弘道館記述義 / 士民・心を労して人を治める士の怠りと教育
嗚呼我國中士民。夙夜匪懈出入斯館。臣彪謹案。國中者郊內之地。所謂城下是也。士者巨室世家。適庶少壯皆包焉。民者庶人在官者。吏胥卒徒亦皆括焉。夫四民之在世。各任其業服其勤。未有佚居而素餐者。傳曰君子勞心小人勞力。勞心者治人。勞力者治於人。蓋其身愈卑者其勞力愈勤。其位愈尊者其勞心愈切。是以政通人和國家可治矣。今也太平日久民俗澆漓。農夫或趨末業。工商或射奸利。然米粟布帛凡百器財。天下之人用之而不盡。則三民者猶未盡懈其業也。若夫文敎闕武備廢。下情不通德澤不降。邦家之勢日趨危殆者。孰任其責。豈獨非治人者廢其職之所致哉。而士大夫恬不經意。帶吏職者。不過簿書期會。任武事者不過更番宿直。至於子弟遊倅則絕無一事。其消遣之具。非釣弋奕棋。則麴蘗粉黛。群居終日好行小慧。習與性成。泯然相率爲小人。其泯然者即皆他日之士大夫也。欲望其勞心治人抑亦難矣。大化之詔曰。凡欲致治者若君若臣。當先正己而後正人。如不自正何能正人。然則欲使民各勤其業。則必當先責其士大夫。欲責士大夫。則必當先敎其子弟。
新字:嗚呼我国中士民。夙夜匪懈出入斯館。臣彪謹案。国中者郊内之地。所謂城下是也。士者巨室世家。適庶少壮皆包焉。民者庶人在官者。吏胥卒徒亦皆括焉。夫四民之在世。各任其業服其勤。未有佚居而素餐者。伝曰君子労心小人労力。労心者治人。労力者治於人。蓋其身愈卑者其労力愈勤。其位愈尊者其労心愈切。是以政通人和国家可治矣。今也太平日久民俗澆漓。農夫或趨末業。工商或射奸利。然米粟布帛凡百器財。天下之人用之而不尽。則三民者猶未尽懈其業也。若夫文教闕武備廃。下情不通徳沢不降。邦家之勢日趨危殆者。孰任其責。豈独非治人者廃其職之所致哉。而士大夫恬不経意。帯吏職者。不過簿書期会。任武事者不過更番宿直。至於子弟遊倅則絶無一事。其消遣之具。非釣弋奕棋。則麴蘗粉黛。群居終日好行小慧。習与性成。泯然相率為小人。其泯然者即皆他日之士大夫也。欲望其労心治人抑亦難矣。大化之詔曰。凡欲致治者若君若臣。当先正己而後正人。如不自正何能正人。然則欲使民各勤其業。則必当先責其士大夫。欲責士大夫。則必当先教其子弟。
書き下し
嗚呼我が国中の士民、夙夜懈る匪く斯の館に出入せよ。臣彪謹んで案ずるに、国中とは郊内の地、所謂城下是れなり。士とは巨室世家、適庶少壮皆包ぬ。民とは庶人の官に在る者、吏胥卒徒も亦皆括る。夫れ四民の世に在る、各其の業に任じ其の勤に服し、未だ佚居して素餐する者有らず。伝に曰く、君子は心を労し、小人は力を労す。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらると。蓋し其の身愈いよ卑き者は其の力を労すること愈いよ勤め、其の位愈いよ尊き者は其の心を労すること愈いよ切なり。是を以て政通じ人和して国家治むべし。今や太平日に久しく民俗澆漓す。農夫は或いは末業に趨り、工商は或いは奸利を射る。然れども米粟布帛凡百の器財、天下の人之を用ひて尽きざれば、則ち三民は猶ほ未だ尽くは其の業を懈らざるなり。若し夫れ文教闕け武備廃れ、下情通ぜず徳沢降らず、邦家の勢ひ日に危殆に趨く者は、孰れか其の責を任せん。豈に独り治人者の其の職を廃するの致す所に非ずや。而るに士大夫は恬として意に経せず。吏職を帯ぶる者は簿書期会に過ぎず、武事を任ずる者は更番宿直に過ぎず。子弟遊倅に至りては則ち絶えて一事無し。其の消遣の具は、釣弋奕棋に非ざれば則ち麹蘗粉黛。群居終日、好んで小慧を行ひ、習ひ性と成り、泯然として相率ゐて小人と為る。其の泯然たる者、即ち皆他日の士大夫なり。其の心を労し人を治むるを望まんと欲するも、抑も亦難し。大化の詔に曰く、凡そ治を致さんと欲する者は、若しくは君、若しくは臣、当に先づ己を正して後に人を正すべし。如し自ら正さざれば何ぞ能く人を正さんと。然らば則ち民をして各其の業に勤めしめんと欲すれば、則ち必ず当に先づ其の士大夫を責むべし。士大夫を責めんと欲すれば、則ち必ず当に先づ其の子弟を教ふべし。
現代語訳
ああ、わが領内の士と民よ、朝から晩まで怠ることなく、この館に出入りしなさい。臣の彪が謹んで考えます。「領内」とは城下の郊内の地です。「士」とは名家や旧家の者で、嫡子も庶子も、年少の者も壮年の者もすべて含みます。「民」とは庶民で役所に勤める者で、下役人や兵卒もすべて含みます。そもそも士農工商の四つの身分の者は世にあって、それぞれの仕事を担い、その勤めに服し、安逸にいて無駄に食べている者はいません。『左伝』に「君子は心を労し、小人は力を労する。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治められる」とあります。身分が低い者ほど体を使ってよく働き、位が高い者ほど心を砕いて深く思いを巡らせる。だから政治が通じ、人々が和らぎ、国家は治まるのです。 今は太平が長く続いて、民の風俗が薄くなりました。農民の中には本業を離れて末業に走る者があり、職人や商人の中には不正な利を狙う者がいます。それでも米や穀物、布や絹、あらゆる器物や財貨が、天下の人が使っても尽きないのですから、農・工・商の三つの民は、まだ完全には本業を怠ってはいません。それに対し、学問や教化が欠け、武備が廃れ、下の事情が上に通じず、上の徳の恵みが下に降りず、国家の勢いが日々危うさに向かっているとしたら、その責任は誰が負うのでしょうか。治める立場の者が職責を放棄したことの結果ではないでしょうか。それなのに士大夫は平然として気にかけません。役職に就く者は帳簿や期日の処理にすぎず、武事を任じられた者は交代で宿直するだけです。子弟や遊び暮らす若者に至っては、全く何の務めもありません。その気晴らしは、釣りや狩り、碁や将棋でなければ、酒や女色です。終日群れ集まって、小利口なことを好んで行い、習慣が性質となって、ひっそりと皆そろって小人になっていきます。そのひっそりと小人になっていく者たちが、他日の士大夫なのです。心を労して人を治めることを望もうとしても、難しいことです。大化の詔にはこうあります。「およそ良い政治を行おうとする者は、君であれ臣であれ、まず自分を正してから人を正すべきである。もし自分を正さなければ、どうして人を正せようか」と。そうであるなら、民にそれぞれの仕事に勤めさせたいと思えば、まず士大夫を責めなければなりません。士大夫を責めようと思えば、まずその子弟を教えなければなりません。
解説
この章句が説くこと
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『武教講録』・放鷹狩獵・扶持人を鯨組にする人材づくり海に習はざる士は用には立まじ、聞く兩大津の鯨組は異常に風浪に慣習する由、若し此輩へ小々の扶持を擬ひ、軍法を敍置かば、究竟の海備ならん、子に於ては何如思へるやと、余云く君の論至極せり、但し鯨組を扶持人とするよりは扶持人を鯨組とするの政更に妙ならん、今の士人の漁獵を好む者をば敢て是を禁ずるとなく、大臣重職の人々も時々漁舟を海洋に泛べて諸士の先とならば、不日にして其功を奏するに至らん、余壬子の歲會津に遊ぶ、會津の士余に語て云く、弊邑は如斯の山國にて、國侍共は船とては城東五里許、猪苗代の湖水にて見るの外見たる事さへなき程なり、因て先年房總の海禦を命ぜられ大に當惑せしが、命を承て以來、在戍の士、日夜海事に心を碎き身を勞せしに因て、今は最早習熟して操舟游泳等、彼土の漁父にも敢て讓らざるに至れりと、又肥前平戸に遊び、彼藩風を觀るに、流石に海中の孤島なるを以て、士人大氏漁舟一隻を持ざる者なし、又沖漁をせざる者なし、葉山佐內と云人などは彼藩にても祿も重く班も崇く、且年齡も亦六十有餘の人なれども、官府に登る時は必ず騎馬なり、又毎々沖漁をなせり、常に余に謂ふ馬と舟とは久しく廢すると物前の用を闕くとある者也と、是を以て其藩風を知るべし、因て扶持人を鯨組とするの說も亦難きに非るを知るべしと答ふ、老輩唯々して去る、又余が從弟穀甫、漁獵を好み命となし、風雨寒暑憚る所なし、或は獲物なくして徒に還る共敢て悔ひず、余曾て戲れて云く、淸人の詩に、爲貪臨水去不羨得魚歸とは足下の謂なりと、穀甫悅ばず、因て又六益二害の說を擧て獲物の論ずるに足らざるを曉す、穀甫乃ち大に悅ぶ、
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史記 殷本紀伊尹之を嘉し、迺ち太甲訓三篇を作り、帝太甲を襃めて、太宗と称す。太宗崩じ、子沃丁立つ。帝沃丁の時、伊尹卒す。既に伊尹を亳に葬り、咎単遂に伊尹の事を訓へ、沃丁を作る。沃丁崩じ、弟太庚立つ。是を帝太庚と為す。帝太庚崩じ、子帝小甲立つ。帝小甲崩じ、弟雍己立つ。是を帝雍己と為す。殷の道衰へ、諸侯或いは至らず。帝雍己崩じ、弟太戊立つ。是を帝太戊と為す。
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孟子・告子章句下魯、慎子をして將軍為らしめんと欲す。孟子曰く、「民を教えずして之を用うるは、之を民を殃すと謂う。民を殃する者は、堯舜の世に容れられず。一たび戰いて齊に勝ち、遂に南陽を有つとも、然も且つ不可なり。」慎子勃然として悅ばずして曰く、「此は則ち滑釐の識らざる所なり。」曰く、「吾、に明らかに子に告げん。天子の地は方千里。千里ならざれば、以て諸侯を待つに足らず。諸侯の地は方百里。百里ならざれば、以て宗廟の典籍を守るに足らず。周公の魯に封ぜらるるや、方百里為り。地足らざるに非ず。而も百里に儉せり。太公の齊に封ぜらるるや、亦た方百里為り。地足らざるに非ず。而も百里に儉せり。今魯は方百里なる者五あり。子以為らく、王者作ること有らば、則ち魯は損する所在るか、益する所在るかと。徒に諸を彼に取りて以て此に與うるすら、然も且つ仁者は為さず。況んや人を殺して以て之を求むるに於てをや。君子の君に事うるや、務めて其の君を引きて、以て道に當り仁に志さしむるのみ。」

人生を、一行の式にしてみた。
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