格言聯璧 / 學問類・聖賢の道を以て己を治むるは難し
下手處是自強不息,成就處是至誠無息。 以聖賢之道教人易,以聖賢之道治己難。 以聖賢之道出口易,以聖賢之道躬行難。 以聖賢之道奮始易,以聖賢之道克終難。
新字:下手処是自強不息,成就処是至誠無息。 以聖賢之道教人易,以聖賢之道治己難。 以聖賢之道出口易,以聖賢之道躬行難。 以聖賢之道奮始易,以聖賢之道克終難。
書き下し
手を下す處は是れ自彊不息、成就する處は是れ至誠無息。 聖賢の道を以て人を教ふるは易く、聖賢の道を以て己を治むるは難し。 聖賢の道を以て口に出すは易く、聖賢の道を以て躬ら行ふは難し。 聖賢の道を以て始めに奮ふは易く、聖賢の道を以て終りを克くするは難し。
現代語訳
手をつけるところは、自ら努めて休まないことです。成し遂げるところは、この上ない誠が絶えないことです。 聖賢の道で人を教えるのはやさしく、聖賢の道で自分を治めるのは難しいのです。 聖賢の道を口に出すのはやさしく、聖賢の道を身をもって行うのは難しいのです。 聖賢の道で始めに奮い立つのはやさしく、聖賢の道を最後までやり遂げるのは難しいのです。
解説
第一句の自彊不息は『易経』乾卦の象伝、至誠無息は『中庸』の語で、始めと完成をそれぞれ古典の言葉で押さえています。続く三つの対句は「易」と「難」を並べ、教えることと自分を治めること、言うことと行うこと、始めることと終えることの落差を示します。いずれも前者は他人や言葉や勢いで済みますが、後者は自分自身の持続する努力が要ります。立派なことを人に説く立場にある人ほど、自分がそれを実行し、最後までやり遂げているかを問われます。新年の決意や新しい習慣を続けられないときにも、思い出したい言葉です。
この章句が説くこと
実践自彊至誠克己継続
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