古事記 / 中巻・老人と美夜受の歌
爾其御火燒之老人續御歌以歌曰。迦賀那倍豆。用邇波許許能用。比邇波登袁加袁。是以譽其老人。即給東國造也。自其國越科野國。乃言向科野之坂神而。還來尾張國。入坐先日所期美夜受比賣之許。於是。獻大御食之時。其美夜受比賣捧大御酒盞以獻。爾美夜受比賣其於意須比之襴。(意須比三字以音)著月經。故見其月經。御歌曰。比佐迦多能。阿米能迦具夜麻。斗迦麻邇。佐和多流久毘。比波煩曾。多和夜賀比那袁。麻迦牟登波。阿禮波須禮杼。佐泥牟登波。阿禮波意母閇杼。那賀祁勢流。意須比能須蘇邇。都紀多知邇祁理。爾美夜受比賣答御歌曰。多迦比迦流。比能美古。夜須美斯志。和賀意富岐美。阿良多麻能。登斯賀岐布禮婆。阿良多麻能。都紀波岐閇由久。宇倍那宇倍那。岐美麻知賀多爾。和賀邪勢流。意須比能須蘇邇。都紀多多那牟余。
新字:爾其御火焼之老人続御歌以歌曰。迦賀那倍豆。用邇波許許能用。比邇波登袁加袁。是以誉其老人。即給東国造也。自其国越科野国。乃言向科野之坂神而。還来尾張国。入坐先日所期美夜受比売之許。於是。献大御食之時。其美夜受比売捧大御酒盞以献。爾美夜受比売其於意須比之襴。(意須比三字以音)著月経。故見其月経。御歌曰。比佐迦多能。阿米能迦具夜麻。斗迦麻邇。佐和多流久毘。比波煩曽。多和夜賀比那袁。麻迦牟登波。阿礼波須礼杼。佐泥牟登波。阿礼波意母閇杼。那賀祁勢流。意須比能須蘇邇。都紀多知邇祁理。爾美夜受比売答御歌曰。多迦比迦流。比能美古。夜須美斯志。和賀意富岐美。阿良多麻能。登斯賀岐布礼婆。阿良多麻能。都紀波岐閇由久。宇倍那宇倍那。岐美麻知賀多爾。和賀邪勢流。意須比能須蘇邇。都紀多多那牟余。
書き下し
爾してその御火焼(みひたき)の老人、御歌に続ぎて歌ひて曰はく、「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」。ここをもちてその老人を誉めて、即ち東国造を給ひき。その国より科野国に越え、乃ち科野の坂の神を言向けて、尾張国に還り来て、先の日に期(ちぎ)りし美夜受比売の許に入り坐しき。ここに大御食を献る時に、その美夜受比売、大御酒盞(おほみきさかづき)を捧げて献りき。爾してその美夜受比売、その意須比(おすひ)の襴(すそ)に月経著きき。かれその月経を見て、御歌に曰はく、「ひさかたの 天の香具山 利鎌(とがま)に さ渡る鵠(くび) ひはぼそ たわや腕(がひな)を 枕(ま)かむとは 我はすれど さ寝むとは 我は思へど 汝が著せる 襲衣(おすひ)の襴に 月立ちにけり」。爾して美夜受比売、御歌に答へて曰はく、「高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経(きふ)れば あらたまの 月は来経往く 諾(うべ)な諾な 君待ちがたに 我が著せる 襲衣の襴に 月立たなむよ」。
現代語訳
すると、その火焚きの老人が、その歌に続けて歌いました。「日を数えてみれば、夜は九夜、昼は十日を過ごしたことです」。倭建命はその老人を褒め、東国造の地位を与えました。その国から信濃国に越え、信濃の坂の神を従わせて、尾張国に戻り、先に約束した美夜受比売のもとに入りました。そこで食事を献上するとき、美夜受比売は大きな酒杯を捧げて献上しました。すると、美夜受比売の上着の裾に月経の血がついていました。倭建命はそれを見て歌いました。「天の香具山の空を、鋭い鎌のように渡っていく白鳥のように、か細く、しなやかな腕を枕にしたいと私は思い、共に寝たいと私は思っていたが、あなたの着ている上着の裾に、月が立ってしまったのだな」。美夜受比売は歌に答えました。「日の光り輝く御子様、天下をお治めになる我が大君様。年が来ては過ぎ行けば、月も来ては過ぎ行きます。ごもっともです、ごもっともです。あなた様を待ちかねて、私が着ている上着の裾に、月が立ってしまったのでしょう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』中巻・倭比売の囊と野の火「天皇、既に吾を死ねと思ほすゆゑか。何ぞ西の方の悪しき人等を撃ちに遣はして、返り参上り来し間、未だ幾時も経ぬに、軍衆(いくさびと)を賜はずて、今更に東の方十二道の悪しき人等を平らげに遣はすらむ。これによりて思惟(おもひ)みるに、なほ吾既に死ねと思ほし看すなり」と患ひ泣きて罷りたまふ時に、倭比売命、草那芸剣を賜ひ、また御囊を賜ひて詔りたまはく、「もし急かなる事あらば、この囊の口を解け」とのりたまひき。かれ尾張国に到りて、尾張国造の祖、美夜受比売の家に入り坐しき。乃ち婚はむと思ほせども、また還り上らむ時に婚はむと思ほして、期(ちぎ)り定めて東国に幸でまし、悉く山河の荒ぶる神、また伏ろはぬ人等を言向け和平したまひき。かれここに相武国に到りし時に、その国造詐りて白さく、「この野の中に大沼あり。この沼の中に住む神、甚だ道速振る神なり」とまをしき。ここにその神を看に行きたまひて、その野に入り坐しき。爾してその国造、その野に火を著けき。かれ欺かれたりと知りて、その姨倭比売命の給へる囊の口を解き開けて見たまへば、火打ちその裏にありき。ここに先づその御刀をもちて草を刈り撥ひ、その火打ちをもちて火を打ち出して、向火(むかへび)を著けて焼き退け、還り出でて、皆その国造等を切り滅ぼし、即ち火を著けて焼きたまひき。
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『古事記』中巻・矢河枝比売との出会い一時、天皇、近つ淡海の国に越え幸でましし時、宇遅野の上に御立ちして、葛野を望けて、歌ひて曰く、「千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ」。故、木幡の村(山城国宇治郡)に到り坐しし時、麗美しき嬢子、その道衢に遇へり。ここに天皇、その嬢子に問ひて曰く、「汝は誰が子ぞ」とのりたまへば、答へて白さく、「丸邇之比布礼能意富美の女、名は宮主矢河枝比売」とまをしき。天皇すなはちその嬢子に詔りたまはく、「吾、明日還り幸でます時、汝が家に入り坐さむ」とのりたまひき。故、矢河枝比売、委曲にその父に語りき。ここに父答へて曰く、「これは天皇にますなり。恐し。我が子仕へ奉れ」と云ひて、その家を厳餝りて候ひ待てば、明日入り坐しき。故、大御饗を献る時、その女矢河枝比売に、大御酒盞を取らしめて献りき。ここに天皇、その大御酒盞を取らしめながら、御歌に曰く、「この蟹や いづくの蟹 百伝ふ 角鹿の蟹 横去らふ いづくに至る 伊知遅島 み島に着き 鳰鳥の 潜き息づき しなだゆふ 楽浪道を すくすくと 我が行ませばや 木幡の道に 遇はしし嬢子 後方は 小楯ろかも 歯並みは 椎菱如す 櫟井の 丸邇坂の土を 初土は 膚赤らけみ 底土は 丹黒きゆゑ 三つ栗の その中つ土を 頭著く 真火には当てず 眉画き 濃に画き垂れ 遇はしし女 かもがと 我が見し子ら かくもがと 我が見し子に うたたけだに 向ひ居るかも い副ひ居るかも」。かく御合したまひき。
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『古事記』下巻・口子臣の歌と雨中の嘆願また、丸邇臣口子を続けて遣はして、歌ひて曰く、「みもろの その高きなる 大韋子が 腹の 大韋子が 腹にある 肝向かふ 心をだにか 相思はずあらむ」。また歌ひて曰く、「つぎねふ 山城女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕 枕かずけばこそ 知らずとも言はめ」。故、この口子臣、この御歌を白す時、大雨降りき。ここにその雨を避けず、前の殿戸に参り伏せば後の戸に違ひ出で、後の殿戸に参り伏せば前の戸に違ひ出づ。ここに匍匐ひ進み赴きて、庭の中に跪く時、水潦腰に至りき。その臣、紅の紐著けたる青摺の衣を服たり。故、水潦、紅の紐に拂れて、青みな紅の色に変はりき。ここに口子臣の妹、口日売、大后に仕へ奉れり。故、この口日売歌ひて曰く、「山城の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 涙ぐましも」。ここに太后、その由を問ひたまふ時、答へて白さく、「僕の兄、口子臣なり」とまをしき。ここに口子臣、(原文はここで途切れる)
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『古事記』中巻・国主たちの献酒の歌故、その嬢子を賜はりし後に、太子歌ひて曰く、「道の後 古波陀嬢子を 神の如 聞えしかども 相枕まく」。また歌ひて曰く、「道の後 古波陀嬢子は 争はず 寝しくをしぞも 愛しみ思ふ」。また吉野の国主ら、大雀命の佩かせる御刀を瞻て、歌ひて曰く、「品陀の 日の御子 大雀 大雀 佩かせる太刀 本つるぎ 末ふゆ ふゆ木の すからが下木の さやさや」。また吉野の白檮の上に横臼を作りて、その横臼に大御酒を醸みて、その大御酒を献る時、口鼓を撃ちて伎を為て、歌ひて曰く、「橿の生に 横臼を作り 横臼に 醸みし大御酒 うまらに 聞こし持ち食せ まろが父」。この歌は、国主らが大贄を献る時々に、恒に今に至るまで詠ふ歌なり。
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『古事記』下巻・犬の贈り物と赤猪子故、その火を著くることを止めしめたまひき。即ちその若日下部王の許に幸行でまして、その犬を賜ひ入れて、令詔りたまひしく、「この物は、今日道に得つる奇しき物なり。故、都摩杼比(この四字は音を以てす)の物」と云ひて、賜ひ入れたまひき。ここに若日下部王、天皇に奏さしめたまひしく、「日に背きて幸行でましし事、甚恐し。故、己直に参上りて仕へ奉らむ」とまをさしめたまひき。ここを以て宮に還り上り坐す時、その山の坂の上に行き立ちて、歌ひて曰く、「日下辺の こちの山と 畳薦 平群の山の こちごちの 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫 本には 生く美竹生ひ 末辺には たし美竹生ひ 生く美竹 いくみは寝ず たし美竹 たしには率寝ず 後も組み寝む その思ひ妻 あはれ」。即ちこの歌を持たしめて、使を返したまひき。また一時、天皇遊行でまして、美和河に到りし時、河の辺に衣洗ふ童女有り。その容姿甚麗しかりき。天皇、その童女に問ひたまひしく、「汝は誰が子ぞ」とのりたまひき。答へて白さく、「己が名は引田部赤猪子と謂ふ」とまをしき。
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『古事記』中巻・弟橘比売の入水と東の嘆きかれその地は、今に焼遺(やきづ)と謂ふ。その入り幸でましし自(よ)り、走水の海を渡りたまふ時に、その渡の神、浪を興(おこ)して船を廻らし、進み渡ること得ざりき。爾してその后、名は弟橘比売命白したまはく、「妾、御子に易(か)はりて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政(まつりごと)を遂げて覆奏したまふべし」とまをして、海に入らむとする時に、菅畳八重、皮畳八重、絁畳八重を波の上に敷きて、その上に下り坐しき。ここにその暴き浪自ら伏し、御船進むことを得き。爾してその后の歌に曰はく、「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」。かれ七日の後に、その后の御櫛、海辺に依りき。乃ちその櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき。その入り幸でましし自り、悉く荒夫琉蝦夷等を言向け、また山河の荒ぶる神等を平らげ和して、還り上り幸でます時に、足柄の坂本に到りて、御粮(みかれひ)を食(を)す処にて、その坂の神、白き鹿に化りて来立ちき。爾して即ちその咋ひ遺せる蒜(ひる)の片端をもちて待ち打ちたまへば、その目に中りて乃ち打ち殺したまひき。かれその坂に登り立ちて、三たび歎かして詔りたまはく、「吾妻はや」とのりたまひき。(阿より下の五字は音をもちてす。)かれその国を号けて阿豆麻と謂ふ。即ちその国より越え出でて甲斐に、酒折宮に坐しし時に、歌に曰はく、「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」。

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