文武訓 / 文訓上之末
一人は只、わが身をかへりみて、わが身のさかしおろかなると、才あるとつたなきとのほどを知りて、つねに人にへりくだり、わが身にほこるべからず。才智ありてもなくしても、わが身にほこりたかぶり、人をこのんで見くだし、又そしるは罪ふかし。いとおろかなりといふべし。
書き下し
一人は只、わが身をかへりみて、わが身のさかしおろかなると、才あるとつたなきとのほどを知りて、つねに人にへりくだり、わが身にほこるべからず。才智ありてもなくしても、わが身にほこりたかぶり、人をこのんで見くだし、又そしるは罪ふかし。いとおろかなりといふべし。
現代語訳
人はただ、わが身を顧みて、自分の賢さ愚かさ、才のあるなしの程度を知って、いつも人にへりくだり、わが身を誇ってはいけません。才知があってもなくても、わが身を誇り高ぶり、人を好んで見下し、またそしるのは罪深いことです。たいへん愚かなことというべきです。
解説
自分の賢愚や才の程度を知ってへりくだり、誇り高ぶって人を見下したりそしったりするなと戒めています。才知があってもなくても誇るのは愚かだという言い方に、才の有無より心の持ち方を重んじる益軒の考えが表れています。文訓はたびたび「わが身を知ること」の難しさに立ち返ります。今の職場でも、能力のある人ほど謙虚さを失うと周囲の協力を得られず、力を生かせません。自分を客観的に見る習慣が、人間関係と成長の土台になります。
この章句が説くこと
謙虚自省才傲慢人間関係
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説苑・雜言昔者、南瑕子、程太子に過る、太子鯢魚を烹る。南瑕子曰く、「吾聞く、君子は鯢魚を食らわずと」と。程太子曰く、「乃ち君子か否か、子何ぞ焉を事とせん」と。南瑕子曰く、「吾聞く、君子上に比するは徳を広むる所以なり、下に比するは行いを狭むる所以なり、悪に於いて自ら退くの原なりと。詩に云う、『高山之を仰ぎ止み、景行之を行き止む』と。吾豈に敢えて自ら以て君子と為さんや、志して之に向かうのみ。孔子曰く、『賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる』と」と。
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