弘道館記述義 / 神州之道・古典に学ぶ姿勢と取捨選択の方法
而至於其論道則舉天下吉凶禍福。付諸直毘禍津日二神。以淸淨自然爲人道之極致。其言頗辨。要之皆老莊之糟粕。其徒亦自嫌其說類老莊。乃曰老莊所謂自然者。猶未免溺於聖人之道。吾所謂自然者。皆本於神意。特不知其弊必至於任胸臆逞私智剛愎自喜而已。是殆明之又從而晦之也。儒敎之所以支離。亦頗與之相類。夫西土之道折衷於孔子。而儒者說經或引緯書證之。或援黃老解之。雜戰國縱橫之說者有之。混浮屠頓悟之理者有之。要之漢儒長於訓詁。短於道理。宋儒精於性命。疎於事業。各立門戶黨同伐異。其註脚語錄及互相排擊者。紛紛擾擾指不勝屈。遂使學者茫乎不知所適從。後之欲讀書講學者噫亦難矣。然則如之何而可也。曰孔子不云乎。多見闕疑。又不云乎。古之學者爲己。讀古典者。誠宜本諸天地神祇。參諸古言舊事。徵諸流風遺俗。驗諸世道人心。揭其照然無疑者而奉之。講經籍者亦宜泝洄洙泗。參以後人之說。捨短取長。汰糟粕掬精英擧醇乎醇者而資之。以之脩己。以之治人。達則與民由之。窮則獨樂其道。不亦可乎。抑古人有言。曰非言之難也。行之旣難。則言亦何容易。敢述所志。以俟後之君子。
新字:而至於其論道則舉天下吉凶禍福。付諸直毘禍津日二神。以清浄自然為人道之極致。其言頗弁。要之皆老荘之糟粕。其徒亦自嫌其説類老荘。乃曰老荘所謂自然者。猶未免溺於聖人之道。吾所謂自然者。皆本於神意。特不知其弊必至於任胸臆逞私智剛愎自喜而已。是殆明之又従而晦之也。儒教之所以支離。亦頗与之相類。夫西土之道折衷於孔子。而儒者説経或引緯書証之。或援黄老解之。雑戦国縦横之説者有之。混浮屠頓悟之理者有之。要之漢儒長於訓詁。短於道理。宋儒精於性命。疎於事業。各立門戸党同伐異。其註脚語録及互相排撃者。紛紛擾擾指不勝屈。遂使学者茫乎不知所適従。後之欲読書講学者噫亦難矣。然則如之何而可也。曰孔子不云乎。多見闕疑。又不云乎。古之学者為己。読古典者。誠宜本諸天地神祇。参諸古言旧事。徴諸流風遺俗。験諸世道人心。掲其照然無疑者而奉之。講経籍者亦宜泝洄洙泗。参以後人之説。捨短取長。汰糟粕掬精英挙醇乎醇者而資之。以之脩己。以之治人。達則与民由之。窮則独楽其道。不亦可乎。抑古人有言。曰非言之難也。行之既難。則言亦何容易。敢述所志。以俟後之君子。
書き下し
而れども其の道を論ずるに至りては、則ち天下の吉凶禍福を挙げて直毘・禍津日の二神に付し、清浄自然を以て人道の極致と為す。其の言頗る弁なり。要するに皆老荘の糟粕なり。其の徒も亦自ら其の説の老荘に類するを嫌ひ、乃ち曰く、老荘の所謂自然は、猶ほ聖人の道に溺るるを免れず、吾が所謂自然は皆神意に本づくと。特だ其の弊の必ず胸臆に任せ私智を逞しくし、剛愎自ら喜ぶに至るを知らざるのみ。是れ殆ど之を明らかにして又従ひて之を晦くするなり。儒教の支離する所以も、亦頗る之と相類す。夫れ西土の道は孔子に折衷す。而るに儒者の経を説くや、或いは緯書を引きて之を証し、或いは黄老を援きて之を解き、戦国縦横の説を雑ふる者有り、浮屠頓悟の理を混ずる者有り。要するに漢儒は訓詁に長じ道理に短く、宋儒は性命に精しく事業に疎し。各門戸を立て、党同伐異す。其の註脚語録及び互に相排撃する者、紛紛擾擾として指屈するに勝へず。遂に学者をして茫乎として適従する所を知らざらしむ。後の書を読み学を講ぜんと欲する者、噫、亦難し。然らば則ち之を如何してか可ならん。曰く、孔子云はずや、多く見て疑はしきを闕くと。又云はずや、古の学者は己の為にすと。古典を読む者は、誠に宜しく天地神祇に本づけ、古言旧事に参じ、流風遺俗に徴し、世道人心に験し、其の照然として疑ひ無き者を掲げて之を奉ずべし。経籍を講ずる者も亦宜しく洙泗に泝洄し、参ずるに後人の説を以てし、短を捨て長を取り、糟粕を汰ひ精英を掬ひ、醇乎として醇なる者を挙げて之に資るべし。之を以て己を脩め、之を以て人を治め、達すれば則ち民と之に由り、窮すれば則ち独り其の道を楽しむ。亦可ならずや。抑も古人言有り、曰く、言ふことの難きに非ず、行ふこと既に難し、則ち言も亦何ぞ容易ならんやと。敢へて志す所を述べて、以て後の君子を俟つ。
現代語訳
しかし、その道を論じる段になると、天下の吉凶禍福をすべて直毘神と禍津日神の二神に帰し、清浄で自然であることを人の道の極致としています。その言葉はなかなか弁が立ちますが、要するにみな老荘の絞りかす(糟粕)です。その徒も自分たちの説が老荘に似ていることを嫌い、「老荘のいう自然は、なお聖人の道に溺れることを免れていない。私のいう自然はすべて神意に基づく」と言います。けれども、その弊害として必ず自分の胸中の思いつきに任せ、私的な知恵を振るい、頑固で独りよがりになって自ら喜ぶ結果に至ることを知らないだけです。これは、ほとんど明らかにしながら、同時にまたこれを暗くしたということです。 儒教がばらばらに分かれたのも、これとよく似ています。中国の道は孔子において折衷(取捨整理)されました。ところが儒者が経典を説くときには、緯書(予言を織り交ぜた書)を引いて証明したり、黄老(黄帝・老子の説)を援用して解釈したり、戦国時代の縦横家(外交遊説家)の説を混ぜたり、仏教の頓悟(一瞬で悟る)の理を混ぜたりする者がいました。要するに、漢の儒者は字句の注釈に長けて道理に乏しく、宋の儒者は性や命の理論に詳しくて実務の事業に疎かったのです。それぞれが門戸を立て、同じ派の者を庇い異なる派を攻撃しました。その注釈や語録、互いに排撃し合う言説は、入り乱れて指で数えきれないほどです。結局、学ぶ者を茫然とさせ、どれに従えばよいかわからなくしてしまいました。後に書を読み学を講じようとする者は、ああ、なんと難しいことでしょう。 では、どうすればよいのでしょうか。答えます。孔子は言いませんでしたか。「多く見聞きして、疑わしいことは保留にせよ」と。また「昔の学ぶ者は己のために学んだ」とも言いませんでしたか。古典を読む者は、まことに天地の神々に根拠を置き、古い言葉や昔の事跡に照らし、伝わる風習に確かめ、世の道理と人の心に検証して、明らかで疑いのないものを掲げて奉じるべきです。経典を講じる者も、洙水・泗水(孔子の故郷の川、つまり孔子の学の源)にさかのぼり、後世の説も参照し、短所を捨てて長所を取り、絞りかすを洗い流して精髄をすくい、まじりけのないものだけを取り上げて学び取りなさい。それによって自分を修め、人を治め、道が通れば民とともにこれを行い、行き詰まれば独りその道を楽しむ。それでよいではありませんか。また古人に言葉があります。「言うことが難しいのではない。行うことがすでに難しいのだ。だから言うこともまた容易ではない」と。そこで、敢えて志すところを述べ、後の君子を待つことにします。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『夜船閑話』序妄想の功果つもらば、一身の元気いつしか腰脚足心の間に充足して、臍下瓠然たること、いまだ篠打ちせざる鞠の如けん。恁麼に単々に妄想し将ち去て、五日七日乃至二三七日を経たらむに、従前の五積六聚、気虚労役等の諸症底を払て平癒せずんば、老僧が頭を切り持ち去れ。
-
『格言聯璧』惠吉類・終日善言を說くは一件を做すに如かず終日善言を說くは、一件を做し了るに如かず。 終身善事を行ふも、須らく一件を錯り了るを防ぐべし。 物力艱難、飯を吃し衣を穿つを知るを要す、談何ぞ容易ならん。 光陰迅速、即使ひ書を讀み善を行ふとも、能く幾多か有らん。
-
老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、今時の人仏法は悟らねば用に立たぬと思ふ也。其儀に非す。仏法と云ふは、只今の我心をよう用ひて、今用に立つる事なり。成程心を强う用ゆるを修行とす、心の强うなるほど次第に使はるる也。大に勤むれば大に徳有り、少し勤むれば少しの徳有り、譬へば万石取には及はねども、千石取らば百石取には勝るが如し。分々に徳を得る事也。扨亦悟入すれば、仏境界なりと思へり。そでも無き事也。縦ひ見解有るとも自由に使はるべからず。仏境界と云ふは各別の事也。只悟を求めずとも、修し行じて徳に至るべしと也。
-
『後世への最大遺物』第二回・来年また会うときまでにまことに私の言葉が錯雑しておって、かつ時間も少くございますから、私の考えをことごとく述べることはできない。しかしながら私は今日これで御免をこうむって山を降ろうと思います。それで来年またふたたびどこかでお目にかかるときまでには、少くとも幾何の遺物を貯えておきたい。この一年の後にわれわれがふたたび会しますときには、われわれが何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかし、それよりもいっそう良いのは、後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。
-
『酔古堂剣掃』集素・麈尾の閒談は畫餅の如し身外に身有り、麈尾を捉りて口を矢ひて閒談するは、真に畫餅の如し。 竅中に竅有り、蒲團に向かひて心を回らし究竟するは、方に是れ力田なり。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る