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国語 / 周語上

彘之亂,宣王在邵公之宮,國人圍之。邵公曰:「昔吾驟諫王,王不從,是以及此難。今殺王子,王其以我為懟而怒乎!夫事君者險而不懟,怨而不怒,況事王乎?」乃以其子代宣王,宣王長而立之。

新字:彘之乱,宣王在邵公之宮,国人囲之。邵公曰:「昔吾驟諫王,王不従,是以及此難。今殺王子,王其以我為懟而怒乎!夫事君者険而不懟,怨而不怒,況事王乎?」乃以其子代宣王,宣王長而立之。

書き下し

彘(てい)の乱に、宣王邵公(しょうこう)の宮に在り。国人之を囲む。邵公曰く、「昔吾驟(しばしば)王を諫むれども、王従わず。是を以て此の難に及ぶ。今王子を殺さば、王其れ我を以て懟(うら)むと為して怒らんか。夫れ君に事うる者は、険にして懟まず、怨みて怒らず。況んや王に事うるをや」と。乃ち其の子を以て宣王に代う。宣王長じて之を立つ。

現代語訳

厲王が彘に追われた乱のとき、太子であった宣王(厲王の子)は邵公(召公、周の卿士)の屋敷に逃げ込んでいた。都の人々は屋敷を取り囲み、太子を引き渡せと迫った。邵公は言った。「かつてわたしはたびたび王を諫めたが、王は聞き入れなかった。そのためにこの災難に至ったのだ。いまもし王子を殺させたなら、王はわたしが恨みを抱いて仕返しをしたのだと考えて怒るであろう。そもそも君に仕える者は、危うい目にあっても恨まず、不満があっても怒りをあらわにしないものだ。まして天子に仕える者ならなおさらである」。そこで邵公は自分の子を宣王の身代わりとして差し出した。宣王は成長し、邵公らはこれを王に立てた。

解説

前章で厲王の言論封じを諫めた邵公(召公)が、厲王の追放後に見せた振る舞いである。国人が王宮を襲ったとき、太子(のちの宣王)は邵公の屋敷に匿われた。屋敷を囲まれた邵公は、たびたびの諫言が退けられた自分が王子を差し出せば、私怨による報復と見なされると考えた。臣は危難にあっても恨まず、怨んでも怒らないという原則を、ここでは命がけで守ったのである。そこで自分の子を身代わりにして太子を救った。韋昭注は、この乱の間、公卿が相和して政事を修めたのが「共和」で、十四年の後に宣王が立ったと記す。共和元年は中国史で年代が確かめられる最初の年として知られ、『史記』周本紀もこの身代わりの話を伝える。諫めが聞かれなかった相手にこそ、恨みのないことを行動で示す。その誠が、王のいない十四年を越えて次の代を支えた。個人的な不満と組織への務めとを混ぜない態度の、極端だが忘れがたい例である。

この章句が説くこと

国語周語忠君臣共和

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