古事記 / 中巻・孝安・孝霊天皇の系譜
大倭帶日子國押人命(孝安)。坐葛城室之秋津嶋宮。治天下也。此天皇。娶姪忍鹿比賣命。生御子。大吉備諸進命。次大倭根子日子賦斗邇命。(自賦下三字以音)二柱。故大倭根子日子賦斗邇命者。治天下也。天皇。御年壹佰貳拾參歲。御陵在玉手岡上也。大倭根子日子賦斗邇命(孝靈)。坐黑田廬戶宮。治天下也。此天皇。娶十市縣主之祖。大目之女。名細比賣命。生御子。大倭根子日子國玖琉命。(玖琉二字以音)一柱。又娶春日之千千速眞若比賣。生御子。千千速比賣命。一柱。又娶意富夜麻登玖邇阿禮比賣命。生御子。夜麻登登母母曾毘賣命。次日子刺肩別命。次比古伊佐勢理毘古命。(亦名大吉備津日子命)次倭飛羽矢若屋比賣。四柱。又娶其阿禮比賣命之弟。蠅伊呂杼。生御子。日子寤間命。
新字:大倭帯日子国押人命(孝安)。坐葛城室之秋津嶋宮。治天下也。此天皇。娶姪忍鹿比売命。生御子。大吉備諸進命。次大倭根子日子賦斗邇命。(自賦下三字以音)二柱。故大倭根子日子賦斗邇命者。治天下也。天皇。御年壱佰貳拾参歳。御陵在玉手岡上也。大倭根子日子賦斗邇命(孝霊)。坐黒田廬戸宮。治天下也。此天皇。娶十市県主之祖。大目之女。名細比売命。生御子。大倭根子日子国玖琉命。(玖琉二字以音)一柱。又娶春日之千千速真若比売。生御子。千千速比売命。一柱。又娶意富夜麻登玖邇阿礼比売命。生御子。夜麻登登母母曽毘売命。次日子刺肩別命。次比古伊佐勢理毘古命。(亦名大吉備津日子命)次倭飛羽矢若屋比売。四柱。又娶其阿礼比売命之弟。蠅伊呂杼。生御子。日子寤間命。
書き下し
大倭帯日子国押人命(孝安)、葛城の室の秋津島宮に坐しまして、天の下を治らしめしき。この天皇、姪忍鹿比売命を娶して、御子、大吉備諸進命、次に大倭根子日子賦斗邇命(賦より下の三字は音を以ゐよ)、二柱を生みたまひき。かれ大倭根子日子賦斗邇命は天の下を治らしめしき。天皇、御年一百二十三歳。御陵は玉手岡の上にあり。大倭根子日子賦斗邇命(孝霊)、黒田の廬戸宮に坐しまして、天の下を治らしめしき。この天皇、十市県主の祖、大目の女、名は細比売命を娶して、御子、大倭根子日子国玖琉命(玖琉の二字は音を以ゐよ)、一柱を生みたまひき。また春日の千千速真若比売を娶して、御子、千千速比売命、一柱を生みたまひき。また意富夜麻登玖邇阿礼比売命を娶して、御子、夜麻登登母母曽毘売命、次に日子刺肩別命、次に比古伊佐勢理毘古命(亦の名は大吉備津日子命)、次に倭飛羽矢若屋比売、四柱を生みたまひき。また、その阿礼比売命の弟、蝿伊呂杼を娶して、御子、日子寤間命、
現代語訳
大倭帯日子国押人命(孝安天皇)は葛城の室の秋津島宮にいて天下を治めました。この天皇は姪の忍鹿比売命を妻とし、御子として大吉備諸進命、次に大倭根子日子賦斗邇命の二柱を生みました。大倭根子日子賦斗邇命が天下を治めました。天皇は御年百二十三歳で、御陵は玉手岡の上にあります。大倭根子日子賦斗邇命(孝霊天皇)は黒田の廬戸宮にいて天下を治めました。この天皇は十市県主の祖先、大目の娘の細比売命を妻とし、御子の大倭根子日子国玖琉命を生みました。一柱です。また春日の千千速真若比売を妻とし、御子の千千速比売命を生みました。一柱です。また意富夜麻登玖邇阿礼比売命を妻とし、御子として夜麻登登母母曽毘売命、次に日子刺肩別命、次に比古伊佐勢理毘古命(別名は大吉備津日子命)、次に倭飛羽矢若屋比売の四柱を生みました。さらに阿礼比売命の妹の蝿伊呂杼を妻とし、御子の日子寤間命を生みました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 臣の王を娶る事記略に、延暦十二年九月丙戌の詔に、見任の大臣、良家の子孫、三世以下を娶るを許す、但し藤原氏は、累代相承けて、摂政絶えず、此を以てこれを論ずれば、等しきに因るべからず、殊に二世以下を娶るを聴すべしと見えたり。そもそも古は、皇女はさらにも申さず、すべて臣の、王の女を娶ることは、ゆるされぬ事にて、さる事かつて無かりしを、継嗣令に、臣五世の王を娶るは聴すとあるは、令の時、始めての御制にや有りけむ。そのかみ万の事、さしも漢風にうつされしかども、これらはさすがに、人の情の安からざる事なれば、延暦の頃になりてすら、なお上の件の如くなりけらし。令のかの同じつづきに、王は親王を娶り、ただ五世の王は、親王を娶るを得ずとも見えて、諸王は、四世までも、皇女をも娶りしを、臣は、そのかみわずかに、五世の女王を娶ることをゆるされしを以て、王と臣と、すじの尊き卑しきけじめ、厳なりしことを知るべし。夫婦のむすびをなすことも、尊き卑しきけじめ、かばかり正しかりしを、そののち何事もみな、漸に漢風にうつりはてて、ついに今の如くには成りぬるなり。世の人ただ、同姓娶らずなど云う、漢風の事をのみ、思い云いて、皇国の古に、かばかり尊き卑しきけじめを分けし事をば、知らざめる故に、今いささかおどろかすなり。
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『政談』婚姻に金を取る事婚姻に金を取ること当時の風俗なり、是によりて娘多く持ちたるものは身上悪しくなる、金を望む故相手あり難く、男女ともに年経るまて独身にて子孫の乏しき類も多し、又不相応なる人の娘を取親をして妻とするたぐひも多し、独身にて久しく居ては傾城町へありき、金を使ひ悪しき病を受け、又は妾を置き様々の悪事之より出つる、惣して堂上かた又田舎の百姓は大かた二十歳より内にて婚礼する故子孫も多きなり、かた〳〵あしきことなれとも内証のことなれはすへきやうなし、武家を知行所に置きたらは自から此の悪風は止むへし、左なくは当分縁組を掌とる役人を立てゝ、願を用ひす上よりきわめ仰せ有られはこの風止むへし、
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『和俗童子訓』巻之五・教女子法一婦人は、夫の家を以て家とするが故に、嫁するを帰ると云ふ。云ふ意は、我が家に帰るなり。夫の家を我が家として帰るゆゑ、一たび行きて帰らざるは、定まれる理なり。されど不徳にしてしうと夫に背き、和順ならざれば、夫にすさめられ、しうとに悪まれ、父の家に追かへさるる禍あり。婦人の恥づべき事、是に過ぎたるはなし。もしくは、夫柔和にして、婦の不順をこらへて帰さざれども、帰さるべきとがあり。されば人をゆるすべくして、人の為にゆるさるるは本意にあらず。
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『慎思録』巻之五其の性行を審らかに択ばざるべからず。又須らく父家の良賤を選ぶべし。唯其の容貌の美悪を以て取舎を為すべからず。然れども君子の父に於けるや、愛敬兼ね至り、母に比して最も厚き者は、何ぞや。蓋し人の生ずるや、始めを父に資る。是れ稟受の本源たり。母の如きは、養育の功固より多しと雖も、然れども其の本始たりて之を統ぶる者は父なり。是れ猶ほ地育の功厚しと雖も、特に天生の徳大なるがごとし。故に父は天たり、母は地たり。其の尊卑自ら同じからず。此れ父を以て至尊至親と為し、其の尊ぶべきこと天と斉し。故に君子は最も其の父に厚くして、母は其の次なり。
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詩経・小雅・鴻鴈之什・我行其野我行其野(がこうきや)は、宣王を刺(そし)るなり。 我其の野を行く、蔽芾(へいはい)たる其の樗(ちょ)。昏姻(こんいん)の故に、言(ここ)に爾(なんじ)の居に就く。爾我を畜(やしな)わずんば、我が邦家に復(かえ)らん。 我其の野を行き、言に其の蓫(ちく)を采る。昏姻の故に、言に爾の宿に就く。爾我を畜わずんば、言に帰りて斯(ここ)に復らん。 我其の野を行き、言に其の葍(ふく)を采る。旧姻を思わずして、爾の新特(しんとく)を求む。成(まこと)に富を以てせず、亦祗(ただ)以て異なるのみ。
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詩経・国風・衛風・有狐有狐は、時を刺るなり。衛の男女時を失い、其の妃耦(ひぐう)を喪(うしな)う。古者(いにしえ)国に凶荒有れば、則ち礼を殺(そ)ぎて昏(こん)を多くし、男女の夫家無き者を会わす。人民を育つる所以(ゆえん)なり。 狐有り綏綏(すいすい)として、彼の淇の梁(やな)に在り。心の憂うる、之の子に裳(も)無し。 狐有り綏綏として、彼の淇の厲(らい)に在り。心の憂うる、之の子に帯無し。 狐有り綏綏として、彼の淇の側に在り。心の憂うる、之の子に服無し。

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