古事記 / 下巻・三重の采女と百枝槻
故作御歌。其御歌曰。袁登賣能。伊加久流袁加母。加那須岐母。伊本知母賀母。須岐婆奴流母能。故號其岡。謂金鉏岡也。又天皇坐長谷之百枝槻下。爲豐樂之時。伊勢國之三重婇。指擧大御盞以獻。爾其百枝槻葉落。浮於大御盞。其婇不知落葉浮於盞。猶獻大御酒。天皇看行其浮盞之葉。打伏其婇。以刀刺充其頸。將斬之時。其婇白天皇曰。莫殺吾身。有應白事。即歌曰。麻岐牟久能。比志呂乃美夜波。阿佐比能。比傳流美夜。由布比能。比賀氣流美夜。多氣能泥能。泥陀流美夜。許能泥能。泥婆布美夜、夜本爾余志。伊岐豆岐能美夜。麻紀佐久。比能美加度。爾比那閇夜爾。淤斐陀豆流。毛毛陀流。都紀賀延波。本都延波。阿米袁淤幣理。那加都延波。阿豆麻袁淤幣理。志豆延波。比那袁淤幣理。本都延能。延能宇良婆波。那加都延爾。淤知布良婆閇。那加都延能。延能宇良婆波。斯毛都延爾。淤知布良婆閇。斯毛都延能。延能宇良婆波。阿理岐奴能。美幣能古賀。佐佐賀世流。美豆多麻宇岐爾。宇岐志阿夫良。淤知那豆佐比。美那許袁呂。許袁呂爾。許斯母。阿夜爾加志古志。多加比加流。比能美古。許登能。加多理碁登母。許袁婆。
新字:故作御歌。其御歌曰。袁登売能。伊加久流袁加母。加那須岐母。伊本知母賀母。須岐婆奴流母能。故号其岡。謂金鉏岡也。又天皇坐長谷之百枝槻下。為豊楽之時。伊勢国之三重婇。指挙大御盞以献。爾其百枝槻葉落。浮於大御盞。其婇不知落葉浮於盞。猶献大御酒。天皇看行其浮盞之葉。打伏其婇。以刀刺充其頸。将斬之時。其婇白天皇曰。莫殺吾身。有応白事。即歌曰。麻岐牟久能。比志呂乃美夜波。阿佐比能。比伝流美夜。由布比能。比賀気流美夜。多気能泥能。泥陀流美夜。許能泥能。泥婆布美夜、夜本爾余志。伊岐豆岐能美夜。麻紀佐久。比能美加度。爾比那閇夜爾。淤斐陀豆流。毛毛陀流。都紀賀延波。本都延波。阿米袁淤幣理。那加都延波。阿豆麻袁淤幣理。志豆延波。比那袁淤幣理。本都延能。延能宇良婆波。那加都延爾。淤知布良婆閇。那加都延能。延能宇良婆波。斯毛都延爾。淤知布良婆閇。斯毛都延能。延能宇良婆波。阿理岐奴能。美幣能古賀。佐佐賀世流。美豆多麻宇岐爾。宇岐志阿夫良。淤知那豆佐比。美那許袁呂。許袁呂爾。許斯母。阿夜爾加志古志。多加比加流。比能美古。許登能。加多理碁登母。許袁婆。
書き下し
故、御歌を作りたまひき。その御歌に曰はく、「袁登賣の い隠る岡を 金鋤も 五百箇もがも 鋤き撥ぬるもの」。故、その岡を号けて、金鉏岡と謂ふ。又、天皇、長谷の百枝槻の下に坐して、豊楽したまひし時、伊勢国の三重の婇、大御盞を指し挙げて献りき。爾にその百枝槻の葉落ちて、大御盞に浮かびき。その婇、落葉の盞に浮かべるを知らずて、猶し大御酒を献りき。天皇、その盞に浮かべる葉を看行はして、その婇を打ち伏せ、刀を以ちてその頸に刺し充てて、斬らむとしたまふ時、その婇、天皇に白して曰さく、「吾が身を殺したまふこと莫かれ。白すべき事あり」とまをして、即ち歌ひて曰はく、「纏向の 日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日影る宮 竹の根の 根垂る宮 木の根の 根蔓ふ宮 八百土よし い築きの宮 真木栄く 檜の御門 新嘗屋に 生ひ立てる 百足る 槻が枝は 上つ枝は 天を覆へり 中つ枝は 東を覆へり 下枝は 鄙を覆へり 上つ枝の 枝の末葉は 中つ枝に 落ち触らばへ 中つ枝の 枝の末葉は 下枝に 落ち触らばへ 下枝の 枝の末葉は あり衣の 三重の子が 捧がせる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ち水押ひ 水こをろこをろに これしも あやに畏し 高光る 日の御子 事の 語り言も こをば」。
現代語訳
そこで天皇は歌をお作りになりました。その歌は、「乙女が隠れた丘に、金の鋤が五百本でもあったらなあ。丘を掘り払ってしまえるのに」というものです。そこでその丘を金鉏岡と呼びます。また天皇が長谷の百枝槻の木の下で宴をなさったとき、伊勢国の三重から来た采女が、大きな盃を捧げ持って献じました。ところがその槻の葉が落ちて、盃に浮かびました。采女は葉が浮かんでいるのに気づかないまま、そのままお酒を献じました。天皇は盃に浮かぶ葉をご覧になり、采女を打ち伏せ、刀をその首に当てて斬ろうとなさいました。采女は天皇に、「私を殺さないでください。申し上げたいことがございます」と言い、すぐに歌いました。その歌は次のとおりです。纏向の日代の宮は、朝日の照り輝く宮、夕日の光が射す宮、竹の根のように根が張る宮、木の根のようにしっかり根を延ばす宮、土を固く築いた宮、立派な檜の御門です。新嘗の屋に生い立つ枝の多い槻の、上の枝は天を覆い、中の枝は東の国を覆い、下の枝は鄙を覆っています。上の枝の先の葉は中の枝に落ちて触れ合い、中の枝の先の葉は下の枝に落ちて触れ合い、下の枝の先の葉は、三重の乙女が捧げる美しい盃に落ちて、浮いた脂のようにこをろこをろと水をかき鳴らしました。これこそまことに畏れ多いことです。日の御子さま、これは語り伝えの言葉でございます。
解説
この章句が説くこと
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『古事記』下巻・天語歌と三つの歌故、この歌を献りしかば、その罪を赦したまひき。爾に大后、その歌を歌ひたまひき。その歌に曰はく、「倭の この高市に 小高る 市の高処 新嘗屋に 生ひ立てる 葉広 斎つ真椿 そが葉の 広り坐し その花の 照り坐す 高光る 日の御子に 豊御酒 献らせ 事の 語り言も こをば」。即ち天皇の歌ひたまひしく、「ももしきの 大宮人は 鶉鳥 領巾取り懸けて 鶺鴒 尾行き合へ 庭雀 うずすまり居て 今日もかも 酒みづくらし 高光る 日の宮人 事の 語り言も こをば」。この三つの歌は、天語歌なり。故、この豊楽に、その三重の婇を誉めて、多禄を給ひき。この豊楽の日に、亦、春日の袁杼比売、大御酒を献りし時、天皇の歌ひたまひしく、「みなそそく 臣の乙女 ほだり取らすも ほだり持ち 堅く取らせ 下堅く 弥堅く取らせ ほだり取らす子」。これは宇岐歌なり。
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『古事記』下巻・赤猪子の返歌と吉野の童女ここに赤猪子の泣く涙、悉くその服せる丹摺の袖を湿らしつ。その大御歌に答へて歌ひて曰く、「みもろに 築くや玉垣 築き余し 誰にかも依らむ 神の宮人」。また歌ひて曰く、「日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも」。ここに多祿をその老女に給ひて、返し遣はしたまひき。故、この四つの歌は志都歌なり。天皇、吉野宮に幸行でましし時、吉野川の浜に、童女有り。その形姿美麗し。故、この童女を婚ひて、宮に還り坐しき。後に更にまた吉野に幸行でましし時、その童女の遇ひし所に留まりて、その処に大御呉床を立てて、その御呉床に坐して、御琴を弾きて、その嬢子に儛せしめたまひき。ここにその嬢子の好く儛ふに因りて、御歌を作りたまひき。その歌に曰く、「呉床居の 神の御手もち 弾く琴に 舞する女 常世にもがも」。即ち阿岐豆野に幸して、御獦したまふ時、天皇、御呉床に坐しき。ここに蝱、御腕を咋ひき。即ち蜻蛉来て、その蝱を咋ひて飛びき。(蜻蛉を訓みて阿岐豆と云ふ。)ここに御歌を作りたまひき。
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『古事記』中巻・矢河枝比売との出会い一時、天皇、近つ淡海の国に越え幸でましし時、宇遅野の上に御立ちして、葛野を望けて、歌ひて曰く、「千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ」。故、木幡の村(山城国宇治郡)に到り坐しし時、麗美しき嬢子、その道衢に遇へり。ここに天皇、その嬢子に問ひて曰く、「汝は誰が子ぞ」とのりたまへば、答へて白さく、「丸邇之比布礼能意富美の女、名は宮主矢河枝比売」とまをしき。天皇すなはちその嬢子に詔りたまはく、「吾、明日還り幸でます時、汝が家に入り坐さむ」とのりたまひき。故、矢河枝比売、委曲にその父に語りき。ここに父答へて曰く、「これは天皇にますなり。恐し。我が子仕へ奉れ」と云ひて、その家を厳餝りて候ひ待てば、明日入り坐しき。故、大御饗を献る時、その女矢河枝比売に、大御酒盞を取らしめて献りき。ここに天皇、その大御酒盞を取らしめながら、御歌に曰く、「この蟹や いづくの蟹 百伝ふ 角鹿の蟹 横去らふ いづくに至る 伊知遅島 み島に着き 鳰鳥の 潜き息づき しなだゆふ 楽浪道を すくすくと 我が行ませばや 木幡の道に 遇はしし嬢子 後方は 小楯ろかも 歯並みは 椎菱如す 櫟井の 丸邇坂の土を 初土は 膚赤らけみ 底土は 丹黒きゆゑ 三つ栗の その中つ土を 頭著く 真火には当てず 眉画き 濃に画き垂れ 遇はしし女 かもがと 我が見し子ら かくもがと 我が見し子に うたたけだに 向ひ居るかも い副ひ居るかも」。かく御合したまひき。
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『古事記』下巻・口子臣の歌と雨中の嘆願また、丸邇臣口子を続けて遣はして、歌ひて曰く、「みもろの その高きなる 大韋子が 腹の 大韋子が 腹にある 肝向かふ 心をだにか 相思はずあらむ」。また歌ひて曰く、「つぎねふ 山城女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕 枕かずけばこそ 知らずとも言はめ」。故、この口子臣、この御歌を白す時、大雨降りき。ここにその雨を避けず、前の殿戸に参り伏せば後の戸に違ひ出で、後の殿戸に参り伏せば前の戸に違ひ出づ。ここに匍匐ひ進み赴きて、庭の中に跪く時、水潦腰に至りき。その臣、紅の紐著けたる青摺の衣を服たり。故、水潦、紅の紐に拂れて、青みな紅の色に変はりき。ここに口子臣の妹、口日売、大后に仕へ奉れり。故、この口日売歌ひて曰く、「山城の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 涙ぐましも」。ここに太后、その由を問ひたまふ時、答へて白さく、「僕の兄、口子臣なり」とまをしき。ここに口子臣、(原文はここで途切れる)
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『古事記』下巻・置目の帰郷と陵の破壊ここに置目老媼、白さく、「僕、甚だ耆老いにたり。本つ国に退らむと欲ふ」とまをす。故、白すに随ひて退る時、天皇見送りて、歌ひたまはく、「置目もや 近江の置目 明日よりは み山隠りて 見えずかもあらむ」。初め天皇、難に逢ひて逃げたまひし時、その御糧を奪ひし猪甘の老人、これ求め得たり。喚び上げて、飛鳥河の河原に斬り、皆その族の膝の筋を断ちき。ここを以ちて、今に至るまで、その子孫、倭に上る日は、必ず自ら跛なり。故、よく志米岐(志米岐の三字は音を以ちてす)、その老の所在を見き。故、その地を志米須と謂ふ。天皇、深くその父王を殺したまひし大長谷天皇を怨み、その霊に報いむと欲ほしき。故、その大長谷天皇の御陵を毀たむと欲ひて、人を遣はさむとする時、その伊呂兄意富祁命奏して言さく、「この御陵を破壊らむには、他し人を遣るべからず。専ら僕自ら行きて、天皇の御心の如く、破壊りて参出む」とまをしき。爾に天皇、詔りたまはく、「然らば、命のまにまに宜しく幸行でよ」とのりたまひき。ここを以ちて意富祁命、自ら下り幸でまして、少しくその御陵の傍の土を掘りて、還り上りて、復奏して言さく、「既に掘り壊ちつ」とまをしき。爾に天皇、その早く還り上りしを異しみて、詔りたまはく、「如何にか破壊りし」とのりたまひき。答へて白さく、「少しくその陵の傍の土を掘りつ」とまをしき。
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『古事記』下巻・蜻蛉の歌と葛城山の猪その歌に曰く、「みえしのの 小室が嶽に 猪鹿伏すと 誰ぞ 大前に申す やすみしし 吾が大君の 猪鹿待つと 呉床に坐し 白妙の 袖着具ふ 手腓に 虻掻き着き その虻を 蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ」。故、その時より、その野を号けて阿岐豆野と謂ふ。また一時、天皇、葛城の山の上に登り幸でましき。ここに大猪出でたり。即ち天皇、鳴鏑を以てその猪を射たまふ時、その猪怒りて、宇多岐依り来。(宇多岐の三字は音を以てす)。故、天皇その宇多岐を畏みて、榛の上に登り坐しき。ここに歌ひて曰く、「やすみしし 吾が大君の 遊ばしし 猪の 病み猪の うたき畏み 吾が逃げ登りし 在り丘の 榛の木の枝」。また一時、天皇、葛城山に登り幸でましし時、百官の人等、悉に紅き紐著けたる青摺の衣服を給はりき。その時、その向かひし山の尾より、山の上に登る人あり。既に天皇の鹵簿に等しかりき。

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