古事記 / 下巻・一言主大神との出会い
亦其裝束之狀。及人衆。相似不傾。爾天皇望令問曰。於茲倭國。除吾亦無王。今雖人如此而行。即答曰之狀亦。如天皇之命。於是天皇大恐而。矢刺。百官人等。悉矢刺。爾其人等亦皆矢刺。故天皇亦問曰。然告其名。爾各告名而彈矢。於是答曰。吾先見問故。吾先爲名告。吾者。雖惡事而一言。雖善事而一言。言離之神。葛城之一言主之大神者也。天皇於是惶畏而白。恐我大神。有宇都志意美者(自宇下五字以音)不覺白而。大御刀及弓矢始而。脱百官人等所服之衣服。以拜獻。爾其一言主大神手打受其捧物。故天皇之還幸時。其大神滿山末。於長谷山口送奉。故是一言主之大神者。彼時所顯也。又天皇。婚丸邇之佐都紀臣之女袁杼比賣。幸行于春日之時。媛女逢道。即見幸行而。逃隱岡邊。
新字:亦其装束之状。及人衆。相似不傾。爾天皇望令問曰。於茲倭国。除吾亦無王。今雖人如此而行。即答曰之状亦。如天皇之命。於是天皇大恐而。矢刺。百官人等。悉矢刺。爾其人等亦皆矢刺。故天皇亦問曰。然告其名。爾各告名而弾矢。於是答曰。吾先見問故。吾先為名告。吾者。雖悪事而一言。雖善事而一言。言離之神。葛城之一言主之大神者也。天皇於是惶畏而白。恐我大神。有宇都志意美者(自宇下五字以音)不覚白而。大御刀及弓矢始而。脱百官人等所服之衣服。以拝献。爾其一言主大神手打受其捧物。故天皇之還幸時。其大神満山末。於長谷山口送奉。故是一言主之大神者。彼時所顕也。又天皇。婚丸邇之佐都紀臣之女袁杼比売。幸行于春日之時。媛女逢道。即見幸行而。逃隠岡辺。
書き下し
亦、その装束の状、及び人衆、相似て傾かず。爾に天皇望みて問はしめて曰はく、「ここ倭国に、吾を除きて亦王なし。今、人かくの如くして行くと雖も」とのりたまふ。即ち答へて曰ふ状も亦、天皇の命の如し。ここに天皇大きに恐りて、矢刺し、百官の人等、悉に矢刺す。爾にその人等も亦、皆矢刺す。故、天皇亦問ひて曰はく、「然らばその名を告れ」とのりたまふ。爾に各名を告りて、矢を弾つ。ここに答へて曰はく、「吾、先に問はえし故、吾、先づ名を告らむ。吾は、悪事も一言、善事も一言、言ひ離つ神、葛城の一言主の大神なり」といふ。天皇ここに惶み畏みて白さく、「恐し、我が大神。うつし意美(うの字より下の五字は音を以ちてす)ありとは覚らずて」とまをして、大御刀及び弓矢を始めて、百官の人等の服せる衣服を脱がしめて、拝みて献る。爾にその一言主大神、手打ちてその捧げ物を受けたまふ。故、天皇の還り幸でます時、その大神、山の末に満ちて、長谷の山口に送り奉りき。故、この一言主の大神は、彼の時に顕れたまへるなり。又、天皇、丸邇の佐都紀臣の女、袁杼比売を婚ひたまはむとして、春日に幸行でましし時、媛女、道に逢ひき。即ち幸行を見て、岡辺に逃げ隠りき。
現代語訳
その装束のありさまも供の人数も、天皇の一行とそっくりで、少しも違いませんでした。天皇が遠くから見て問わせて言うには、「この倭の国に、私のほかに王はいないはずだ。それなのに、このようにして行く者がいる」。すると相手の答えも、天皇の言葉と同じでした。天皇はたいそう怒って矢をつがえ、お供の役人たちもみな矢をつがえました。相手方の人々もみな矢をつがえます。そこで天皇がまた、「ならばその名を名乗れ。名乗り合ってから矢を放とう」と言うと、相手はこう答えました。「私が先に問われたので、先に名乗ろう。私は、悪いことも一言、良いことも一言、一言で言い放つ神、葛城の一言主の大神である」。天皇は恐れ入って申しました。「恐れ多いことです、我が大神。現し身のお姿で現れなさるとは気づきませんでした」。そして大刀と弓矢をはじめ、お供の役人たちが着ていた衣服を脱がせて、拝んで献上しました。一言主大神は手を打ってその捧げ物をお受けになりました。天皇がお帰りになるとき、大神は山の頂にいっぱいに現れて、長谷の山の入口まで見送りました。この一言主大神は、そのときに姿を現された神です。また天皇は、丸邇の佐都紀臣の娘、袁杼比売を妻にしようとして春日へ出かけたとき、乙女が道で行き会いました。乙女は天皇の行列を見て、丘のほとりに逃げ隠れてしまいました。
解説
この章句が説くこと
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