古事記 / 中巻・伊服岐の山の神と傲り
故爾御合而。以其御刀之草那藝劒。置其美夜受比賣之許而。取伊服岐能山之神幸行。於是詔。茲山神者徒手直取而。騰其山之時。白猪逢于山邊。其大如牛。爾爲言擧而詔。是化白猪者。其神之使者。雖今不殺。還時將殺而。騰坐。於是零大氷雨。打惑倭建命。(此化白猪者。非其神之使者。當其神之正身。因言擧見惑也。)故還下坐之。到玉倉部之清泉。以息坐之時。御心稍寤。故號其清泉。謂居寤清泉也。自其處發。到當藝野上之時。詔者。吾心恆念自虛翔行。然今吾足不得步。成當藝斯形。(自當下三字以音)故號其地謂當藝也。自其地差少幸行。因甚疲衝御杖稍步。故號其地謂杖衝坂也。到坐尾津前一松之許。先御食之時。所忘其地御刀。不失猶有。
新字:故爾御合而。以其御刀之草那芸劒。置其美夜受比売之許而。取伊服岐能山之神幸行。於是詔。茲山神者徒手直取而。騰其山之時。白猪逢于山辺。其大如牛。爾為言挙而詔。是化白猪者。其神之使者。雖今不殺。還時将殺而。騰坐。於是零大氷雨。打惑倭建命。(此化白猪者。非其神之使者。当其神之正身。因言挙見惑也。)故還下坐之。到玉倉部之清泉。以息坐之時。御心稍寤。故号其清泉。謂居寤清泉也。自其処発。到当芸野上之時。詔者。吾心恒念自虚翔行。然今吾足不得歩。成当芸斯形。(自当下三字以音)故号其地謂当芸也。自其地差少幸行。因甚疲衝御杖稍歩。故号其地謂杖衝坂也。到坐尾津前一松之許。先御食之時。所忘其地御刀。不失猶有。
書き下し
かれ爾して御合(みあ)ひして、その御刀の草那芸剣を、その美夜受比売の許に置きて、伊服岐能山の神を取りに幸行でましき。ここに詔りたまはく、「この山の神は、徒手(むなで)に直(ただ)に取らむ」とのりたまひて、その山に騰りたまふ時に、白き猪、山辺に逢へり。その大きさ牛のごとし。爾して言挙げして詔りたまはく、「この白き猪に化れるは、その神の使者(つかはしめ)なり。今は殺さずとも、還らむ時に殺さむ」とのりたまひて、騰り坐しき。ここに大氷雨を零らして、倭建命を打ち惑はしき。(この白き猪に化れるは、その神の使者にあらず、その神の正身(ただみ)に当たれるなり。言挙げによりて惑はさえしなり。)かれ還り下りて坐しし、玉倉部の清泉に到りて息(いこ)ひ坐しし時に、御心稍々(やや)寤(さ)めき。かれその清泉を号けて居寤の清泉と謂ふ。その処より発ちて、当芸野の上に到りし時に、詔りたまはく、「吾が心、恒に虚(そら)より翔り行かむと念(おも)ひき。然れども今吾が足歩むこと得ず、当芸斯(たぎし)の形に成りぬ」とのりたまひき。(当より下の三字は音をもちてす。)かれその地を号けて当芸と謂ふ。その地より差し少しく幸行でましし、甚だ疲れたるによりて、御杖を衝きて稍々歩みたまひき。かれその地を号けて杖衝坂と謂ふ。尾津の前の一つ松の許に到り坐しし、先に御食(みをし)したまひし時に、その地に忘れたまひし御刀、失せずてなほ有りき。
現代語訳
こうして美夜受比売と結ばれ、倭建命は自分の刀である草那芸剣を美夜受比売のもとに置いたまま、伊服岐能山の神を討ちに出かけました。そして言いました。「この山の神は素手で直接討ち取ろう」。山に登ると、山の麓で白い猪に出会いました。その大きさは牛ほどもありました。倭建命は言挙げをして言いました。「この白い猪は、その神の使いだ。今は殺さなくても、帰る時に殺そう」。そう言って登っていくと、神は大きな氷雨を降らせ、倭建命を打ち惑わせました。(この白い猪は、神の使いではなく、神そのものでした。倭建命が言挙げしたために、惑わされたのです)。倭建命は引き返して下り、玉倉部の清泉で休むうちに、気持ちがやや正気に返りました。それでその清泉を「居寤の清泉」と呼びます。そこから出発して、当芸野のあたりに来た時、言いました。「私の心は、いつも空を翔けて行きたいと思っていた。しかし今、私の足は動かず、よろめいている」。それでその地を当芸と呼びます。そこから少し進んで、疲れ果てて杖をついて歩みました。それでその地を杖衝坂と呼びます。尾津の前の一本松のところに来ると、以前そこで食事をしたときに忘れた刀が、失われずにそのまま残っていました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
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『法句経』第十九 住法の部 二七一・二七二 意を安んずる勿れ二七一 我は唯禁戒を持ち、或は復多く学び、又は心の安定を得、或は閑静処に住みて、 二七二 (此に由つて)凡夫の習はざる出離楽を証せず、比丘よ、未だ心中の穢を尽さずんば意を安んずる勿れ。
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『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
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『翁問答』下卷之本体充曰、魔境へおち入とは、いかやうなるを申候や。師の曰、或は贋の学問にふけり或は学問せざれども暗処に魔を来しぬれば、自満の心根かたくなり枝葉しげりて異風になり、人をば生るむしとも思はず、天下にわれをこすべきものなしと、人もゆるさぬ高満を鼻にあて、親おやかたの愚痴なるをさげしみおかしく思ひ、主君をそしり朋友をあざけりて、孝悌忠信の生道をさまたげ邪魔に相通じ悪魔と作法をあはするを魔境に陥ると云なり、うまれつき利根無欲けなげなる人此やまひ多し。
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『翁問答』下卷之本体充曰、にせの学問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心気やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高満の魔心ふかき故に、本来非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
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史記 秦本紀其の秋、甘茂・庶長封をして宜陽を伐たしむ。四年、宜陽を抜き、首を斬ること六万。河を渉り、武遂に城く。魏の太子来朝す。武王力有りて戯を好む。力士任鄙・烏獲・孟説皆大官に至る。王孟説と鼎を挙げ、臏を絶つ。八月、武王死す。孟説を族す。武王魏の女を取りて后と為すも、子無し。異母弟を立つ。是を昭襄王と為す。昭襄の母は楚人にして、姓は羋氏、宣太后と号す。武王の死せし時、昭襄王燕に質為り。燕人送り帰し、立つを得たり。昭襄王の元年、厳君疾相と為る。甘茂出でて魏に之く。二年、彗星見る。庶長壮大臣・諸侯・公子と逆を為し、皆誅せらる。恵文后に及ぶまで皆良死を得ず。悼武王の后出でて魏に帰る。三年、王冠す。楚王と黄棘に会し、楚に上庸を与ふ。四年、蒲阪を取る。彗星見る。五年、魏王来たりて応亭に朝す。復た魏に蒲阪を与ふ。六年、蜀侯煇反き、司馬錯蜀を定む。庶長奐楚を伐ち、首を斬ること二万。涇陽君斉に質たり。日食し、昼晦し。七年、新城を抜く。樗里子卒す。八年、将軍羋戎をして楚を攻めしめ、新市を取る。斉は章子をして、魏は公孫喜をして、韓は暴鳶をして共に楚の方城を攻めしめ、唐眛を取る。趙中山を破り、其の君亡げ、竟に斉に死す。魏の公子勁・韓の公子長諸侯と為る。九年、孟嘗君薛文来たりて秦に相たり。奐楚を攻め、八城を取り、其の将景快を殺す。十年、楚の懐王入りて秦に朝す。秦之を留む。薛文金を以て免るるを受く。楼緩丞相と為る。十一年、斉・韓・魏・趙・宋・中山の五国共に秦を攻め、塩氏に至りて還る。秦韓・魏に河北及び封陵を与へて以て和す。彗星見る。楚の懐王走りて趙に之く。趙受けず、之を秦に還す。即ち死し、帰葬す。十二年、楼緩免ぜられ、穣侯魏冉相と為る。楚に粟五万石を予ふ。

人生を、一行の式にしてみた。
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