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国語 / 周語中

王曰:「利何如而內,何如而外?」對曰:「尊貴、明賢、庸勳、長老、愛親、禮新、親舊。然則民莫不審固其心力以役上令,官不易方,而財不匱竭,求無不至,動無不濟。百姓兆民,夫人奉利而歸諸上,是利之內也。若七德離判,民乃攜貳,各以利退,上求不暨,是其外利也。夫狄無列於王室,鄭伯南也,王而卑之,是不尊貴也。狄,豺狼之德也,鄭未失周典,王而蔑之,是不明賢也。平、桓、莊、惠皆受鄭勞,王而棄之,是不庸勳也。鄭伯捷之齒長矣,王而弱之,是不長老也。狄,隗姓也,鄭出自宣王,王而虐之,是不愛親也。夫禮,新不閒舊,王以狄女閒姜、任,非禮且棄舊也。王一舉而棄七德,臣故曰利外矣。《書》有之曰:『必有忍也,若能有濟也。』王不忍小忿而棄鄭,又登叔隗以階狄。狄,封豕豺狼也,不可猒也。」王不聽。 十八年,王黜狄后。狄人來誅殺譚伯。富辰曰:「昔吾驟諫王,王弗從,以及此難。若我不出,王其以我為懟乎!」乃以其屬死之。 初,惠后欲立王子帶,故以其黨啟狄人。狄人遂入,周王乃出居于鄭,晉文公納之。

新字:王曰:「利何如而内,何如而外?」対曰:「尊貴、明賢、庸勲、長老、愛親、礼新、親旧。然則民莫不審固其心力以役上令,官不易方,而財不匱竭,求無不至,動無不済。百姓兆民,夫人奉利而帰諸上,是利之内也。若七徳離判,民乃攜貳,各以利退,上求不暨,是其外利也。夫狄無列於王室,鄭伯南也,王而卑之,是不尊貴也。狄,豺狼之徳也,鄭未失周典,王而蔑之,是不明賢也。平、桓、荘、恵皆受鄭労,王而棄之,是不庸勲也。鄭伯捷之歯長矣,王而弱之,是不長老也。狄,隗姓也,鄭出自宣王,王而虐之,是不愛親也。夫礼,新不閒旧,王以狄女閒姜、任,非礼且棄旧也。王一舉而棄七徳,臣故曰利外矣。《書》有之曰:『必有忍也,若能有済也。』王不忍小忿而棄鄭,又登叔隗以階狄。狄,封豕豺狼也,不可猒也。」王不聴。 十八年,王黜狄后。狄人来誅殺譚伯。富辰曰:「昔吾驟諫王,王弗従,以及此難。若我不出,王其以我為懟乎!」乃以其属死之。 初,恵后欲立王子帯,故以其党啓狄人。狄人遂入,周王乃出居于鄭,晋文公納之。

書き下し

王曰く、「利何如(いかん)にして内、何如にして外なる」と。対えて曰く、「貴きを尊び、賢を明らかにし、勲を庸(もち)い、老を長とし、親を愛し、新を礼し、旧に親しむ。然らば則ち民其の心力を審固にして以て上の令に役(つか)えざる莫く、官は方を易えずして、財匱竭(きけつ)せず、求むれば至らざる無く、動けば済らざる無し。百姓兆民、夫人(ふじん)利を奉じて諸(これ)を上に帰す、是れ利の内なり。若し七徳離判(りはん)すれば、民乃ち携弐(けいじ)し、各利を以て退き、上の求むるも暨(およ)ばず、是れ其の外利なり。夫れ狄は王室に列無し。鄭伯は南なり、王にして之を卑しむ、是れ貴きを尊ばざるなり。狄は、豺狼の徳なり。鄭は未だ周典を失わず、王にして之を蔑(ないがし)ろにす、是れ賢を明らかにせざるなり。平・桓・荘・恵皆鄭の労を受く、王にして之を棄つ、是れ勲を庸いざるなり。鄭伯捷(しょう)の歯長ぜり、王にして之を弱しとす、是れ老を長とせざるなり。狄は隗(かい)姓なり、鄭は宣王より出ず、王にして之を虐ぐ、是れ親を愛せざるなり。夫れ礼は、新は旧を閒(か)えず。王狄女を以て姜・任に閒う、礼に非ずして且つ旧を棄つるなり。王一挙して七徳を棄つ、臣故に利外なりと曰う。書に之有りて曰く、『必ず忍ぶこと有りて、若(すなわ)ち能く済すこと有り』と。王小忿を忍ばずして鄭を棄て、又叔隗(しゅくかい)を登(あ)げて以て狄を階す。狄は封豕(ほうし)豺狼なり、猒(あ)かしむ可からざるなり」と。王聴かず。 十八年、王狄后を黜(しりぞ)く。狄人来たりて誅して譚伯(たんぱく)を殺す。富辰曰く、「昔吾驟(しばしば)王を諫むれども、王従わず、以て此の難に及ぶ。若し我出でずんば、王其れ我を以て懟(うら)むと為さんか」と。乃ち其の属を以て之に死す。 初め、恵后王子帯を立てんと欲す。故に其の党を以て狄人を啓(ひら)く。狄人遂に入り、周王乃ち出でて鄭に居る。晋の文公之を納る。

現代語訳

王は言った。「利が内にあるとはどういうことで、外にあるとはどういうことか」。富辰は答えた。「身分の貴い者を尊び、賢者を顕彰し、功ある者を用い、年長者を敬い、親族を愛し、新たに来た賓客を礼遇し、古くからの臣に親しむことです。そうすれば民は心と力をしっかりと定めて上の命令に仕えない者はなく、官は道を踏み外さず、財は乏しく尽きることがなく、求めれば得られないものはなく、事を起こせば成し遂げられないことはありません。百官も万民も、人々がみな利を捧げて上に帰する、これが利が内にあるということです。もしこの七つの徳が崩れ分かれれば、民は心が離れて背き、それぞれ自分の利を抱えて去り、上が求めても届かなくなる、これが利が外にあるということです。そもそも狄は王室に何の位次もありません。鄭伯は南方の侯伯の地位にあるのに、王はこれを卑しめる、これは貴い者を尊ばないことです。狄は豺や狼のような性をもつ者です。鄭はまだ周の法典を失っていないのに、王はこれをないがしろにする、これは賢者を顕彰しないことです。平王・桓王・荘王・恵王はみな鄭の働きを受けてきたのに、王はこれを捨てる、これは功ある者を用いないことです。鄭伯捷(鄭の文公)は年長であるのに、王はこれを侮る、これは年長者を敬わないことです。狄は隗姓の異族で、鄭は宣王から出た同族なのに、王はこれを虐げる、これは親族を愛さないことです。そもそも礼では、新しい者が古い者に取って代わることはありません。王は狄の娘を、代々后妃を出してきた姜氏や任氏の娘に代えようとしておられる。これは礼に外れ、しかも古くからの縁を捨てることです。王は一つの振る舞いで七つの徳を捨てようとしておられる。だからわたしは利が外にあると申し上げたのです。『書』にこうあります。『必ず忍ぶところがあってこそ、はじめて事を成し遂げられる』と。王は小さな怒りを忍べずに鄭を捨て、さらに叔隗(狄の娘)を后に立てて狄の禍を招こうとしておられる。狄は大きな豚や豺・狼のようなもので、満ち足りさせることはできません」。王は聞き入れなかった。 十八年、王は狄の后を廃した。狄の人々は王を責めてやって来て、譚伯(周の大夫)を殺した。富辰は言った。「かつてわたしはたびたび王を諫めたが、王は従わず、この災難に至った。もしわたしが出て戦わなければ、王はわたしが恨みを抱いていると思われるだろう」。そこで自分の配下を率いて狄と戦い、死んだ。 これより先、恵后(襄王の継母)は自分の子の王子帯を王に立てたいと望んでいた。そのため、その一党が狄の人々を手引きしたのである。狄の人々はついに都に攻め入り、周王は都を出て鄭に身を寄せた。晋の文公が王を都に迎え入れた。

解説

富辰の諫言の後半と、その結末である。王に利の内と外の違いを問われた富辰は、尊貴・明賢・庸勲・長老・愛親・礼新・親旧の七徳を挙げる。これを守れば民は心力を尽くし、人々が利を捧げて上に帰する。これが内の利であり、七徳が崩れれば民は利を抱えて去る。これが外の利だという。続いて、狄を用いて鄭を討つことが七徳のすべてに背くことを一つずつ数え上げ、『書』の「必ず忍ぶこと有りて、若ち能く済すこと有り」を引いて、小さな怒りを忍べと説く。韋昭注はこれを逸書とし、若を乃と読んで、忍ぶところがあってこそ成功があると解する。王は聞かず、狄の娘の叔隗を后に立てたが、やがてこれを廃すると、狄が攻めてきて譚伯を殺した。富辰は、諫めが退けられた者が戦わなければ恨んでいると思われると言い、配下を率いて死んだ。周語上で邵公が王子の身代わりに自分の子を出した話と同じ筋の忠義である。王子帯の乱で襄王は鄭に逃れ、晋の文公に納れられた。怒りに任せた一手が、味方を敵に変え、敵を内に招く。

この章句が説くこと

国語周語忍耐七徳忠

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