古語拾遺 / 笠縫邑と五十鈴川
仍就於倭笠縫邑。殊立磯城神籬。奉遷天照大神及草薙釼。令皇女豐鍬入姬命奉齋焉。其遷祭之夕。宮人皆參。終夜宴樂。歌曰。美夜比登能。於保與須我良爾。伊佐登保志。由伎能與呂志茂。於保與須我良爾。又六年祭八十萬羣神仍定天社國社及神地神戸。始令貢男弭之調。女手末之調。今神祇之祭用熊皮鹿皮角布等此緣也。洎于卷向玉城朝。令皇女倭姬命奉齋天照大神。仍隨神敎立其祠於伊勢國五十鈴川上。因興齋宮令倭姬命居焉。始在天上。預結幽契。衢神先降。深有以矣。此御世始以弓矢刀祭神祇。更定神地神戸。又新羅王子海檜槍來歸。今在但馬國出石郡爲大社也。至於纏向日代朝。
新字:仍就於倭笠縫邑。殊立磯城神籬。奉遷天照大神及草薙釼。令皇女豊鍬入姫命奉斎焉。其遷祭之夕。宮人皆参。終夜宴楽。歌曰。美夜比登能。於保与須我良爾。伊佐登保志。由伎能与呂志茂。於保与須我良爾。又六年祭八十万羣神仍定天社国社及神地神戸。始令貢男弭之調。女手末之調。今神祇之祭用熊皮鹿皮角布等此縁也。洎于巻向玉城朝。令皇女倭姫命奉斎天照大神。仍随神教立其祠於伊勢国五十鈴川上。因興斎宮令倭姫命居焉。始在天上。預結幽契。衢神先降。深有以矣。此御世始以弓矢刀祭神祇。更定神地神戸。又新羅王子海檜槍来帰。今在但馬国出石郡為大社也。至於纏向日代朝。
書き下し
仍りて倭の笠縫邑に就きて、殊に磯城の神籬を立て、天照大神及び草薙剣を遷し奉り、皇女豊鍬入姫命をして斎い奉らしむ。其の遷し祭る夕、宮人皆参りて、終夜宴楽す。歌いて曰く、「美夜比登能(みやひとの)、於保与須我良爾(おほよすがらに)、伊佐登保志(いさとほし)、由伎能与呂志茂(ゆきのよろしも)、於保与須我良爾(おほよすがらに)」と。又六年、八十万の群神を祭り、仍りて天社・国社及び神地・神戸を定む。始めて男の弭の調、女の手末の調を貢らしむ。今、神祇の祭に熊の皮・鹿の皮・角・布等を用うるは、此の縁なり。巻向玉城朝に洎びて、皇女倭姫命をして天照大神を斎い奉らしむ。仍りて神の教えに随いて、其の祠を伊勢国の五十鈴の川上に立て、因りて斎宮を興して倭姫命をして居らしむ。始め天上に在りて、預め幽契を結ぶ。衢神先に降る、深く以有るかな。此の御世、始めて弓矢・刀を以て神祇を祭り、更に神地・神戸を定む。又新羅の王子海檜槍来帰す。今但馬国出石郡に在りて大社と為るなり。纏向日代朝に至りて、
現代語訳
そこで(崇神天皇は)倭の笠縫邑に、特に磯城の神籬を立てて、天照大神と草薙剣をお遷しし、皇女の豊鍬入姫命に斎き祭らせた。お遷しして祭った夜、宮人たちは皆参集して、夜通し宴を楽しんだ。その歌に言う。「宮人たちが、夜通しの宴に、寝ずに過ごし、行き交うのは楽しいものだ、夜通しの宴に」と。また六年には八十万の神々を祭り、天つ社・国つ社と、神地・神戸(社に属する田と民)を定めた。初めて男には弓弭の調(狩りの獲物)を、女には手末の調(手織りの品)を貢がせた。今、神祇の祭りに熊の皮・鹿の皮・角・布などを用いるのは、この縁による。垂仁天皇(巻向玉城朝)の御代になって、皇女の倭姫命に天照大神を斎き祭らせた。そして神のお告げに従って、その祠を伊勢国の五十鈴川の川上に建て、斎宮を設けて倭姫命を住まわせた。はじめ天上にいたとき、あらかじめひそかな約束が結ばれていた。衢の神が先に降って伊勢へ向かったのには、深いわけがあったのである。この御代に初めて弓矢と刀で神々を祭り、改めて神地・神戸を定めた。また新羅の王子の海檜槍(天日槍)が渡来して帰服した。今は但馬国出石郡に大社として祭られている。景行天皇(纏向日代朝)の御代になって、
解説
関連する章句
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『古語拾遺』所遺三〜九天照大神は本帝と殿を同じくす。故に供奉の儀、君と神と一体なり。始め天上より、中臣・斎部の二氏、相副いて日神に祷り奉り、猨女の祖も亦神の怒りを解く。然らば則ち三氏の職は相離るべからず。而るに今、伊勢の宮司は独り中臣氏に任じて、二氏を預からしめず。遺す所の三なり。凡そ神殿を造り奉るは、皆須らく神代の職に依るべし。斎部の官、御木・麁香の二郷の斎部を率いて、伐るに斎斧を以てし、掘るに斎鉏を以てす。然る後に工夫手を下し、造り畢るの後、斎部、殿祭及び門祭訖りて、乃ち御座すべし。而るに伊勢の宮及び大嘗の由紀・主基の宮を造るに、皆斎部を預からしめず。遺す所の四なり。又殿祭・門祭は、元太玉命供奉の儀にして、斎部氏の職とする所なり。然りと雖も中臣・斎部は共に神祇官に任じ、相副いて供奉す。故に宮内省の奏詞に、「将に御殿祭を供奉せんとして、中臣・斎部御門に候う」と偁す。宝亀年中に至りて、初めて宮内少輔従五位下中臣朝臣常、恣に奏詞を改めて曰く、「中臣、斎部を率いて御門に候う」と。彼の省因循して永く後例と為し、今に未だ改めず。遺す所の五なり。又神代より肇めて、中臣・斎部、神事に供奉すること、差降有ること無し。中間以来、権一氏に移る。斎宮寮の主神司の中臣・斎部は、元同じく七位の官なり。而るに延暦の初め、朝原内親王斎に奉るの日、殊に斎部を降して八位の官と為し、今に未だ復せず。遺す所の六なり。凡そ諸神に幣を奉るは、中臣・斎部共に其の事に預かる。而るに今、大宰の主神司は独り中臣に任じて、斎部を預からしめず。遺す所の七なり。諸国の大社も亦中臣に任じて、斎部を預からしめず。遺す所の八なり。凡そ鎮魂の儀は、天鈿女命の遺跡なり。然らば則ち御巫の職は旧氏に任ずべし。而るに今選ぶ所は他氏を論ぜず。遺す所の九なり。
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『古語拾遺』天津神籬と斎庭の穂仍りて天児屋命・太玉命・天鈿女命を以て配侍せしむ。因りて又勅して曰く、「吾は則ち天津神籬及び天津磐境を起こし樹てて、当に吾が孫の為に斎い奉るべし。汝天児屋命・太玉命の二神は、宜しく天津神籬を持ちて葦原中国に降り、亦吾が孫の為に斎い奉るべし。惟れ爾二神、共に殿の内に侍いて、能く防護を為せ。宜しく吾が高天原に御す所の斎庭の穂を以て、亦当に吾が児に御せしむべし。宜しく太玉命、諸部の神を率いて、其の職に供奉すること天上の儀の如くすべし」と。仍りて諸神をして亦与に陪従せしむ。復た大物主神に勅すらく、「宜しく八十万神を領いて、永く皇孫の為に護り奉るべし」と。仍りて大伴の遠祖天忍日命をして、来目部の遠祖天槵津大来目を帥いて、仗を帯びて前駈せしむ。既にして且に降らんとする間に、先駆還りて白す。
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『古語拾遺』猿田彦と蟹守乃ち其の胸乳を露わし、裳帯を臍の下に抑え下げて、向かい立ちて咲噱う。是の時、衢神問いて曰く、「汝何の故に然か為すや」と。天鈿女命反りて問いて曰く、「天孫の幸す所の路に居る者は誰ぞ」と。衢神対えて曰く、「天孫降りますべしと聞く。故に迎え奉りて相待つ。吾が名は是れ猿田彦大神なり」と。時に天鈿女命復た問いて曰く、「汝先に行くべきか、将た吾先に行くべきか」と。対えて曰く、「吾先に啓き行かん」と。天鈿女復た問いて曰く、「汝何処に到るべきか、将た天孫何処に到るべきか」と。対えて曰く、「天孫は当に筑紫の日向の高千穂の槵触の峰に到るべし。吾は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に到るべし」と。因りて曰く、「吾を発顕せる者は汝なり。吾を送りて致すべし」と。天鈿女命還りて報す。天孫降臨、果たして皆期の如し。天鈿女命、乞うに随いて侍り送る。是を以て群神勅を奉じて天孫に陪従し、世を歴て相承け、各々其の職に供す。天祖彦火尊、海神の女豊玉姫命を娉りて、彦瀲尊を生む。誕育の日、海浜に室を立つ。時に掃守連の遠祖天忍人命、供奉して陪侍し、箒を作りて蟹を掃う。仍りて鋪設を掌り、遂に以て職と為す。号して蟹守と曰う。
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『古語拾遺』所遺二夫れ祖を尊び宗を敬うは礼教の先んずる所なり。故に皇聖登極せば、終を文祖に受け、上帝に類し六宗に禋し、山川に望み群神に徧くす。然らば則ち天照大神は惟れ祖惟れ宗にして、尊きこと二つ無し。因りて自余の諸神は、乃ち子乃ち臣なり。孰か能く敢えて抗せん。而るに今、神祇官班幣の日、諸神の後に伊勢神宮を叙す。遺す所の二なり。
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『古語拾遺』開闢と天つ罪一に聞く、夫れ開闢の初め、伊奘諾・伊奘冉の二神、共に夫婦と為りて、大八州国及び山川草木を生む。次に日神・月神を生む。最後に素戔鳴神を生む。而るに素戔鳴神、常に哭泣を以て行と為す。故に人民をして夭折せしめ、青山をして枯に変ぜしむ。斯に因りて父母の二神、勅して曰く、「汝甚だ無道なり。宜しく早く根国に退き去るべし」と。又天地剖判の初め、天中に生ずる所の神、名を天御中主神と曰う。次に高皇産霊神、次に神皇産霊神。其の高皇産霊神の生む所の女、名を栲幡千千姫命と曰う。其の男、名を天忍日命と曰う。又の男、名を天太玉命と曰う。太玉命の率いる所の神、名を天日鷲命・手置帆負命・産狭知命・櫛明玉命・天目一箇命と曰う。是に於て素戔鳴神、日神に辞し奉らんと欲して天に昇る時、櫛明玉命迎え奉りて、献るに瑞の八坂瓊の曲玉を以てす。素戔鳴神之を受けて転じて日神に奉る。仍りて共に約誓す。即ち其の玉に感じて天祖吾勝尊を生む。是を以て天照大神、吾勝尊を育みて、特に甚だ鍾愛し、常に腋の下に懐く。称して腋子と曰う。其の後、素戔鳴神、日神の為に行い甚だ無状なり。種々に凌侮す。所謂る畔毀ち・溝埋め・樋放ち・重播き・串刺し・生剥ぎ逆剥ぎ・屎戸なり。
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『古語拾遺』宝祚の隆え是に於て二神、諸の順わざる鬼神等を誅伏し、果たして以て復命す。時に天祖天照大神・高皇産霊尊、乃ち相語りて曰く、「夫れ葦原の瑞穂国は、吾が子孫の王たるべき地なり。皇孫就きて治めよ。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮まり無かるべし」と。
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