古事記 / 下巻・継体の御子と筑紫君石井
次都夫良郎女。次阿豆王。三柱。此天皇之御子等。幷十九王。(男七。女十二。)此之中。天國押波流岐廣庭命者。治天下。次廣國押建金日命。治天下。次建小廣國押楯命。治天下。次佐佐宜王者。拜伊勢神宮也。此御世。竺紫君石井。不從天皇之命而。多无禮。故遣物部荒甲之大連。大伴之金村連二人而。殺石井也。天皇。御年肆拾參歲。(丁未年四月九日崩也。)御陵在三島之藍御陵也。
新字:次都夫良郎女。次阿豆王。三柱。此天皇之御子等。幷十九王。(男七。女十二。)此之中。天国押波流岐広庭命者。治天下。次広国押建金日命。治天下。次建小広国押楯命。治天下。次佐佐宜王者。拝伊勢神宮也。此御世。竺紫君石井。不従天皇之命而。多无礼。故遣物部荒甲之大連。大伴之金村連二人而。殺石井也。天皇。御年肆拾参歳。(丁未年四月九日崩也。)御陵在三島之藍御陵也。
書き下し
次に都夫良郎女。次に阿豆王。三柱。この天皇の御子等、并せて十九王。(男七、女十二。)この中に、天国押波流岐広庭命は、天下を治めたまひき。次に広国押建金日命、天下を治めたまひき。次に建小広国押楯命、天下を治めたまひき。次に佐佐宜王は、伊勢神宮を拝み祭りたまひき。この御世に、竺紫君石井、天皇の命に従はずして、多く無礼なりき。故、物部荒甲の大連、大伴の金村連の二人を遣はして、石井を殺したまひき。天皇、御年肆拾参歳。(丁未の年の四月九日に崩りたまひき。)御陵は三島の藍の御陵なり。
現代語訳
次に都夫良郎女、次に阿豆王の三柱をお生みになりました。この天皇の御子たちは、合わせて十九王です(男七、女十二)。このうち、天国押波流岐広庭命(欽明)が天下を治められました。次に広国押建金日命(安閑)が天下を治められました。次に建小広国押楯命(宣化)が天下を治められました。次に佐佐宜王は伊勢神宮にお仕えして祭られました。この御代に、筑紫君石井が天皇の命に従わず、多くの無礼を働きました。そこで物部荒甲の大連と大伴の金村連の二人を遣わして、石井を殺されました。天皇は御年四十三歳で、丁未の年の四月九日にお亡くなりになりました。御陵は三島の藍の御陵です。
解説
この章句が説くこと
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六韜・王翼武王 太公に問ひて曰く、「王者 師を帥ゐるには、必ず股肱羽翼ありて以て威神を成す。之を為すこと柰何」と。太公曰く、「凡そ兵を挙げ師を帥ゐるは、将を以て命と為す。命は通達に在り、一術を守らず。能に因りて職を受け、各々長ずる所を取り、時に随ひて変化し、以て綱紀と為す。故に将に股肱羽翼七十二人あり、以て天道に応ず。数を備ふること法の如くし、命理を審らかに知る。殊能異技あらば、万事畢はれり」と。武王曰く、「請ふ、其の目を問はん」と。太公曰く、「腹心一人、潜謀もて卒かなるに応じ、消変を揆り、計謀を揔攬し、民命を保全するを主る。謀士五人、安危を図り、未だ萌さざるを慮り、行能を論じ、賞罰を明らかにし、官位を授け、嫌疑を決し、可否を定むるを主る。天文三人、星暦を司り、風気を候ひ、時日を推し、符験を考へ、災異を校べ、人心去就の機を知るを主る。地利三人、三軍行止の形勢、利害消息、遠近険易、水涸山阻を主り、地の利を失はず。兵法九人、異同を講論し、行事の成敗を論じ、兵器を簡練し、非法を刺挙するを主る。通糧四人、飲食・蓄積を度り、糧道を通じ、五穀を致し、三軍をして困乏せざらしむるを主る。奮威四人、材力を択び、兵革を論じ、風馳電撃して由る所を知らざらしむるを主る。伏鼓旗三人、鼓旗を伏せ、耳目を明らかにし、符節を詭り、号令を謬らせ、闇忽として往来し、出入すること神の若くするを主る。股肱四人、重きに任じ難きを持し、溝塹を修め、壁塁を治め、以て守禦に備ふるを主る。通材三人、遺を拾ひ過ちを補ひ、賓客に応偶し、論議談語し、患ひを消し結ぼれを解くを主る。権士三人、奇譎を行ひ、殊異を設け、人の識る所に非ざる、窮まりなきの変を行ふを主る。耳目七人、往来して言を聴き変を視、四方の事、軍中の情を覧るを主る。爪牙五人、威武を揚げ、三軍を激励し、難を冒して鋭を攻めしめ、疑慮する所なからしむるを主る。羽翼四人、名誉を揚げ、遠方を震はせ、四境を揺動して以て敵の心を弱むるを主る。遊士八人、姦を伺ひ変を候ひ、人情を開闔し、敵の意を観て、以て間諜と為すを主る。術士二人、譎詐を為し、鬼神に依託して以て衆心を惑はすを主る。方士二人、百薬を主り、以て金瘡を治し、以て万病を痊やす。法算二人、三軍の営壁・糧食・財用の出入を計会するを主る」と。
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『韓非子』功名第二十八至治の國は、君は桴の若く、臣は鼓の若く、技は車の若く、事は馬の若し。
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