古事記 / 下巻・蜻蛉の歌と葛城山の猪
其歌曰。美延斯怒能。袁牟漏賀多氣爾。志斯、布須登。多禮曾。意富麻幣爾。麻袁須。夜須美斯志、。和賀淤富岐美能。斯志麻都登。阿具良爾伊麻志。斯漏多閉能。蘇豆岐蘇那布。多古牟良爾。阿牟加岐都岐。曾能阿牟袁。阿岐豆波夜具比。加久能碁登。那爾淤波牟登。蘇良美都。夜麻登能久爾袁。阿岐豆志麻登布。故自其時。號其野謂阿岐豆野也。又一時。天皇登幸葛城之山上。爾大猪出。即天皇以鳴鏑。射其猪之時。其猪怒而。宇多岐依來。(宇多岐三字以音)故天皇畏其宇多岐。登坐榛上。爾歌曰。夜須美斯、志。和賀意富岐美能。阿蘇婆志斯、。志、斯能。夜美斯志、能。宇多岐加斯古美。和賀爾宜。能煩理斯。阿理袁能。波理能紀能延陀。又一時。天皇登幸葛城山之時。百官人等。悉給著紅紐之青摺衣服。彼時有其自所向之山尾。登山上人。既等天皇之鹵簿。
新字:其歌曰。美延斯怒能。袁牟漏賀多気爾。志斯、布須登。多礼曽。意富麻幣爾。麻袁須。夜須美斯志、。和賀淤富岐美能。斯志麻都登。阿具良爾伊麻志。斯漏多閉能。蘇豆岐蘇那布。多古牟良爾。阿牟加岐都岐。曽能阿牟袁。阿岐豆波夜具比。加久能碁登。那爾淤波牟登。蘇良美都。夜麻登能久爾袁。阿岐豆志麻登布。故自其時。号其野謂阿岐豆野也。又一時。天皇登幸葛城之山上。爾大猪出。即天皇以鳴鏑。射其猪之時。其猪怒而。宇多岐依来。(宇多岐三字以音)故天皇畏其宇多岐。登坐榛上。爾歌曰。夜須美斯、志。和賀意富岐美能。阿蘇婆志斯、。志、斯能。夜美斯志、能。宇多岐加斯古美。和賀爾宜。能煩理斯。阿理袁能。波理能紀能延陀。又一時。天皇登幸葛城山之時。百官人等。悉給著紅紐之青摺衣服。彼時有其自所向之山尾。登山上人。既等天皇之鹵簿。
書き下し
その歌に曰く、「みえしのの 小室が嶽に 猪鹿伏すと 誰ぞ 大前に申す やすみしし 吾が大君の 猪鹿待つと 呉床に坐し 白妙の 袖着具ふ 手腓に 虻掻き着き その虻を 蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ」。故、その時より、その野を号けて阿岐豆野と謂ふ。また一時、天皇、葛城の山の上に登り幸でましき。ここに大猪出でたり。即ち天皇、鳴鏑を以てその猪を射たまふ時、その猪怒りて、宇多岐依り来。(宇多岐の三字は音を以てす)。故、天皇その宇多岐を畏みて、榛の上に登り坐しき。ここに歌ひて曰く、「やすみしし 吾が大君の 遊ばしし 猪の 病み猪の うたき畏み 吾が逃げ登りし 在り丘の 榛の木の枝」。また一時、天皇、葛城山に登り幸でましし時、百官の人等、悉に紅き紐著けたる青摺の衣服を給はりき。その時、その向かひし山の尾より、山の上に登る人あり。既に天皇の鹵簿に等しかりき。
現代語訳
その歌は、「み吉野の小室が岳に猪や鹿が伏していると、誰が大君の御前に申し上げたのか。わが大君は猪や鹿を待つとて、床几に座り、白い袖を整えておられた。すると腕に虻が食いつき、その虻を蜻蛉がすばやく食った。このように名を負わせようと、この大和の国を蜻蛉島というのだ」。このことから、その野を阿岐豆野と呼びます。またある時、天皇は葛城の山の上に登られました。そこへ大きな猪が出てきました。天皇が鳴鏑でその猪を射ると、猪は怒って、唸り声をあげて寄って来ました。天皇はその唸りを恐れ、榛の木の上に登られました。そこで歌いました。「わが大君がお狩りになった猪、手負いの猪のうなりを恐れて、私が逃げ登った丘の、榛の木の枝よ」。またある時、天皇が葛城山に登られた時、百官の人々はみな、赤い紐をつけた青摺りの衣服を賜りました。その時、向かいの山の尾根から山の上に登る人があり、その姿は天皇の行列と同じようでした。(原文はここで途切れる)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』下巻・赤猪子の返歌と吉野の童女ここに赤猪子の泣く涙、悉くその服せる丹摺の袖を湿らしつ。その大御歌に答へて歌ひて曰く、「みもろに 築くや玉垣 築き余し 誰にかも依らむ 神の宮人」。また歌ひて曰く、「日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも」。ここに多祿をその老女に給ひて、返し遣はしたまひき。故、この四つの歌は志都歌なり。天皇、吉野宮に幸行でましし時、吉野川の浜に、童女有り。その形姿美麗し。故、この童女を婚ひて、宮に還り坐しき。後に更にまた吉野に幸行でましし時、その童女の遇ひし所に留まりて、その処に大御呉床を立てて、その御呉床に坐して、御琴を弾きて、その嬢子に儛せしめたまひき。ここにその嬢子の好く儛ふに因りて、御歌を作りたまひき。その歌に曰く、「呉床居の 神の御手もち 弾く琴に 舞する女 常世にもがも」。即ち阿岐豆野に幸して、御獦したまふ時、天皇、御呉床に坐しき。ここに蝱、御腕を咋ひき。即ち蜻蛉来て、その蝱を咋ひて飛びき。(蜻蛉を訓みて阿岐豆と云ふ。)ここに御歌を作りたまひき。
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『古事記』下巻・一言主大神との出会い亦、その装束の状、及び人衆、相似て傾かず。爾に天皇望みて問はしめて曰はく、「ここ倭国に、吾を除きて亦王なし。今、人かくの如くして行くと雖も」とのりたまふ。即ち答へて曰ふ状も亦、天皇の命の如し。ここに天皇大きに恐りて、矢刺し、百官の人等、悉に矢刺す。爾にその人等も亦、皆矢刺す。故、天皇亦問ひて曰はく、「然らばその名を告れ」とのりたまふ。爾に各名を告りて、矢を弾つ。ここに答へて曰はく、「吾、先に問はえし故、吾、先づ名を告らむ。吾は、悪事も一言、善事も一言、言ひ離つ神、葛城の一言主の大神なり」といふ。天皇ここに惶み畏みて白さく、「恐し、我が大神。うつし意美(うの字より下の五字は音を以ちてす)ありとは覚らずて」とまをして、大御刀及び弓矢を始めて、百官の人等の服せる衣服を脱がしめて、拝みて献る。爾にその一言主大神、手打ちてその捧げ物を受けたまふ。故、天皇の還り幸でます時、その大神、山の末に満ちて、長谷の山口に送り奉りき。故、この一言主の大神は、彼の時に顕れたまへるなり。又、天皇、丸邇の佐都紀臣の女、袁杼比売を婚ひたまはむとして、春日に幸行でましし時、媛女、道に逢ひき。即ち幸行を見て、岡辺に逃げ隠りき。
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『古事記』下巻・犬の贈り物と赤猪子故、その火を著くることを止めしめたまひき。即ちその若日下部王の許に幸行でまして、その犬を賜ひ入れて、令詔りたまひしく、「この物は、今日道に得つる奇しき物なり。故、都摩杼比(この四字は音を以てす)の物」と云ひて、賜ひ入れたまひき。ここに若日下部王、天皇に奏さしめたまひしく、「日に背きて幸行でましし事、甚恐し。故、己直に参上りて仕へ奉らむ」とまをさしめたまひき。ここを以て宮に還り上り坐す時、その山の坂の上に行き立ちて、歌ひて曰く、「日下辺の こちの山と 畳薦 平群の山の こちごちの 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫 本には 生く美竹生ひ 末辺には たし美竹生ひ 生く美竹 いくみは寝ず たし美竹 たしには率寝ず 後も組み寝む その思ひ妻 あはれ」。即ちこの歌を持たしめて、使を返したまひき。また一時、天皇遊行でまして、美和河に到りし時、河の辺に衣洗ふ童女有り。その容姿甚麗しかりき。天皇、その童女に問ひたまひしく、「汝は誰が子ぞ」とのりたまひき。答へて白さく、「己が名は引田部赤猪子と謂ふ」とまをしき。
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『古事記』下巻・三重の采女と百枝槻故、御歌を作りたまひき。その御歌に曰はく、「袁登賣の い隠る岡を 金鋤も 五百箇もがも 鋤き撥ぬるもの」。故、その岡を号けて、金鉏岡と謂ふ。又、天皇、長谷の百枝槻の下に坐して、豊楽したまひし時、伊勢国の三重の婇、大御盞を指し挙げて献りき。爾にその百枝槻の葉落ちて、大御盞に浮かびき。その婇、落葉の盞に浮かべるを知らずて、猶し大御酒を献りき。天皇、その盞に浮かべる葉を看行はして、その婇を打ち伏せ、刀を以ちてその頸に刺し充てて、斬らむとしたまふ時、その婇、天皇に白して曰さく、「吾が身を殺したまふこと莫かれ。白すべき事あり」とまをして、即ち歌ひて曰はく、「纏向の 日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日影る宮 竹の根の 根垂る宮 木の根の 根蔓ふ宮 八百土よし い築きの宮 真木栄く 檜の御門 新嘗屋に 生ひ立てる 百足る 槻が枝は 上つ枝は 天を覆へり 中つ枝は 東を覆へり 下枝は 鄙を覆へり 上つ枝の 枝の末葉は 中つ枝に 落ち触らばへ 中つ枝の 枝の末葉は 下枝に 落ち触らばへ 下枝の 枝の末葉は あり衣の 三重の子が 捧がせる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ち水押ひ 水こをろこをろに これしも あやに畏し 高光る 日の御子 事の 語り言も こをば」。
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『古事記』下巻・雁の卵と枯野の船また一時、天皇、豊楽せむとして、日女島に幸行でましし時、その島に雁卵生みき。ここに建内宿禰命を召して、歌を以て雁の卵生みし状を問ひたまひき。その歌に曰く、「たまきはる 内の朝臣 汝こそは 世の長人 そらみつ 大和の国に 雁卵生と 聞くや」。ここに建内宿禰、歌を以て語り白さく、「高光る 日の御子 諾しこそ 問ひ給へ まことこそ 問ひ給へ あれこそは 世の長人 そらみつ 大和の国に 雁卵生と いまだ聞かず」。かく白して、御琴を給はりき。歌ひて曰く、「汝が御子や 遂に知らむと 雁は卵生らし」。これは本岐歌の片歌なり。この御世に、兔寸河の西に一つの高き樹有りき。その樹の影、旦日に当たれば淡道島に逮び、夕日に当たれば高安山を越えき。故、この樹を切りて船を作るに、甚捷く行く船なりき。時にその船を号けて枯野と謂ふ。故、この船を以て、旦夕に淡道島の寒泉を酌みて、大御水に献りき。この船、破れ壊れしを以て塩を焼き、その焼け遺れる木を取りて琴に作る。
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『古事記』下巻・奴理能美の虫と皇后の弁明また、その妹口比売、及び奴理能美、三人議りて、天皇に奏さしめて云ひしく、「大后の幸行でましし所以は、奴理能美の養ふ虫、一たびは匐ふ虫と為り、一たびは殻と為り、一たびは飛ぶ鳥と為る、三色に変はる奇しき虫有り。この虫を看行はしに入り坐ししのみ。更に異心無し」とまをしき。かく奏す時、天皇詔りたまひしく、「然らば、吾も奇し異しと思ふ。故、見に行かむと欲ふ」とのりたまひて、大宮より上り幸行でまして、奴理能美の家に入り坐しし時、その奴理能美、己が養ふ三種の虫を大后に献りき。ここに天皇、その大后の坐す殿戸に御立ちして、歌ひて曰く、「つぎねふ 山城女の 木鍬持ち 打ちし大根 さわさわに 汝が言へせこそ 打ち渡す 八桑枝なす 来入り参ゐ来れ」。この天皇と大后の歌ひたまひし六つの歌は、志都歌の返歌なり。天皇、八田若郎女を恋ひて、御歌を賜ひ遣はす。その歌に曰く、「八田の ひともとすげは 子持たず 立ちか荒れなむ あたらすが原 言をこそ すが原と言はめ あたらしすがし女」。

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