弘道館記述義 / 忠孝無二・忠と孝は一つの根から出る
忠孝無二。臣彪謹案。人道無急於五倫。五倫莫重於君父。然則忠孝者名敎之根本。臣子之大節。而忠之與孝異途同歸。於父曰孝。於君曰忠。至於所以盡吾誠則一也。昔者孔子之敎曾參也。曰夫孝始於事親。中於事君。終於立身。言一孝而忠寓其中焉。周官師氏之敎國子也。曰孝德以知逆惡。擧一德而衆行判焉。由是觀之。忠孝之無二也亦明矣。聖人旣沒大道不明。以衞輒之無父。而傳春秋者或以義許之。以伍員之無君。而編史記者。以烈丈夫稱之。後儒又或以爲忠不可廢於國。孝不可廢於家。孝旣有經忠則猶缺。乃述仲尼之意。作忠經焉。夫以子拒父搆兵爭國。或屠父母之邦。鞭舊君之屍。其無道殘忍已甚。而不曾免不孝不忠之名。列諸賢君烈士之科。何以使後世有所勸懲焉。至於忠經之作。則不曉忠孝之一本。叨摸聖經。添蛇足耳。此皆所謂經師良吏。而其謬妄猶或如是。其弊遂有忠孝不兩全之說。果然則周家之典孔子之敎。不足信也。不可以不辯焉。夫孝子之敬身。身體髮膚猶不敢毀傷。况大義之在我者。豈獨可虧乎。然則進而事君。全其大義。乃所以孝於親也。君子之事君。委吏乘田不敢苟。且况風敎之關治者。豈獨可忽乎。然則退而養親助其風敎。乃所以忠於君也。忠之與孝不二。其本在所處何如耳。而立忠孝不全之說者。則曰家居養親則不能致身於君。是徒知夙夜在公之爲忠。而不知扶植綱常之爲大忠也。又曰以死殉國。則不得竭力於父母。是徒知冬溫夏凊之爲孝。而不知殺身成仁之爲大忠也。善乎歐陽修論臣子之處變曰。身從其居。志從其義。其於忠孝一本之旨。可謂得矣。
新字:忠孝無二。臣彪謹案。人道無急於五倫。五倫莫重於君父。然則忠孝者名教之根本。臣子之大節。而忠之与孝異途同帰。於父曰孝。於君曰忠。至於所以尽吾誠則一也。昔者孔子之教曽参也。曰夫孝始於事親。中於事君。終於立身。言一孝而忠寓其中焉。周官師氏之教国子也。曰孝徳以知逆悪。挙一徳而衆行判焉。由是観之。忠孝之無二也亦明矣。聖人既没大道不明。以衛輒之無父。而伝春秋者或以義許之。以伍員之無君。而編史記者。以烈丈夫称之。後儒又或以為忠不可廃於国。孝不可廃於家。孝既有経忠則猶欠。乃述仲尼之意。作忠経焉。夫以子拒父搆兵争国。或屠父母之邦。鞭旧君之屍。其無道残忍已甚。而不曽免不孝不忠之名。列諸賢君烈士之科。何以使後世有所勧懲焉。至於忠経之作。則不暁忠孝之一本。叨摸聖経。添蛇足耳。此皆所謂経師良吏。而其謬妄猶或如是。其弊遂有忠孝不両全之説。果然則周家之典孔子之教。不足信也。不可以不弁焉。夫孝子之敬身。身体髪膚猶不敢毀傷。況大義之在我者。豈独可虧乎。然則進而事君。全其大義。乃所以孝於親也。君子之事君。委吏乗田不敢苟。且況風教之関治者。豈独可忽乎。然則退而養親助其風教。乃所以忠於君也。忠之与孝不二。其本在所処何如耳。而立忠孝不全之説者。則曰家居養親則不能致身於君。是徒知夙夜在公之為忠。而不知扶植綱常之為大忠也。又曰以死殉国。則不得竭力於父母。是徒知冬温夏凊之為孝。而不知殺身成仁之為大忠也。善乎欧陽修論臣子之処変曰。身従其居。志従其義。其於忠孝一本之旨。可謂得矣。
書き下し
忠孝二無し。臣彪謹んで案ずるに、人道は五倫より急なるは無く、五倫は君父より重きは莫し。然らば則ち忠孝は名教の根本、臣子の大節にして、忠と孝とは途を異にして帰を同じくす。父に於いては孝と曰ひ、君に於いては忠と曰ふ。吾が誠を尽くす所以に至りては則ち一なり。昔者孔子の曾参を教ふるや、曰く、夫れ孝は親に事ふるに始まり、君に事ふるに中し、身を立つるに終はると。一孝を言ひて忠其の中に寓す。周官師氏の国子を教ふるや、曰く、孝徳以て逆悪を知ると。一徳を挙げて衆行判る。是に由りて之を観れば、忠孝の二無きや亦明らかなり。聖人既に没して大道明らかならず。衛輒の無父を以て、春秋を伝ふる者は或いは義を以て之を許し、伍員の無君を以て、史記を編む者は烈丈夫を以て之を称す。後儒又或いは以為へらく、忠は国に廃すべからず、孝は家に廃すべからず、孝は既に経有れども忠は則ち猶ほ欠くと。乃ち仲尼の意を述べて忠経を作る。夫れ子を以て父を拒み、兵を構へて国を争ひ、或いは父母の邦を屠り、旧君の屍を鞭つ。其の無道残忍已に甚だし。而るに不孝不忠の名を免れず、諸を賢君烈士の科に列す。何を以て後世をして勧懲する所有らしめんや。忠経の作に至りては、則ち忠孝の一本なるを暁らず、叨りに聖経を摸し、蛇足を添ふるのみ。此れ皆所謂経師良吏にして、其の謬妄猶ほ或いは是くの如し。其の弊、遂に忠孝両全せずの説有り。果たして然らば、則ち周家の典、孔子の教へは信ずるに足らず。弁ぜざるべからず。夫れ孝子の身を敬ふや、身体髪膚すら猶ほ敢へて毀傷せず。況んや大義の我に在る者、豈に独り虧くべけんや。然らば則ち進みて君に事へ、其の大義を全うするは、乃ち親に孝なる所以なり。君子の君に事ふるや、委吏乗田すら敢へて苟くもせず。且つ況んや風教の治に関はる者、豈に独り忽にすべけんや。然らば則ち退きて親を養ひ其の風教を助くるは、乃ち君に忠なる所以なり。忠と孝と二ならず、其の本は処る所の何如に在るのみ。而して忠孝全からずの説を立つる者は、則ち曰く、家に居りて親を養へば則ち身を君に致すこと能はずと。是れ徒に夙夜公に在るの忠たるを知りて、綱常を扶植するの大忠たるを知らざるなり。又曰く、死を以て国に殉ずれば、則ち力を父母に竭すを得ずと。是れ徒に冬温夏清の孝たるを知りて、身を殺して仁を成すの大忠たるを知らざるなり。善いかな、欧陽修の臣子の変に処するを論ずるや。曰く、身は其の居に従ひ、志は其の義に従ふと。其の忠孝一本の旨に於いて、得たりと謂ふべし。
現代語訳
「忠と孝は二つではない」についてです。臣の彪が謹んで考えます。人の道に五倫(君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友)より急なものはなく、五倫の中で君と父より重いものはありません。そうであるなら、忠孝は名教(名分を正す教え)の根本であり、臣下や子の大きな節目で、忠と孝は道が異なっても行き着く先は同じです。父に対しては孝といい、君に対しては忠といいますが、自分の誠を尽くすという点では同じ一つです。昔、孔子が曾参を教えて言いました。「そもそも孝は親に仕えることに始まり、君に仕えることに進み、身を立てることで終わる」と。孝の一つを言って、忠がその中に含まれています。『周礼』の師氏が国子を教えるとき、「孝の徳によって逆悪を知る」と言いました。一つの徳を挙げて、多くの行いが判別されます。これで見ると、忠孝が二つでないことも明らかです。 聖人が亡くなって、大道は明らかでなくなりました。衛の輒が父を無視したことを、『春秋』を伝える人の中には、義にかなうとして許す者がいました。伍員(伍子胥)が君を無視したことを、『史記』を編んだ者は烈丈夫(激烈な立派な男)と称えました。後世の儒者の中には、「忠は国のために廃してはならず、孝は家のために廃してはならない。孝にはすでに経典(『孝経』)があるが、忠にはまだ経典がない」と考えて、孔子(仲尼)の意を述べて『忠経』を作った者がいます。子が父を拒んで兵を構えて国を争い、あるいは父母の国を滅ぼし、旧君の屍に鞭を打つ。その無道と残忍さはすでに甚だしいのに、不孝不忠の名を免れず、賢君や烈士の部類に並べています。これでは後世の人に何を勧め何を戒めることができるでしょうか。『忠経』の作に至っては、忠孝が一つの根から出ることを理解せず、みだりに聖人の経典を真似て、蛇足を付け加えたにすぎません。これらはいわゆる経師(経典学者)や良吏でありながら、その誤りと妄想がこの有様なのです。この弊害により、ついに「忠孝は両立しない」という説が生まれました。もしそれが本当なら、周の典礼や孔子の教えは信じるに足りないことになります。弁明しないわけにはいきません。 孝子が自分の身を大切にするとき、身体や髪や皮膚さえ、あえて傷つけません。まして大義が自分にある場合、どうしてこれだけを欠いてよいでしょうか。そうであれば、進んで君に仕え、その大義を全うするのは、親に孝行する手段でもあります。君子が君に仕えるときは、委吏(倉庫の係)や乗田(牧場の係)のような下級の職でも、決してかりそめにはしません。まして風俗や教化の政治に関わることを、どうして軽んじてよいでしょうか。そうであれば、退いて親を養い、その風教を助けることは、君に忠を尽くすことになるのです。忠と孝は二つではなく、その根本は置かれた立場でどう尽くすかにあるのです。「忠孝は両立しない」という説を立てる者は、「家にいて親を養えば、身を君に捧げられない」と言います。これは、朝夕公の務めにあることが忠だとばかり知り、人の道の綱紀を支え植えることが大きな忠だとは知らないのです。また「死んで国に殉じれば、父母に力を尽くせない」と言います。これは、冬に温め夏に涼しくする孝ばかり知り、身を殺して仁を成すことが大きな忠であり孝でもあると知らないのです。欧陽脩が臣下や子が変事に処する道を論じた言葉は見事です。「身はその居る立場に従い、志はその義に従う」と。忠孝は一つの根というこの趣旨に、よく適っていると言えます。
解説
この章句が説くこと
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『童子問』卷中問ふ、忠と孝と孰れか重き。曰く、軽重無し。君親躰均しく、恩義相倚る。其の親に孝なる者は、必ず其の君に忠なり。其の君に忠なる者は、必ず其の親に孝なり。未だ其の親に孝ならずして、能く其の君に忠なる者有らざるなり。又未だ其の君に忠ならずして、能く其の親に孝なる者有らざるなり。故に孔子曰く、孝を以て君に事ふれば、則ち忠なりと。又曰く、忠臣を孝子の門に求むと。世俗多く忠孝両全する能はずと言ふ。此の言を為す者は、蓋し其の一を勤めて、其の一を緩くせんと欲する意有り。若し不孝の子に非ざれば、必ず是れ不忠の臣なり。不孝の子は人に非ず、不忠の臣も亦人に非ず。之を戒めよ、之を戒めよ。欧陽子曰く、君に在りては則ち君の為にし、親に在りては則ち親の為にすと。此の言之を得たり。
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