを言ふなり。世の治まるや、君子は能を尚びて其の下に讓り、小人は農力して以て其の上に事ふ。是を以て上下禮有りて、讒慝黜遠せらる。爭はざるに由るなり。之を懿德と謂ふ。其の亂るるに及びてや、君子は其の功を稱して以て小人に加へ、小人は其の技を伐(ほこ)りて以て君子を馮(しの)ぐ。是を以て上下禮無く、亂虐並び生ず。善を爭ふに由るなり。之を昏德と謂ふ。國家の敝るるは、恆に必ず之に由る」と。
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司馬法・嚴位自ら子(よ)するに循わざるを以てし、賢を争うに以て為し、人其の心を説(よろこ)ばしめ、其の力を效(いた)す。
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司馬法・天子之義上苟も善を伐(ほこ)らざれば、則ち驕らず。下苟も善を伐らざれば、必ず等を亡(な)くす。上下善を伐らざること此くの若きは、譲の至りなり。
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司馬法・天子之義上苟も不善を以て己に在りとせば、必ず其の過ちを悔ゆ。下苟も不善を以て己に在りとせば、必ず其の罪に遠ざかる。上下悪を分かつこと此くの若きは、譲の至りなり。
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『忍経』拔藩益地陳囂、民の紀伯と鄰を為す。伯夜竊かに囂の地を藩して自ら益す。囂之を見、伯の去るを伺ひて後、密かに其の藩一丈を拔き、地を以て伯に益す。伯之を覺り、慚惶して、自ら侵す所を還し、又卻くこと一丈。太守周府君、囂の德義を高しとし、石に刻みて其の閭を旌表し、號して「義里」と曰ふ。
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『忍経』謝罪敦睦・能く忍ぶと忍ぶ能はざるとの間蘇子曰く「高帝の勝つ所以、項籍の敗るる所以は、能く忍ぶと忍ぶ能はざるとの間に在るのみ。項籍は忍ぶ能はず、是を以て百戰百勝して輕しく其の鋒を用ふ。高祖は之を忍び、其の全鋒を養ひて其の弊を待つ」と。 孝友先生朱仁軌、隱居して親を養ひ、常に子弟に誨へて曰く「終身路を讓るも、百步を枉げず。終身畔を讓るも、一段を失はず」と。 吳湊、僚吏は大過に非ずんば榜責せず、召して廷に至らしめて詰り、厚くして之を去らしむ。其の下傳へて相訓勉し、舉げて稽事無し。
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