弘道館記述義 / 學問事業・孔子に学ぶ四弊の正し方
而英偉倜儻之人。亦或冷笑於草野巖穴之間。天下之事亦危矣。是廢實學之弊也。其拘古者。墨守舊典不知變通。講禮習儀非木偶則俳優。以爲合經。其阿世者枉己從人。閹然迎合無所不至。以爲通權。是泥於經流於權之弊也。天下之學道免於此四弊者或寡。是猶工匠而廢其規矩。道之不行非其不幸也。然則何以矯其弊。曰亦折衷於孔子而已。夫賢賢易色。能事君父信於朋友。雖曰未學孔門之徒必謂之學矣。然則向之忽躬行者。雖曰旣學。決非孔門之學矣。誦詩三百授之以政不達。使於四方不能專對。孔子謂雖多亦奚以爲。然則所謂廢實學者。亦非孔子之所與矣。麻冕禮也。而從純之儉通權也。至於君臣大節。必從下拜之禮。守經也。鄉人儺朝服立於阼階。獵人獵較亦獵較。不拘古也。至若泰山之旅顓臾之事。與陳恒之亂。其所以責家宰告君相者。侃侃正議無有顧慮。不阿世也。然則所謂泥於經流於權者。亦皆非孔子之徒矣。苟能矯四弊。誦法孔氏。則奚患乎學問事業之不出於一。夫然後斯道之規矩。將無施而不可。若其用與不用。人也。亦天也。學者不尤不怨可也。
新字:而英偉倜儻之人。亦或冷笑於草野巖穴之間。天下之事亦危矣。是廃実学之弊也。其拘古者。墨守旧典不知変通。講礼習儀非木偶則俳優。以為合経。其阿世者枉己従人。閹然迎合無所不至。以為通権。是泥於経流於権之弊也。天下之学道免於此四弊者或寡。是猶工匠而廃其規矩。道之不行非其不幸也。然則何以矯其弊。曰亦折衷於孔子而已。夫賢賢易色。能事君父信於朋友。雖曰未学孔門之徒必謂之学矣。然則向之忽躬行者。雖曰既学。決非孔門之学矣。誦詩三百授之以政不達。使於四方不能専対。孔子謂雖多亦奚以為。然則所謂廃実学者。亦非孔子之所与矣。麻冕礼也。而従純之倹通権也。至於君臣大節。必従下拝之礼。守経也。郷人儺朝服立於阼階。猟人猟較亦猟較。不拘古也。至若泰山之旅顓臾之事。与陳恒之乱。其所以責家宰告君相者。侃侃正議無有顧慮。不阿世也。然則所謂泥於経流於権者。亦皆非孔子之徒矣。苟能矯四弊。誦法孔氏。則奚患乎学問事業之不出於一。夫然後斯道之規矩。将無施而不可。若其用与不用。人也。亦天也。学者不尤不怨可也。
書き下し
而して英偉倜儻の人は、亦或いは草野巌穴の間に冷笑す。天下の事も亦危ふし。是れ実学を廃するの弊なり。其の古に拘はる者は、旧典を墨守して変通を知らず、礼を講じ儀を習ふも木偶に非ざれば則ち俳優、以て経に合すと為す。其の世に阿る者は、己を枉げ人に従ひ、閹然として迎合し至らざる所無く、以て権に通ずと為す。是れ経に泥み権に流るるの弊なり。天下の道を学ぶ者の此の四弊を免るる者は或いは寡し。是れ猶ほ工匠にして其の規矩を廃するがごとし。道の行はれざるは其の不幸に非ざるなり。然らば則ち何を以て其の弊を矯めん。曰く、亦孔子に折衷するのみ。夫れ賢を賢として色に易へ、能く君父に事へ朋友に信あれば、未だ学ばずと曰ふと雖も、孔門の徒は必ず之を学べりと謂ふ。然らば則ち向の躬行を忽にする者は、既に学べりと曰ふと雖も、決して孔門の学に非ず。詩三百を誦して之に授くるに政を以てして達せず、四方に使ひして専対すること能はざれば、孔子は多しと雖も亦奚を以て為さんと謂へり。然らば則ち所謂実学を廃する者も、亦孔子の与せざる所なり。麻冕は礼なり、而るに純に従ふは倹なり、権に通ず。君臣の大節に至りては、必ず下に拝するの礼に従ふは、経を守るなり。郷人の儺には朝服して阼階に立ち、猟人の猟較には亦猟較す、古に拘はらざるなり。泰山の旅、顓臾の事、陳恒の乱に至りては、其の家宰に責め君相に告ぐる所以、侃侃として正議し顧慮有ること無し、世に阿らざるなり。然らば則ち所謂経に泥み権に流るる者も、亦皆孔子の徒に非ず。苟くも能く四弊を矯め、孔氏を誦法せば、奚ぞ学問事業の一に出でざるを患へん。夫れ然る後に斯の道の規矩は、将に施すとして可ならざる無からん。若し其の用と不用とは、人なり、亦天なり。学者尤めず怨みざるべし。
現代語訳
そうなると、才知にすぐれ志の大きい人は、野や岩穴の間で冷笑して、世に出ようとしません。天下の事もまた危うくなります。これが実学を廃する弊害です。古にこだわる者は、古い典礼を墨守して変通を知らず、礼を講じ儀式を習っても、木偶か役者のようで、それで経(原則)に合っていると考えます。世に媚びる者は、己を曲げて人に従い、へつらって迎合し、しないことはないほどで、それで権(臨機応変)に通じていると考えます。これが、経にこだわり権に流れる弊害です。天下の道を学ぶ者で、この四つの弊害を免れる者は、おそらく少ないでしょう。これは職人が規矩を捨てるようなものです。道が行われないのは、不運のせいではありません。 では、どうすればその弊害を正せるのでしょうか。答えます。孔子に折衷する(孔子に照らして取捨する)ことです。『論語』に、「賢者を賢者として尊び(色を好む心を改め)、父母に力を尽くして仕え、君に身を捧げ、友と交わって言葉に偽りがなければ、たとえ学んでいないと言っても、私は必ず学んだと言うだろう」とあります。そうであるなら、さきの実践を軽んじる者は、学んだと言っても、決して孔子の門の学ではありません。『論語』に、「詩三百篇を暗唱しても、政治を任せて通じず、四方に使いして一人で応対できないなら、たくさん読んでも何の役に立つか」とあります。そうであるなら、実学を廃する者も、孔子が認めるところではありません。「麻の冠が礼だが、今は絹の冠で倹約になるので、私は衆に従う」というのは、臨機応変(権)に通じています。君臣の大節については、「堂の下で拝する」礼に必ず従うのは、原則(経)を守ることです。村人が鬼やらいをするときは、礼服を着て東の階段に立ち、猟人が獲物を競う猟較には自分も加わったのは、古にこだわらないことです。季氏が泰山で旅(祭り)を行い、顓臾を攻めようとし、陳恒が君を弑した変事に際して、家宰(冉有ら)を責め、君や宰相に告げたその態度は、はっきりと正論を述べて遠慮がなく、世に媚びないことでした。そうであるなら、経にこだわり権に流れる者も、すべて孔子の徒ではありません。もしこの四つの弊害を正し、孔子の教えを誦じて守るなら、学問と事業が一つに出ないことを憂える必要はありません。そうしてはじめて、この道の規矩は、どこに施しても可とならないことはないでしょう。用いられるか用いられないかは、人の意思であり、また天命でもあります。学ぶ者は、人を咎めず恨まないのがよいのです。
解説
この章句が説くこと
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