古事記 / 下巻・安閑・宣化の治世
廣國押建金日命。坐勾之金箸宮。治天下也。此天皇無御子也。(乙卯年三月十三日崩也。)御陵在河內之古市高屋村也。建小廣國押楯命。坐檜坰之廬入野宮。治天下也。天皇。娶意富祁天皇之御子橘之中比賣命。生御子。石比賣命。次小石比賣命。次倉之若江王。又娶川內之若子比賣。生御子。火穗王。次惠波王。此天皇之御子等。幷五王。(男三。女二。)故火穗王者。志比陀君之祖。惠波王者。韋那君。多治比君之祖也。
新字:広国押建金日命。坐勾之金箸宮。治天下也。此天皇無御子也。(乙卯年三月十三日崩也。)御陵在河内之古市高屋村也。建小広国押楯命。坐檜坰之廬入野宮。治天下也。天皇。娶意富祁天皇之御子橘之中比売命。生御子。石比売命。次小石比売命。次倉之若江王。又娶川内之若子比売。生御子。火穂王。次恵波王。此天皇之御子等。幷五王。(男三。女二。)故火穂王者。志比陀君之祖。恵波王者。韋那君。多治比君之祖也。
書き下し
広国押建金日命、勾の金箸宮に坐して、天下を治めたまひき。この天皇、御子なし。(乙卯の年の三月十三日に崩りたまひき。)御陵は河内の古市の高屋村にあり。建小広国押楯命、檜坰の廬入野宮に坐して、天下を治めたまひき。天皇、意富祁天皇の御子、橘の中比売命を娶りて、生みませる御子、石比売命。次に小石比売命。次に倉之若江王。又、川内の若子比売を娶りて、生みませる御子、火穂王。次に恵波王。この天皇の御子等、并せて五王。(男三、女二。)故、火穂王は、志比陀君の祖。恵波王は、韋那君、多治比君の祖なり。
現代語訳
広国押建金日命(安閑天皇)は、勾の金箸宮にいらして、天下を治められました。この天皇には御子がありませんでした。乙卯の年の三月十三日にお亡くなりになりました。御陵は河内の古市の高屋村にあります。建小広国押楯命(宣化天皇)は、檜坰の廬入野宮にいらして、天下を治められました。天皇は、意富祁天皇(仁賢)の御子、橘の中比売命を妻とされ、御子の石比売命、次に小石比売命、次に倉之若江王をお生みになりました。また、川内の若子比売を妻とされ、御子の火穂王、次に恵波王をお生みになりました。この天皇の御子たちは合わせて五王です(男三、女二)。火穂王は志比陀君の祖、恵波王は韋那君と多治比君の祖です。
解説
この章句が説くこと
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