弘道館記述義 / 學問事業・学問が事業に結びつかない四つの弊
學問事業。不殊其效。臣彪謹案。學所以學道。問所以問道。而事業所以行其道。譬諸工匠。必先學規矩。然後從事於經營。抑天下工匠何限。其良者能建宮殿造樓閣。雖其極拙者。未嘗有不堪一廬舍之役者焉。古今學者亦多矣。其事業卓然不朽者何其寥寥也。夫天下之欲造宮殿樓閣者。必皆委任良工。雖一廬舍之微。亦必俟匠人而爲之。故工匠常得試其規矩。至爲國家則不必用學道之人。或用之亦不必任之。故學者常不得行其道。其勢然也。用與不用在人。學與不學在己。請嘗論其在己者學問事業之難。其故多端而有大弊四焉。曰忽躬行。曰廢實學。曰泥於經。曰流於權。夫學所以明人倫。聖賢之敎必本諸身。而學者或不脩禮義。甚則失德汙行。曾庸人之不若。其取侮於世。固不足怪。且庸人之爲惡世皆非之。學者之爲不善必有誘而倣之者。其害風敎豈淺少哉。是忽躬行之弊也。其文人則曰。五行並下萬言立就。使其居官治事。或委瑣自用。大失人望。或沈溺風流不恤民隱。其武人則曰。通七書明八陳。使其治兵練卒。號令不明隊伍不整。非華法則兒戲。於是小人胥吏每得舞文弄法以握權柄。
新字:学問事業。不殊其効。臣彪謹案。学所以学道。問所以問道。而事業所以行其道。譬諸工匠。必先学規矩。然後従事於経営。抑天下工匠何限。其良者能建宮殿造楼閣。雖其極拙者。未嘗有不堪一廬舎之役者焉。古今学者亦多矣。其事業卓然不朽者何其寥寥也。夫天下之欲造宮殿楼閣者。必皆委任良工。雖一廬舎之微。亦必俟匠人而為之。故工匠常得試其規矩。至為国家則不必用学道之人。或用之亦不必任之。故学者常不得行其道。其勢然也。用与不用在人。学与不学在己。請嘗論其在己者学問事業之難。其故多端而有大弊四焉。曰忽躬行。曰廃実学。曰泥於経。曰流於権。夫学所以明人倫。聖賢之教必本諸身。而学者或不脩礼義。甚則失徳汚行。曽庸人之不若。其取侮於世。固不足怪。且庸人之為悪世皆非之。学者之為不善必有誘而倣之者。其害風教豈浅少哉。是忽躬行之弊也。其文人則曰。五行並下万言立就。使其居官治事。或委瑣自用。大失人望。或沈溺風流不恤民隠。其武人則曰。通七書明八陳。使其治兵練卒。号令不明隊伍不整。非華法則児戯。於是小人胥吏毎得舞文弄法以握権柄。
書き下し
学問事業、効を殊にせず。臣彪謹んで案ずるに、学は以て道を学ぶ所、問は以て道を問ふ所、而して事業は以て其の道を行ふ所なり。譬へば工匠に諸ふるに、必ず先づ規矩を学び、然る後に経営に従事す。抑も天下の工匠何ぞ限らん。其の良き者は能く宮殿を建て楼閣を造る。其の極めて拙き者と雖も、未だ嘗て一廬舎の役に堪へざる者有らず。古今の学者も亦多し、其の事業の卓然として朽ちざる者は何ぞ寥寥たる。夫れ天下の宮殿楼閣を造らんと欲する者は、必ず皆良工に委任す。一廬舎の微なるも、亦必ず匠人を俟ちて之を為す。故に工匠は常に其の規矩を試むるを得。国家を為むるに至りては、則ち必ずしも道を学ぶ人を用ひず、或いは之を用ふるも亦必ずしも之に任ぜず。故に学者は常に其の道を行ふを得ず。其の勢然るなり。用と不用とは人に在り、学と不学とは己に在り。請ふ嘗て其の己に在る者の学問事業の難きを論ぜん。其の故多端にして大弊四有り。曰く躬行を忽にす、曰く実学を廃す、曰く経に泥む、曰く権に流る。夫れ学は人倫を明らかにする所以、聖賢の教へは必ず諸を身に本づく。而るに学者或いは礼義を脩めず、甚だしきは徳を失ひ行を汚し、曽て庸人にも若かず。其の侮りを世に取るは固より怪しむに足らず。且つ庸人の悪を為すは世皆之を非とす。学者の不善を為すは必ず誘ひて之に倣ふ者有り。其の風教を害すること豈に浅少ならんや。是れ躬行を忽にするの弊なり。其の文人は則ち曰く、五行並び下り万言立ちどころに就くと。其をして官に居り事を治めしむれば、或いは委瑣自ら用ひて大いに人望を失ひ、或いは風流に沈溺して民の隠を恤へず。其の武人は則ち曰く、七書に通じ八陳に明らかなりと。其をして兵を治め卒を練らしむれば、号令明らかならず隊伍整はず、華法に非ざれば則ち児戯。是に於いて小人胥吏は毎に文を舞はし法を弄して以て権柄を握る。
現代語訳
「学問と事業は、効果を異にしない」についてです。臣の彪が謹んで考えます。学とは道を学ぶこと、問とは道を問うこと、そして事業とはその道を行うことです。職人にたとえれば、必ずまず規(コンパス)と矩(定規)を学び、その後に家づくりに取りかかります。天下の職人は数えきれません。腕のよい者は宮殿や楼閣を建てます。ごく拙い者でも、一軒の小屋を建てる仕事に耐えられないという者はいません。古今の学者も多いのに、その事業が際立って朽ちない者は、なんと少ないことでしょう。 天下で宮殿や楼閣を造ろうとする者は、必ずみな良い職人に任せます。ほんの小さな小屋でも、必ず職人を待って造ります。ですから職人はいつも自分の規矩を試すことができます。ところが国家を治めることになると、必ずしも道を学んだ人を用いません。用いてもまた必ずしも任せません。ですから学者はいつも自分の道を行うことができません。それは成り行きです。用いるか用いないかは人にあり、学ぶか学ばないかは自分にあります。では、自分にあるもの、つまり学問と事業の難しさについて論じてみます。その理由は多くありますが、大きな弊害が四つあります。第一は実践を軽んじること、第二は実学を廃すること、第三は経(原則)にこだわること、第四は権(臨機応変)に流れることです。 学問は人倫を明らかにするためのもので、聖賢の教えは必ず自分の身に根ざします。ところが学者の中には、礼義を修めず、ひどい場合は徳を失い行いを汚して、凡庸な人にも及ばない者がいます。世間から侮りを受けるのも不思議ではありません。しかも凡人が悪事をすれば世間は皆これを非難しますが、学者が不善を行えば、必ず誘われて真似する者が出ます。その教化への害は、どうして浅く小さいと言えましょう。これが実践を軽んじる弊害です。 文人は「五つの行を同時に読み、万言の文をたちどころに書き上げる」と誇ります。しかし官職に就いて事を治めさせれば、細かなことにこだわって独りよがりになり大いに人望を失ったり、風流に溺れて民の苦しみを顧みなかったりします。武人は「七書(兵法書)に通じ八陣(陣形)に明るい」と誇ります。しかし兵を治め兵卒を訓練させれば、号令は不明確で隊列は乱れ、見かけ倒しの型でなければ子供の遊びです。そこで小人の下役人は、いつも文書を操り法を弄んで権力を握ります。
解説
この章句が説くこと
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