古事記 / 中巻・思国歌と倭建命の絶命
爾御歌曰。袁波理邇。多陀邇牟迦弊流。袁都能佐岐那流。比登都麻都。阿勢袁。比登都麻都。比登邇阿理勢婆。多知波氣麻斯袁。岐奴岐勢麻斯袁。比登都麻都。阿勢袁。自其地幸。到三重村之時。亦詔之。吾足如三重勾而甚疲。故號其地謂三重。自其幸行而。到能煩野(鈴鹿郡)之時。思國以歌曰。夜麻登波。久爾能麻本呂婆。多多那豆久。阿袁加岐夜麻。碁母禮流。夜麻登志。宇流波斯。又歌曰。伊能知能。麻多祁牟比登波。多多美許母。幣具理能夜麻能。久麻加志賀波袁。宇受爾佐勢。曾能古。此歌者思國歌也。又歌曰。波斯祁夜斯。和岐幣能迦多用。久毛韋多知久母。此者片歌也。此時御病甚急。爾御歌曰。袁登賣能。登許能辨爾。和賀淤岐斯。都流岐能多知。曾能多知波夜。歌竟即崩。
新字:爾御歌曰。袁波理邇。多陀邇牟迦弊流。袁都能佐岐那流。比登都麻都。阿勢袁。比登都麻都。比登邇阿理勢婆。多知波気麻斯袁。岐奴岐勢麻斯袁。比登都麻都。阿勢袁。自其地幸。到三重村之時。亦詔之。吾足如三重勾而甚疲。故号其地謂三重。自其幸行而。到能煩野(鈴鹿郡)之時。思国以歌曰。夜麻登波。久爾能麻本呂婆。多多那豆久。阿袁加岐夜麻。碁母礼流。夜麻登志。宇流波斯。又歌曰。伊能知能。麻多祁牟比登波。多多美許母。幣具理能夜麻能。久麻加志賀波袁。宇受爾佐勢。曽能古。此歌者思国歌也。又歌曰。波斯祁夜斯。和岐幣能迦多用。久毛韋多知久母。此者片歌也。此時御病甚急。爾御歌曰。袁登売能。登許能弁爾。和賀淤岐斯。都流岐能多知。曽能多知波夜。歌竟即崩。
書き下し
爾して御歌に曰はく、「尾張に 直(ただ)に向へる 尾津の崎なる 一つ松 あせを 一つ松 人にありせば 太刀佩(は)けましを 衣着せましを 一つ松 あせを」。その地より幸でまして、三重村に到りし時に、また詔りたまはく、「吾が足、三重の勾(まがり)のごとくして甚だ疲れたり」とのりたまひき。かれその地を号けて三重と謂ふ。その幸行でましし自り、能煩野(鈴鹿郡)に到りし時に、国を思ひて歌ひて曰はく、「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし」。また歌ひて曰はく、「命の 全(また)けむ人は 畳薦 平群の山の 熊白檮が葉を 髻華(うず)に挿せ その子」。この歌は思国歌なり。また歌ひて曰はく、「はしけやし 我家の方よ 雲居立ち来も」。これは片歌なり。この時御病甚だ急かなり。爾して御歌に曰はく、「嬢子の 床の辺に 我が置きし 剣の太刀 その太刀はや」。歌ひ竟(を)へて即ち崩(かむあが)りたまひき。
現代語訳
倭建命は歌いました。「尾張にまっすぐ向かっている尾津の崎の一本松よ、ああ、一本松が人であったなら、太刀を腰に佩かせてやろうものを、着物を着せてやろうものを、一本松よ、ああ」。そこから進んで三重村に着いた時、また言いました。「私の足は、三重に折れ曲がったようになって、ひどく疲れた」。それでその地を三重と呼びます。そこから進み、能煩野(鈴鹿郡)に着いた時、故郷を思って歌いました。「大和は国の中でいちばんよいところだ。幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれた大和は、なんと美しいことか」。また歌いました。「命が無事で長い人は、平群の山の大きな樫の葉を髪飾りにして挿しなさい、子らよ」。この歌は思国歌です。また歌いました。「なつかしいことだ、我が家のほうから雲が立ち上がってくるよ」。これは片歌です。この時、御病気はひどく重くなっていました。そのとき最後の歌を詠みました。「乙女の床のそばに私が置いてきた剣の太刀、ああ、その太刀よ」。歌い終えると、すぐに亡くなりました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』中巻・白鳥となった倭建命の葬り爾して駅使を貢(たてまつ)り上りき。ここに倭に坐す后等、また御子等、諸々下り到りて、御陵を作りて、即ちその地の那豆岐田(なづきだ)を匍匐(はらば)ひ廻りて、哭(ね)き為して歌ひて曰はく、「なづきの田の 稲幹(いながら)に 稲幹に 這ひもとほろふ 野老蔓(ところづら)」。ここに八尋の白智鳥に化りて、天に翔りて浜に向きて飛び行きき。(智の字は音をもちてす。)爾してその后また御子等、その小竹の刈杙(かりくひ)に、足跳(あが)き破れども、その痛みを忘れて哭き追ひき。この時に歌ひて曰はく、「浅小竹原 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな」。また、その海塩に入りて、なづみ(この三字は音をもちてす)行く時に歌ひて曰はく、「海が行けば 腰なづむ 大河原の 植ゑ草 海がは いさよふ」。また、その磯に飛び居たる時に、歌ひて曰はく、「浜つ千鳥 浜よは行かず 磯伝ふ」。この四歌は、皆その御葬に歌ひき。かれ今に至るまで、その歌は天皇の大御葬に歌ふなり。かれその国より飛び翔りて行き、河内国の志幾(志紀)に留まりき。
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『古事記』中巻・弟橘比売の入水と東の嘆きかれその地は、今に焼遺(やきづ)と謂ふ。その入り幸でましし自(よ)り、走水の海を渡りたまふ時に、その渡の神、浪を興(おこ)して船を廻らし、進み渡ること得ざりき。爾してその后、名は弟橘比売命白したまはく、「妾、御子に易(か)はりて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政(まつりごと)を遂げて覆奏したまふべし」とまをして、海に入らむとする時に、菅畳八重、皮畳八重、絁畳八重を波の上に敷きて、その上に下り坐しき。ここにその暴き浪自ら伏し、御船進むことを得き。爾してその后の歌に曰はく、「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」。かれ七日の後に、その后の御櫛、海辺に依りき。乃ちその櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき。その入り幸でましし自り、悉く荒夫琉蝦夷等を言向け、また山河の荒ぶる神等を平らげ和して、還り上り幸でます時に、足柄の坂本に到りて、御粮(みかれひ)を食(を)す処にて、その坂の神、白き鹿に化りて来立ちき。爾して即ちその咋ひ遺せる蒜(ひる)の片端をもちて待ち打ちたまへば、その目に中りて乃ち打ち殺したまひき。かれその坂に登り立ちて、三たび歎かして詔りたまはく、「吾妻はや」とのりたまひき。(阿より下の五字は音をもちてす。)かれその国を号けて阿豆麻と謂ふ。即ちその国より越え出でて甲斐に、酒折宮に坐しし時に、歌に曰はく、「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」。
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『古事記』中巻・出雲建を欺くかれその時より、御名を称へて倭建命と謂ふ。然して還り上りし時に、山の神、河の神、また穴戸の神、皆言向け和して参上りたまひき。即ち出雲国に入り坐して、その出雲建を殺さむと欲(おも)ひて、到りて即ち友を結びたまひき。かれ竊かに赤檮(いちひ)をもちて詐刀(いつはりたち)を作り、御佩(はか)しとなして、共に肥河に沐(ゆあみ)したまひき。爾して倭建命、河より先に上り、出雲建の解き置きし横刀を取りて佩き、「刀を易へむ」と詔りたまひき。かれ後に出雲建、河より上りて、倭建命の詐刀を佩きき。ここに倭建命、誂(あつら)へて云はく、「いざ刀合はせむ」とのりたまひき。爾して各々その刀を拔く時に、出雲建、詐刀を拔くこと得ず。即ち倭建命、その刀を拔きて、出雲建を打ち殺したまひき。爾して御歌に曰はく、「やつめさす 出雲建が 佩ける太刀 黒葛(つづら)多(さは)巻き さ身(み)無しに あはれ」。かくして撥ひ治め、参上りて覆奏したまひき。爾して天皇、また頻りに倭建命に詔りたまひて、「東の方十二道の荒ぶる神、また伏ろはぬ人等を言向け和平せ」とのりたまひて、吉備臣等が祖、名は御鉏友耳建日子を副へて遣はす時に、比比羅木の八尋矛を給ひき。(比比羅の三字は音をもちてす。)かれ命を受けて罷り行く時に、伊勢の大御神の宮に参入りて、神の朝廷(みかど)を拝み、即ちその姨倭比売命に白したまはく、
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『古事記』中巻・倭比売の囊と野の火「天皇、既に吾を死ねと思ほすゆゑか。何ぞ西の方の悪しき人等を撃ちに遣はして、返り参上り来し間、未だ幾時も経ぬに、軍衆(いくさびと)を賜はずて、今更に東の方十二道の悪しき人等を平らげに遣はすらむ。これによりて思惟(おもひ)みるに、なほ吾既に死ねと思ほし看すなり」と患ひ泣きて罷りたまふ時に、倭比売命、草那芸剣を賜ひ、また御囊を賜ひて詔りたまはく、「もし急かなる事あらば、この囊の口を解け」とのりたまひき。かれ尾張国に到りて、尾張国造の祖、美夜受比売の家に入り坐しき。乃ち婚はむと思ほせども、また還り上らむ時に婚はむと思ほして、期(ちぎ)り定めて東国に幸でまし、悉く山河の荒ぶる神、また伏ろはぬ人等を言向け和平したまひき。かれここに相武国に到りし時に、その国造詐りて白さく、「この野の中に大沼あり。この沼の中に住む神、甚だ道速振る神なり」とまをしき。ここにその神を看に行きたまひて、その野に入り坐しき。爾してその国造、その野に火を著けき。かれ欺かれたりと知りて、その姨倭比売命の給へる囊の口を解き開けて見たまへば、火打ちその裏にありき。ここに先づその御刀をもちて草を刈り撥ひ、その火打ちをもちて火を打ち出して、向火(むかへび)を著けて焼き退け、還り出でて、皆その国造等を切り滅ぼし、即ち火を著けて焼きたまひき。
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『古事記』下巻・三重の采女と百枝槻故、御歌を作りたまひき。その御歌に曰はく、「袁登賣の い隠る岡を 金鋤も 五百箇もがも 鋤き撥ぬるもの」。故、その岡を号けて、金鉏岡と謂ふ。又、天皇、長谷の百枝槻の下に坐して、豊楽したまひし時、伊勢国の三重の婇、大御盞を指し挙げて献りき。爾にその百枝槻の葉落ちて、大御盞に浮かびき。その婇、落葉の盞に浮かべるを知らずて、猶し大御酒を献りき。天皇、その盞に浮かべる葉を看行はして、その婇を打ち伏せ、刀を以ちてその頸に刺し充てて、斬らむとしたまふ時、その婇、天皇に白して曰さく、「吾が身を殺したまふこと莫かれ。白すべき事あり」とまをして、即ち歌ひて曰はく、「纏向の 日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日影る宮 竹の根の 根垂る宮 木の根の 根蔓ふ宮 八百土よし い築きの宮 真木栄く 檜の御門 新嘗屋に 生ひ立てる 百足る 槻が枝は 上つ枝は 天を覆へり 中つ枝は 東を覆へり 下枝は 鄙を覆へり 上つ枝の 枝の末葉は 中つ枝に 落ち触らばへ 中つ枝の 枝の末葉は 下枝に 落ち触らばへ 下枝の 枝の末葉は あり衣の 三重の子が 捧がせる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ち水押ひ 水こをろこをろに これしも あやに畏し 高光る 日の御子 事の 語り言も こをば」。
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『古事記』下巻・衣通王の追慕と心中故、後にまた恋ひ慕ひるに堪へずして、追ひ往く時、歌ひて曰く、「君が行き 日長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ」。(ここに山多豆と云ふは、今の造木なり。)故、追ひ到りし時、待ち懐ひて、歌ひて曰く、「隠り国の 泊瀬の山の 大峰には 幡張り立て さ小峰には 幡張り立て 大峰にし 中定める 思ひ妻 あはれ 槻弓の 臥やる臥やりも 梓弓 立てり立てりも 後も取り見る 思ひ妻 あはれ」。また歌ひて曰く、「隠り国の 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を掛け 真杭には 真玉を掛け 真玉なす 吾が思ふ妹 鏡なす 吾が思ふ妻 ありと言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ」。かく歌ひて、即ち共に自ら死にたまひき。

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