古事記 / 上巻・嫉妬と別れの歌
阿夜爾。那古斐岐許志。夜知富許能。迦微能美許登。許登能。迦多理碁登母。許遠婆。故其夜者不合而。明日夜爲御合也。又其神之嫡后須勢理毘賣命。甚爲嫉妬。故其日子遲神和備豆。(三字以音)自出雲將上坐倭國而。裝束立時。片御手者繫御馬之鞍。片御足蹈入其御鐙而。歌曰。奴婆多麻能。久路岐美祁斯遠。麻都夫佐爾。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許禮婆布佐波受。幣都那美。曾邇奴岐宇豆。蘇邇杼理能。阿遠岐美祁斯遠。麻都夫佐邇。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許母布佐波受。幣都那美。曾邇奴棄宇豆。夜麻賀多爾。麻岐斯。阿多泥都岐。曾米紀賀斯流邇。斯米許呂母遠。麻都夫佐邇。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許斯與呂志。伊刀古夜能。伊毛能美許登。牟【良/貝】登理能。和賀牟禮伊那婆。比氣登理能。和賀比氣伊那婆。那迦士登波。那波伊布登母。夜麻登能。比登母登須須岐。宇那加夫斯。那賀那加佐麻久。阿佐阿米能。佐疑理邇。多多牟叙。和加久佐能。都麻能美許登。許登能。加多理碁登母。許遠婆。
新字:阿夜爾。那古斐岐許志。夜知富許能。迦微能美許登。許登能。迦多理碁登母。許遠婆。故其夜者不合而。明日夜為御合也。又其神之嫡后須勢理毘売命。甚為嫉妬。故其日子遅神和備豆。(三字以音)自出雲将上坐倭国而。装束立時。片御手者繋御馬之鞍。片御足蹈入其御鐙而。歌曰。奴婆多麻能。久路岐美祁斯遠。麻都夫佐爾。登理与曽比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多芸母。許礼婆布佐波受。幣都那美。曽邇奴岐宇豆。蘇邇杼理能。阿遠岐美祁斯遠。麻都夫佐邇。登理与曽比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多芸母。許母布佐波受。幣都那美。曽邇奴棄宇豆。夜麻賀多爾。麻岐斯。阿多泥都岐。曽米紀賀斯流邇。斯米許呂母遠。麻都夫佐邇。登理与曽比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多芸母。許斯与呂志。伊刀古夜能。伊毛能美許登。牟【良/貝】登理能。和賀牟礼伊那婆。比気登理能。和賀比気伊那婆。那迦士登波。那波伊布登母。夜麻登能。比登母登須須岐。宇那加夫斯。那賀那加佐麻久。阿佐阿米能。佐疑理邇。多多牟叙。和加久佐能。都麻能美許登。許登能。加多理碁登母。許遠婆。
書き下し
あやに な恋ひ聞こし 八千矛の 神の命 事の 語り言も こをば。 故、その夜は合はずて、明日の夜御合ひしたまひき。またその神の嫡后(おほきさき)須勢理毘売命、甚(いた)く嫉妬(うはなりねたみ)したまひき。故、その日子遅神(ひこぢのかみ)和備(わび)て、出雲より倭国に上りまさむとして、装束(よそひ)立たす時、片御手は御馬の鞍に繋け、片御足はその御鐙(あぶみ)に蹈み入れて、歌ひたまひしく、 ぬばたまの 黒き御衣(みけし)を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 羽叩(はたた)きも これは適(ふさ)はず 辺つ波 そに脱き棄(う)て そに鳥の 青き御衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 羽叩きも これも適はず 辺つ波 そに脱き棄て 山県(やまがた)に 蒔(ま)きし あたね舂(つ)き 染木(そめき)が汁に 染め衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 羽叩きも 此(こ)し宜(よろ)し いとこやの 妹の命 群鳥(むらどり)の 我が群れ往なば 引け鳥の 我が引け往なば 泣かじとは 汝は言ふとも 山処(やまと)の 一本薄(ひともとすすき) 項傾(うなかぶ)し 汝が泣かさまく 朝雨の 霧に立たむぞ 若草の 妻の命 事の 語り言も こをば。
現代語訳
どうかそんなにひどく恋い焦がれなさいますな。八千矛の神の命よ、これが事の語り伝えです。 こうしてその夜は結ばれず、翌日の夜に結ばれました。さて、大国主神の正妻の須勢理毘売命は、たいそうやきもちを焼かれました。そこで夫の神は困り果て、出雲から大和の国へ上ろうとして、旅支度をするとき、片手を馬の鞍にかけ、片足をあぶみに踏み入れて、歌いました。 黒い衣をすっかり身に着けて、沖の鳥のように胸元を見るとき、羽ばたいて見ても、これは似合わない。波打ち際に脱ぎ捨てよう。カワセミのように青い衣をすっかり身に着けて、沖の鳥のように胸元を見るとき、羽ばたいて見ても、これも似合わない。波打ち際に脱ぎ捨てよう。山の畑に蒔いたあかねを搗き、その染め汁で染めた衣をすっかり身に着けて、沖の鳥のように胸元を見るとき、羽ばたいて見ると、これはよく似合う。愛しい妻の命よ、群れる鳥のように私が仲間と去って行ったなら、引かれて行く鳥のように私が去って行ったなら、泣かないとあなたは言っても、山の一本すすきのようにうなだれて、あなたは泣くことでしょう。朝雨の霧のように立って嘆くことでしょう。若草のように愛らしい妻の命よ、これが事の語り伝えです。
解説
この章句が説くこと
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史記 白起王翦列伝韓・趙恐れ、蘇代をして幣を厚くして秦の相応侯に説かしめて曰く、「武安君は馬服子を禽にせるか」と。曰く、「然り」と。また曰く、「即ち邯鄲を囲まんとするか」と。曰く、「然り」と。「趙亡びば則ち秦王は王たらん、武安君は三公と為らん。武安君の秦の為に戦ひ勝ち攻め取る所の者は七十余城、南のかた鄢・郢・漢中を定め、北のかた趙括の軍を禽にす。周・召・呂望の功と雖もこれに益さず。今、趙亡びて、秦王王たらば、則ち武安君必ず三公と為らん。君能くこれが下と為らんか。これが下と為るを欲すること無しと雖も、固より已むを得ざらん。秦嘗て韓を攻め、邢丘を囲み、上党を困しむ。上党の民皆反りて趙の為にす。天下の秦の民たるを楽しまざるの日久し。今、趙を亡ぼさば、北地は燕に入り、東地は斉に入り、南地は韓・魏に入らん、則ち君の得る所の民は幾何人も亡し。故に因りてこれを割かしめ、以て武安君の功と為すこと無きに如かず」と。是に於いて応侯、秦王に言ひて曰く、「秦の兵労る、請ふ韓・趙の地を割きて以て和するを許し、且つ士卒を休めん」と。王これを聴き、韓の垣雍・趙の六城を割きて以て和す。正月、皆兵を罷む。武安君これを聞き、是に由りて応侯と隙有り。
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