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武教講録 / 放鷹狩獵・扶持人を鯨組にする人材づくり

海に習はざる士は用には立まじ、聞く兩大津の鯨組は異常に風浪に慣習する由、若し此輩へ小々の扶持を擬ひ、軍法を敍置かば、究竟の海備ならん、子に於ては何如思へるやと、余云く君の論至極せり、但し鯨組を扶持人とするよりは扶持人を鯨組とするの政更に妙ならん、今の士人の漁獵を好む者をば敢て是を禁ずるとなく、大臣重職の人々も時々漁舟を海洋に泛べて諸士の先とならば、不日にして其功を奏するに至らん、余壬子の歲會津に遊ぶ、會津の士余に語て云く、弊邑は如斯の山國にて、國侍共は船とては城東五里許、猪苗代の湖水にて見るの外見たる事さへなき程なり、因て先年房總の海禦を命ぜられ大に當惑せしが、命を承て以來、在戍の士、日夜海事に心を碎き身を勞せしに因て、今は最早習熟して操舟游泳等、彼土の漁父にも敢て讓らざるに至れりと、又肥前平戸に遊び、彼藩風を觀るに、流石に海中の孤島なるを以て、士人大氏漁舟一隻を持ざる者なし、又沖漁をせざる者なし、葉山佐內と云人などは彼藩にても祿も重く班も崇く、且年齡も亦六十有餘の人なれども、官府に登る時は必ず騎馬なり、又毎々沖漁をなせり、常に余に謂ふ馬と舟とは久しく廢すると物前の用を闕くとある者也と、是を以て其藩風を知るべし、因て扶持人を鯨組とするの說も亦難きに非るを知るべしと答ふ、老輩唯々して去る、又余が從弟穀甫、漁獵を好み命となし、風雨寒暑憚る所なし、或は獲物なくして徒に還る共敢て悔ひず、余曾て戲れて云く、淸人の詩に、爲貪臨水去不羨得魚歸とは足下の謂なりと、穀甫悅ばず、因て又六益二害の說を擧て獲物の論ずるに足らざるを曉す、穀甫乃ち大に悅ぶ、

新字:海に習はざる士は用には立まじ、聞く両大津の鯨組は異常に風浪に慣習する由、若し此輩へ小々の扶持を擬ひ、軍法を叙置かば、究竟の海備ならん、子に於ては何如思へるやと、余云く君の論至極せり、但し鯨組を扶持人とするよりは扶持人を鯨組とするの政更に妙ならん、今の士人の漁猟を好む者をば敢て是を禁ずるとなく、大臣重職の人々も時々漁舟を海洋に泛べて諸士の先とならば、不日にして其功を奏するに至らん、余壬子の歳会津に遊ぶ、会津の士余に語て云く、弊邑は如斯の山国にて、国侍共は船とては城東五里許、猪苗代の湖水にて見るの外見たる事さへなき程なり、因て先年房総の海禦を命ぜられ大に当惑せしが、命を承て以来、在戍の士、日夜海事に心を砕き身を労せしに因て、今は最早習熟して操舟游泳等、彼土の漁父にも敢て譲らざるに至れりと、又肥前平戸に遊び、彼藩風を観るに、流石に海中の孤島なるを以て、士人大氏漁舟一隻を持ざる者なし、又沖漁をせざる者なし、葉山佐内と云人などは彼藩にても禄も重く班も崇く、且年齢も亦六十有余の人なれども、官府に登る時は必ず騎馬なり、又毎々沖漁をなせり、常に余に謂ふ馬と舟とは久しく廃すると物前の用を闕くとある者也と、是を以て其藩風を知るべし、因て扶持人を鯨組とするの説も亦難きに非るを知るべしと答ふ、老輩唯々して去る、又余が従弟穀甫、漁猟を好み命となし、風雨寒暑憚る所なし、或は獲物なくして徒に還る共敢て悔ひず、余曽て戯れて云く、清人の詩に、為貪臨水去不羨得魚帰とは足下の謂なりと、穀甫悦ばず、因て又六益二害の説を挙て獲物の論ずるに足らざるを暁す、穀甫乃ち大に悦ぶ、

書き下し

海に習はざる士は用には立まじ、聞く兩大津の鯨組は異常に風浪に慣習する由、若し此輩へ小々の扶持を擬ひ、軍法を敍置かば、究竟の海備ならん、子に於ては何如思へるやと、余云く君の論至極せり、但し鯨組を扶持人とするよりは扶持人を鯨組とするの政更に妙ならん、今の士人の漁獵を好む者をば敢て是を禁ずるとなく、大臣重職の人々も時々漁舟を海洋に泛べて諸士の先とならば、不日にして其功を奏するに至らん、余壬子の歲會津に遊ぶ、會津の士余に語て云く、弊邑は如斯の山國にて、國侍共は船とては城東五里許、猪苗代の湖水にて見るの外見たる事さへなき程なり、因て先年房總の海禦を命ぜられ大に當惑せしが、命を承て以來、在戍の士、日夜海事に心を碎き身を勞せしに因て、今は最早習熟して操舟游泳等、彼土の漁父にも敢て讓らざるに至れりと、又肥前平戸に遊び、彼藩風を觀るに、流石に海中の孤島なるを以て、士人大氏漁舟一隻を持ざる者なし、又沖漁をせざる者なし、葉山佐內と云人などは彼藩にても祿も重く班も崇く、且年齡も亦六十有餘の人なれども、官府に登る時は必ず騎馬なり、又毎々沖漁をなせり、常に余に謂ふ馬と舟とは久しく廢すると物前の用を闕くとある者也と、是を以て其藩風を知るべし、因て扶持人を鯨組とするの說も亦難きに非るを知るべしと答ふ、老輩唯々して去る、又余が從弟穀甫、漁獵を好み命となし、風雨寒暑憚る所なし、或は獲物なくして徒に還る共敢て悔ひず、余曾て戲れて云く、淸人の詩に、爲貪臨水去不羨得魚歸とは足下の謂なりと、穀甫悅ばず、因て又六益二害の說を擧て獲物の論ずるに足らざるを曉す、穀甫乃ち大に悅ぶ、

現代語訳

海に慣れていない士は役に立たないでしょう。聞くところでは、両大津の鯨組(捕鯨の集団)は並外れて風波に慣れているとのことです。もしこの者たちにわずかな扶持を与え、軍法を教え込んでおけば、申し分のない海の備えになるでしょう。あなたはどう思われますか」と。私は言いました。「あなたの論は至極もっともです。ただし、鯨組を扶持人にするよりも、扶持人を鯨組にする政策のほうが、さらに優れているでしょう。今の士で漁猟を好む者をあえて禁じることなく、大臣・重職の人々も時々漁船を海に浮かべて諸士の先頭に立てば、遠からず成果が上がるでしょう。私は壬子の年に会津に遊びました。会津の士が私に語って言うには、『わが領はこのような山国で、国侍たちは、船といえば城の東五里ほどの猪苗代の湖で見るほかは、見たことさえないほどです。そのため先年、房総の海防を命じられて大いに困惑しましたが、命を受けて以来、駐屯の士が日夜海のことに心を砕き身を労したので、今ではもはや習熟して、船の操縦や泳ぎなど、現地の漁師にも決して劣らないまでになりました』とのことでした。また肥前の平戸に遊んで、その藩風を見ると、さすがに海中の孤島だけあって、士人はおおむね漁船を一隻持たない者はなく、沖釣りをしない者もありません。葉山佐内という人などは、その藩でも禄が重く席次も高く、年齢も六十余りの人ですが、役所に出る時は必ず騎馬で、またしばしば沖で漁をしていました。常に私に『馬と船とは、久しく使わずにいると、いざという時の用を欠くものだ』と言っていました。これによってその藩風を知ることができます。ですから、扶持人を鯨組にするという説も、難しいことではないと知れましょう」と答えました。老人は「ごもっとも」と言って去りました。また私の従弟の穀甫は、漁猟を好むことを命のようにして、風雨寒暑をはばかりません。獲物がなく空しく帰っても決して後悔しません。私はかつて戯れて言いました。「清人の詩に『貪るためではなく水辺に臨んで去る、魚を得て帰る者を羨まない』とあるのは、君のことだ」と。穀甫は喜びませんでした。そこでまた六益二害の説を挙げて、獲物の多少が論ずるに足りないことを諭しました。穀甫はそこでたいへん喜びました。

解説

海に不慣れな士の代わりに鯨組を雇うより、士そのものを海に慣れさせるほうが優れている、というのが松陰の答えです。会津や平戸の例は、必要に迫られ、上の者が率先して実地に励めば習熟できることを示しています。人材が足りない時に外から調達するだけでなく、内部の人を育てて力をつけるという発想は、現代の組織づくりにも生きます。重職自らが先に動く姿勢が、組織全体の習熟を早めることも読み取れます。

この章句が説くこと

武教講録吉田松陰放鷹狩猟人材育成率先垂範海防

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