弘道館記述義 / 館の設け・建御雷神を祀る意味と祭る範囲
臣彪謹案。鴻荒之時邪神充滿中國。而大國主神尤强大。天祖嘗遣天穗日天若日子招撫之。而皆貳於大國主神。不復反命。及建御雷神奉詔平下土。大國主神不敢抗命。獻國遠遜。其他邪神悉皆驅除。中國始定。蓋當時群神有功德者不可一二數。而至威稜勇武戡夷大難。則未有過建御雷神者。此所謂亮天功於草昧也。天下神祇列在祀典者不啻千百。而東州神祠未有出鹿島之上者。古者民之來自他邦。必先拜鹿島神而後入焉。(古者云云見於常陸風土記。案萬葉集常陸防人歌。有祈鹿島神從皇軍之事。又古有鹿島立之語。蓋亦謂臨行拜鹿島。夫民之來自他邦。尙且拜斯神而後入。則本州之人出境必亦拜斯神而後發也明矣。然古書無明文。姑附以備考。)千載之久神威如在。此所謂留威靈於茲土也。抑館之爲設。合文武爲一治敎以推弘斯道。而以斯神爲之主。則斯道固淵源於鹿島乎。曰奚其然。道者天地之大經而神皇所遵。神皇之道本於天祖。若夫建御雷神則贊成其鴻業而已。然則何唯祀建御雷神而不祭天祖也。曰惡是何言也。天祖上合體於太陽下留靈於寶鏡。天皇之所祖而朝廷所奉。豈人臣所宜私祭哉。我公之意。蓋謂神聖之道淵源於天祖。然考諸本朝之典。則伊勢神廟非人臣所得拜。參諸西土之禮。則天子始祖非諸侯所宜祭。然則祀當時佐命之神以寓報本之義。不亦善乎。今夫中國之地。邪神避跡妖鬼隱形。百姓萬民永浴皇化者。實建御雷神之賜也。而推其本則無非天祖之靈者。故曰原其始報其本。使民知斯道之所繇來也。昔者西土學校之設其制非一。或祭其先聖。或祭其先師。又或有祭有德者。於瞽宗之禮。則學校之有祀也尙矣。功烈若建御雷神。凡海內之人所宜欽仰。况我常之民密邇其靈乎。亦况於欲推弘斯道者乎。館之祀建御雷
新字:臣彪謹案。鴻荒之時邪神充満中国。而大国主神尤強大。天祖嘗遣天穂日天若日子招撫之。而皆貳於大国主神。不復反命。及建御雷神奉詔平下土。大国主神不敢抗命。献国遠遜。其他邪神悉皆駆除。中国始定。蓋当時群神有功徳者不可一二数。而至威稜勇武戡夷大難。則未有過建御雷神者。此所謂亮天功於草昧也。天下神祇列在祀典者不啻千百。而東州神祠未有出鹿島之上者。古者民之来自他邦。必先拝鹿島神而後入焉。(古者云云見於常陸風土記。案万葉集常陸防人歌。有祈鹿島神従皇軍之事。又古有鹿島立之語。蓋亦謂臨行拝鹿島。夫民之来自他邦。尚且拝斯神而後入。則本州之人出境必亦拝斯神而後発也明矣。然古書無明文。姑附以備考。)千載之久神威如在。此所謂留威霊於茲土也。抑館之為設。合文武為一治教以推弘斯道。而以斯神為之主。則斯道固淵源於鹿島乎。曰奚其然。道者天地之大経而神皇所遵。神皇之道本於天祖。若夫建御雷神則賛成其鴻業而已。然則何唯祀建御雷神而不祭天祖也。曰悪是何言也。天祖上合体於太陽下留霊於宝鏡。天皇之所祖而朝廷所奉。豈人臣所宜私祭哉。我公之意。蓋謂神聖之道淵源於天祖。然考諸本朝之典。則伊勢神廟非人臣所得拝。参諸西土之礼。則天子始祖非諸侯所宜祭。然則祀当時佐命之神以寓報本之義。不亦善乎。今夫中国之地。邪神避跡妖鬼隠形。百姓万民永浴皇化者。実建御雷神之賜也。而推其本則無非天祖之霊者。故曰原其始報其本。使民知斯道之所繇来也。昔者西土学校之設其制非一。或祭其先聖。或祭其先師。又或有祭有徳者。於瞽宗之礼。則学校之有祀也尚矣。功烈若建御雷神。凡海内之人所宜欽仰。況我常之民密邇其霊乎。亦況於欲推弘斯道者乎。館之祀建御雷
書き下し
臣彪謹んで案ずるに、鴻荒の時、邪神中国に充満し、大国主神尤も強大なり。天祖嘗て天穂日・天若日子を遣はして之を招撫せしむ。而れども皆大国主神に弐し、復命せず。建御雷神、詔を奉じて下土を平らぐるに及び、大国主神敢へて命に抗せず、国を献じて遠く遜る。其の他の邪神悉く皆駆除せられ、中国始めて定まる。蓋し当時群神の功徳有る者、一二数ふべからず。而れども威稜勇武にして大難を戡夷するに至りては、則ち建御雷神に過ぐる者有らず。此れ所謂天功を草昧に亮くるなり。天下の神祇の祀典に列する者啻に千百のみならず、而れども東州の神祠、未だ鹿島の上に出づる者有らず。古者民の他邦より来る者、必ず先づ鹿島の神を拝して後に入る。(古者云云は常陸風土記に見ゆ。案ずるに万葉集の常陸の防人の歌に、鹿島の神に祈りて皇軍の事に従ふ有り。又古に鹿島立ちの語有り。蓋し亦行に臨みて鹿島を拝するを謂ふ。夫れ民の他邦より来る者すら、尚ほ斯の神を拝して後に入る。則ち本州の人の境を出づるに、必ず亦斯の神を拝して後に発すること明らかなり。然れども古書に明文無し。姑く附して以て備考とす。)千載の久しきに神威在すが如し。此れ所謂威霊を茲の土に留むるなり。抑も館の設けらるるは、文武を合して一治教と為し、以て以て斯の道を推弘せんとして、斯の神を以て之が主と為さば、則ち斯の道は固より鹿島に淵源するか。曰く、奚ぞ其れ然らん。道は天地の大経にして神皇の遵ふ所、神皇の道は天祖に本づく。若し夫れ建御雷神は則ち其の鴻業を賛成するのみ。然らば則ち何ぞ唯建御雷神を祀りて天祖を祭らざるや。曰く、是れ何の言ぞや。天祖は上は太陽に合体し、下は霊を宝鏡に留む。天皇の祖とする所にして朝廷の奉ずる所、豈に人臣の宜しく私に祭るべき所ならんや。我が公の意は、蓋し神聖の道は天祖に淵源すと謂ふ。然れども諸を本朝の典に考ふるに、則ち伊勢の神廟は人臣の拝するを得る所に非ず。諸を西土の礼に参ずるに、則ち天子の始祖は諸侯の宜しく祭るべき所に非ず。然らば則ち当時佐命の神を祀りて以て報本の義を寓するは、亦善からずや。今夫れ中国の地、邪神跡を避け、妖鬼形を隠し、百姓万民永く皇化に浴する者は、実に建御雷神の賜なり。而して其の本を推せば、天祖の霊に非ざるは無し。故に曰く、其の始めを原ね其の本に報い、民をして斯の道の繇りて来る所を知らしむと。昔者西土の学校の設け、其の制一に非ず。或いは其の先聖を祭り、或いは其の先師を祭り、又或いは有徳者を祭る有り。瞽宗の礼に於いては、則ち学校の祀有ること尚し。功烈の建御雷神の若き、凡そ海内の人の宜しく欽仰すべき所、況んや我が常の民の密かに其の霊に邇きをや。亦況んや斯の道を推弘せんと欲する者をや。館の建御雷を祀る
現代語訳
臣の彪が謹んで考えます。太古の混沌の時代、邪神が国中に満ち、中でも大国主神がもっとも強大でした。天祖(天照大神)はかつて天穂日命と天若日子を遣わして、これを説き従わせようとしました。しかしどちらも大国主神に心を寄せ、報告に戻りませんでした。建御雷神が詔を奉じて下の国を平定するに及び、大国主神は命に逆らわず、国を献上して遠くへ退きました。そのほかの邪神も残らず退けられ、国中がはじめて定まりました。当時、功徳のある神々は一、二と数えきれないほどでしたが、威光と勇武で大きな難を平らげた点では、建御雷神に及ぶ者はありません。これが「天の事業を草創の混沌の中で助けた」ということです。天下の神々で祭祀の記録に列する神は千や百にとどまりませんが、東国の神社で鹿島神宮の上に出るものはありません。昔、他国から来た民は、必ずまず鹿島の神を拝んでから入りました(「昔」の話は『常陸風土記』に見えます。考えるに、『万葉集』の常陸の防人の歌に、鹿島の神に祈って皇軍の務めに従うという内容があります。また古くに「鹿島立ち」という言葉があります。これも旅立ちに際して鹿島を拝むことを言ったのでしょう。他国から来る民でさえ、この神を拝んでから入るのですから、本国の人が境を出るときも、必ずこの神を拝んでから出発したことは明らかです。ただし古書にはっきりした文はありません。参考のために付記しておきます)。千年の久しい時を経ても、神の威光はそこにおられるかのようです。これが「威霊をこの土地に留めた」ということです。 さて、館が設けられるのは、文武を合わせて治教を一つにし、この道を押し広めるためです。そしてこの神を主とするなら、この道はもともと鹿島に源を発するのでしょうか。答えます。どうしてそうなりましょう。道は天地の大きな筋道であり、神武天皇以来の歴代天皇が従ってこられたもので、その天皇の道は天祖に基づいています。建御雷神は、その大事業を助け成しただけです。それなら、なぜ建御雷神だけを祀って天祖を祭らないのか、と問われるかもしれません。答えます。これはなんということを言うのですか。天祖は上は太陽と一体となり、下は霊を宝鏡に留めておられます。天皇が祖と仰ぎ、朝廷が奉じるところで、臣下が私的に祭ってよいものではありません。わが公(斉昭)の考えは、神聖の道は天祖に源を発する、というものでしょう。けれども、わが国の典礼を考えると、伊勢の神宮は臣下が拝することのできる所ではありません。中国の礼に照らしても、天子の始祖は諸侯が祭るべきものではありません。それなら、当時、天皇を補佐した神を祀って、大本に報いる意を寄せるのは、よいことではありませんか。いま、この国で邪神が跡を避け、妖鬼が姿を隠し、万民が長く天皇の教化に浴しているのは、実に建御雷神のおかげです。そしてその根本を尋ねれば、天祖の霊に帰しないものはありません。ゆえに「その始めを尋ね、大本に報い、民にこの道がどこから来たかを知らせる」と言うのです。昔、中国の学校の制度は一つではなく、先聖を祭るもの、先師を祭るもの、徳のある人を祭るものがありました。瞽宗(古代の学校)の礼では、学校に祭祀があることは古くからのことです。建御雷神ほどの功績は、国内の誰もが敬い仰ぐべきもので、まして私たち常陸の民は、その霊のすぐ近くにいます。まして、この道を押し広めようとする者はなおさらです。館が建御雷神を祀る
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・鹿島の神の功烈諸侯は封內を祭る、又諸侯は天子を祖とせず抔と申事も備れば、我納言公 皇室に誠敬を盡し、東土を鎭撫して敎化を施し給ふ、其本に報ずるにも禮意を酌斟せられ、封域は常陸にして、鹿島の神宮は常陸の一宮なれば、此神を祭り給ふ、この神の功烈の事は史にも見えし如く、天照太神天下を 皇孫に傳へんとせられし時、國土いまだ平がざりしに、此神大已貴神の許に使してこの地を獻ぜしめしより、國土安寧にして、 皇孫も降臨ましまし、其時に 皇孫は筑紫に降り給ひ、猿田彦神は伊勢に趣けり、鹿島の神の御事は史にも見えざれども、此時東國征討ありしと見えたり、同體の經津主の神は下總に留りたまひ、建御雷神は常陸に留りたまふ、然るに常奧の地に、鹿島香取の神また鹿島御兒の神など、多く祭らるゝを以て見る時は、鹿島香取の神よりして、其子孫に至るまで、累世力を盡して 天朝の爲に東國を綏撫し給ひしなるべし、又 神武天皇中州を平げ定められし時に、建御雷神靈の劒を熊野高倉下に授て、 天皇に獻ぜしめたりしに依て、千軍の氣振起して敵を挫て大功を成し給へり、然れば、
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『退食閑話』・建御雷神を祀る意味問、上世に功烈の神少からず、其內建御雷神を祀り給ふ事は、天功を草昧に亮け、威靈を此の土に留む、との義を以て祀り給ふ事なれども、今弘むる所の道は天下の大道なり、天下の大道を弘めて其本に報ることも、茲土に威靈を留め給へる神のみに限るべきに非るに似たり、曰、斯道は前にも論ぜしが如く、天地あれば人倫あり、自然の大道ある事即ち天地の道なれば、天地の初に、天照太神神器を皇孫に授け給ひし時より、忠孝の道顯れて君臣父子の大道既に明なり、 神武天皇天下を一統し給ひ、橿原の宮に即位ましませしより、君臣の禮益明なり、靈時を鳥見山に設けて、皇祖天神に孝を申へ給ひしより、父子の恩愈隆なり、然ば今天下の臣民父に事へて君につかへ奉る、誰か天照太神よりして、 神武天皇の敎化を仰がざらむや、されば、敎化の本に報ひ奉らんは、天照太神 神武天皇を祀るべきは勿論なれども、今至尊かたじけなくも日神の正胤にまし〱て、 天位に居て、皇祖天神を祭り給ふ事なれば、海內の人同心同德にして天朝に誠敬を盡さば、其誠敬はおのづから皇祖天神にも通ずべし、また禮に、天子は天地を祭り、
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『退食閑話』・天功を亮ける道此神の功烈は東國に及びしのみにあらず、天孫降臨し給ひしも、 太祖の中土を平定せられしも、この神の功烈甚大なりしは、是其功天下に及びしなり、されば、今此神を祭り給ふは、即ち東土を鎭撫して、 天朝の藩屏となる、天祖 太祖の德澤に報ひ給ふの義なれば、士民に至るまでその始に反り、其本に報ひて、此神を尊奉し天功を亮にし、古を念ひて同心同德にして、 天朝を奉戴せば、其誠敬の處は、皇祖太神にも通ずべき道理なり、またこれに因て、斯道は上古より神の極を立給へる、天地自然の大道なる事をも知り、天祖 太祖の忠孝の敎四表に被給ひしも、また此神の功居多なることを知りて、其神意に隨ひ、大道を天下に明にして、天祖の象敎を示し給ひし深意に叶はんことは、即ちこの神を尊奉するの本意なるべし、然ば其祭る所は一國の神なれども、是よりして 皇室を尊び、且大道を天下に明にせば、其功大なること、此神の天功を草昧に亮け給ひし功烈の末光を瞻仰するの道にかなひ申べし、是により天地の神を祀らずして、此神を祀りたまふこと、我公の深意ましますの處かと存じ奉るなり、
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『弘道館記述義』・天地位焉・祭祀と孝敬の道は天祖に始まる光華明彩、六合を照徹し、盛徳大業至れり尽くせり。今悉く之を賛せんと欲せば、多く其の量を知らざるを見るのみ。乃ち敢へて竊かに古典に就きて其の一端を論ず。曰く、祭祀の道、孝敬の義は、蓋し天祖に起こる、と。(書紀・古事記皆載す。)天祖の新嘗及び神衣を製するの事、但だ古史太だ簡にして、其の何れの神を奉じ何れの神に供するかを知る能はず。後人因りて附会の説を為せども、一切信拠するに足らず。何を以て之を徴するか。天孫の下土に降臨するや、天祖手づから宝鏡を持して之に授け、因りて祝ひて曰く、吾が児此の宝鏡を視ること、当に猶ほ吾を視るがごとくすべし。与に殿を同じくし牀を共にして、以て斎鏡と為すべし、と。(照照明訓)実に聖子神孫の遵奉する所にして、祭祀の道、孝敬の義、豈に復た是に踰ゆる者有らんや。夫れ父母有りて然る後に子孫有れば、則ち子孫の父祖に於ける、生けるや之に事へ、死するや之を祭る、固より自然の道なり。而して子子孫孫、歴世相承け、千万年に至ると雖も、其の始祖に本づく所以の者は自若たれば、則ち其の追遠報本の義も、亦た千万年に至ると雖も、忽にすべからざるなり。海外諸邦、文物尤も備はる者、西土に若く莫し。西土の教も亦た一に孝を以て本と為す。厥の国王自り以て庶人に達す。但だ国王の若きは則ち又た所謂天を敬ひ上帝に事ふる有り。神州の祭祀の道は、遠く神代に起こり、而して天と云ひ上帝と云ふ者は、上古聞くこと蔑し。蓋し亦た以有るなり。(中世以降、専ら異邦の制に倣ひ、遂に上帝を祀るの礼有り。恐らくは古意を失するに似たり。其の他下文に所謂此を捨て彼に従ふ者は、枚挙に遑あらず。深慨と為すべし。)恭しく惟みるに天祖は、上は天日に同体し、下は霊を宝鏡に留む。然らば則ち赫赫たる太陽、魏魏たる勢廟は、実に天祖の精霊の在る所にして、歴代の天皇之を尊び之を奉じ、天を敬ひ祖に事ふるの義兼ね存す。固より彼の異邦の主の、皇天上帝を蒼蒼漠漠の中に求むる者の比に非ざるなり。嗚呼、聖子神孫克く其の明徳を紹ぎ、公卿士庶皆其の鴻恩を体し、維れ孝、維れ敬、以て威霊を推広せば、則ち豈に啻だ大八洲の民、無疆の化に浴するのみならんや。絶海遠洋の外、蛮夷戎狄の郷も、亦た将に我が徳輝を慕ひ、我が余光を仰がざる無からんとす。豈に盛んならずや。
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『新論』長計(古は征討する所有れば、則ち其の地方に功烈有る者を祭り、其の子孫をして祭を主らしめ、以て民物を鎮む。鹿島の神の如きは武功を以て東方を鎮め、而して常奥の地其の神を分祀すること最も多し。式に載する所、陸奥国中、鹿島及び鹿島御子を以て号と為す者八社、格に鹿島の苗裔神を載す、陸奥に在る者三十八社。蓋し建雷命及び其の子孫其の地を平らげて功有り、故に世之を祭るなり。大己貴命は出雲を平らげ、豊城命は毛野を平らげ、子孫咸其の地を鎮めて、世其の祭を主る。諸神是くの如きの類、其の諸国に在る者甚だ多し。民の瞻仰する所に因りて、以て土俗を鎮む。万民をして恭敬の心を生ぜしむる所以なり。周人洛邑を営み、咸無文を秩し、功宗を記し、功を以て元祀と作す。其の意も亦頗る祖宗の法と相類する者有るなり。)以て民心を純にして、夷狄を斥け、獷俗を変ず。是を以て徳化日に洽く、黎民時に雍らぐ。其の群神百祀の京畿及び諸国に在りて、以て地方を鎮護する者は、民今に至るまで瞻仰敬礼し、因りて以て復た報本反始の義を寓するに足る者有り。
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『弘道館記述義』・総説・神代の諸説に慎重な態度をとる而して我が公槩ね神聖の二字を以てす。蓋し亦た説有り。請ふ竊かに之を論ぜん。天地の初め、神聖挺生す。其の先後次序、猶ほ得て詳らかにし難きなり。舎人親王、書紀を撰し、国常立尊を以て始生の神と為し、天神相踵ぎ、伊弉諾尊・伊弉冉尊に至るを以て、称して七代と曰ふ。而して又た諸説を其の下に掲げ、互ひに詳略異同有り。是より先、太安麻呂、古事記を撰す。其の七代は書紀の正文と大同小異にして、(地)特に別を称する有り。天神は(天)天御中主神を以て始生の神と為し、高皇産霊神・神皇産霊神等の四神之に次ぐ。之を七代の前に挙ぐ。是に於て後の古を言ふ者、或いは書紀に拠り、或いは古事記に従ひ、或いは両説を混じ、天御中主・国常立を以て、同体異名の神と為す。其の先後同異の弁、猶ほ且つ此くの如し。乃ち其の功徳事迹に至りては、則ち諸説紛紜として、牽強附会至らざる所無し。夫れ上世の事は、年代悠遠にして、固より一を執りて論ずべからず。書紀、神代に於て、必ず皆諸説を挙げて以て異同を存す。則ち親王の時に在りても、既に詳らかにし難きなり。親王は厳密慎重にして敢へて軽々しく決せず。而るに後人、千百載の下に生まれ、穿鑿臆断して、以て信を取らんと欲す。抑も亦た惑へり。昔者孔子は信じて古を好む。然れども其の祖述する所は、堯舜に止まる。言、或いは包犧に及べば、則ち必ず蓋しと曰ふ。慎しみの至りなり。後世の老荘の流に至りては、或いは軒轅許行の徒を仮り、或いは神農に託して以て其の私説を逞しうす。孔子の用心の遠きこと、是に於て知るべし。伏して以みるに赫赫たる神祇は、固より夫の西土の牛首蛇身なる者の比に非ず。且つ皇統の自りて出づる所、神器の由りて伝はる所、凡そ神州の民は其の淵源を詳らかにせざるべからず。然れども今を以て古を測り、幽眇を明らかにし張皇すれば、則ち其の弊、荒唐不経に渉らざる者殆ど希なり。故に我が義公の史を脩むるや、橿原朝に始め、神代の大要を巻首に掲げて、以て皇統の本づく所を明らかにす。蓋し亦た夫の牽強附会の弊を矯めんと欲するなり。(世間に流伝する所の大日本史紀伝は、頗る脱誤有り。宜しく本藩の刻印する所の本を以て正と為すべし。抑も紀伝は橿原朝に始まるも、神祇・氏族・職官・兵刑の類、凡そ太古に原づく者は、悉く諸を志類に収む。則ち神代の事実も亦た自ら其の中に見はれ、尽くせりと謂ふべし。)今、公は道の大原を論述し、悉く神祇を挙げて以て異同を弁ぜんと欲せば、則ち斯の記の能く尽くす所に非ず。僅かに其の一二を掲ぐれば、則ち挂漏の失を恐る。是に於て委曲に詳説せず、唯だ其の立極垂統の迹の昭然として明白なる者を挙げて、諸を上古神聖の功化に帰す。其の義公の志を継述し、洙泗の流を斟酌する所以の者、是に於て在り。

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