古語拾遺 / 同殿不安
至于磯城瑞垣朝。漸畏神威。同殿不安。故更令齋部率石凝姥神裔。天目一筒神裔二氏。更鑄鏡造釼。以爲護身御璽。是今踐祚之日所獻神璽鏡釼也。
新字:至于磯城瑞垣朝。漸畏神威。同殿不安。故更令斎部率石凝姥神裔。天目一筒神裔二氏。更鋳鏡造釼。以為護身御璽。是今践祚之日所献神璽鏡釼也。
書き下し
磯城瑞垣朝に至りて、漸く神威を畏れ、殿を同じくするに安んぜず。故に更に斎部をして石凝姥神の裔、天目一筒神の裔の二氏を率い、更に鏡を鋳、剣を造らしめ、以て護身の御璽と為す。是れ今、践祚の日に献ずる所の神璽の鏡・剣なり。
現代語訳
崇神天皇の御代になって、次第に神の威を畏れるようになり、同じ御殿にいることが落ち着かなくなった。そこで改めて斎部に、石凝姥神の子孫と天目一筒神の子孫の二氏を率いさせ、鏡を鋳直し剣を造らせて、身を護る御璽とした。これが今日、即位の日に献じられる神璽の鏡と剣である。
解説
同じ御殿にいることに耐えられなくなった、という理由が率直である。畏れが増したから距離を置いた。そして距離を置くにあたって、本体を移すのではなく、新しく鏡と剣を鋳造して手元に置いた。原本は別の場所へ、写しは手元へ——という分け方である。この措置によって、今日まで続く即位のときの神璽が生まれた、と広成は説明する。運用のために本体と写しを分ける発想が、ここで生まれている。畏れ多くて扱えないものを、扱える形にして日常に置く。制度が長く続くために必要な妥協の記録として読める。
この章句が説くこと
同殿不安護身の御璽神璽の鏡剣本体と写し
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