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弘道館記述義 / 天地位焉・祭祀と孝敬の道は天祖に始まる

光華明彩照徹六合。盛德大業至矣盡矣。今欲悉贊之。多見其不知量也。乃敢竊就古典論其一端。曰祭祀之道。孝敬之義。蓋起於天祖矣。(書紀古事記皆載)天祖新嘗及製神衣之事。但古史太簡。不能知其奉何神供何神。後人因爲附會之說。一切不足據信也。何以徵之。天孫之降臨下土也。天祖手持寶鏡授之因祝曰。吾兒視此寶鏡。當猶視吾。可與同殿共牀以爲齋鏡。(照照明訓)實聖子神孫所遵奉。而祭祀之道。孝敬之義。豈復有踰於是者邪。夫有父母。然後有子孫。則子孫之於父祖。生也事之。死也祭之。固自然之道。而子子孫孫歷世相承。雖至於千萬年乎。其所以本於始祖者自若。則其追遠報本之義。雖亦至於千萬年乎。不可以忽也。海外諸邦文物尤備者莫西土若焉。西土之敎。亦一以孝爲本。自厥國王以達於庶人。但若國王則又有所謂敬天事上帝者。神州祭祀之道。遠起於神代。而云天云上帝者。上古蔑聞。蓋亦有以也。(中世以降。專倣倣異邦之制。遂有祀上帝之禮。恐似失古意。其他下文所謂捨此從彼者。不遑枚擧。可爲深慨。)恭惟天祖上同體於天日下留靈於寶鏡。然則赫赫太陽。魏魏勢廟。實天祖精靈之所在。歷代天皇尊之奉之。而敬天事祖之義兼存焉。固非彼異邦之主。求皇天上帝於蒼蒼漠漠之中者之比也。嗚呼聖子神孫克紹其明德。公卿士庶皆體其鴻恩。維孝維敬。以推廣威靈。則豈啻大八洲之民(沐)浴無疆之化而已。絶海遠洋之外。蠻夷戎狄之鄕。亦將無不慕我德輝。仰我餘光者。豈不盛哉。

新字:光華明彩照徹六合。盛徳大業至矣尽矣。今欲悉賛之。多見其不知量也。乃敢窃就古典論其一端。曰祭祀之道。孝敬之義。蓋起於天祖矣。(書紀古事記皆載)天祖新嘗及製神衣之事。但古史太簡。不能知其奉何神供何神。後人因為附会之説。一切不足拠信也。何以徴之。天孫之降臨下土也。天祖手持宝鏡授之因祝曰。吾児視此宝鏡。当猶視吾。可与同殿共牀以為斎鏡。(照照明訓)実聖子神孫所遵奉。而祭祀之道。孝敬之義。豈復有踰於是者邪。夫有父母。然後有子孫。則子孫之於父祖。生也事之。死也祭之。固自然之道。而子子孫孫歴世相承。雖至於千万年乎。其所以本於始祖者自若。則其追遠報本之義。雖亦至於千万年乎。不可以忽也。海外諸邦文物尤備者莫西土若焉。西土之教。亦一以孝為本。自厥国王以達於庶人。但若国王則又有所謂敬天事上帝者。神州祭祀之道。遠起於神代。而云天云上帝者。上古蔑聞。蓋亦有以也。(中世以降。専倣倣異邦之制。遂有祀上帝之礼。恐似失古意。其他下文所謂捨此従彼者。不遑枚挙。可為深慨。)恭惟天祖上同体於天日下留霊於宝鏡。然則赫赫太陽。魏魏勢廟。実天祖精霊之所在。歴代天皇尊之奉之。而敬天事祖之義兼存焉。固非彼異邦之主。求皇天上帝於蒼蒼漠漠之中者之比也。嗚呼聖子神孫克紹其明徳。公卿士庶皆体其鴻恩。維孝維敬。以推広威霊。則豈啻大八洲之民(沐)浴無疆之化而已。絶海遠洋之外。蠻夷戎狄之郷。亦将無不慕我徳輝。仰我余光者。豈不盛哉。

書き下し

光華明彩、六合を照徹し、盛徳大業至れり尽くせり。今悉く之を賛せんと欲せば、多く其の量を知らざるを見るのみ。乃ち敢へて竊かに古典に就きて其の一端を論ず。曰く、祭祀の道、孝敬の義は、蓋し天祖に起こる、と。(書紀・古事記皆載す。)天祖の新嘗及び神衣を製するの事、但だ古史太だ簡にして、其の何れの神を奉じ何れの神に供するかを知る能はず。後人因りて附会の説を為せども、一切信拠するに足らず。何を以て之を徴するか。天孫の下土に降臨するや、天祖手づから宝鏡を持して之に授け、因りて祝ひて曰く、吾が児此の宝鏡を視ること、当に猶ほ吾を視るがごとくすべし。与に殿を同じくし牀を共にして、以て斎鏡と為すべし、と。(照照明訓)実に聖子神孫の遵奉する所にして、祭祀の道、孝敬の義、豈に復た是に踰ゆる者有らんや。夫れ父母有りて然る後に子孫有れば、則ち子孫の父祖に於ける、生けるや之に事へ、死するや之を祭る、固より自然の道なり。而して子子孫孫、歴世相承け、千万年に至ると雖も、其の始祖に本づく所以の者は自若たれば、則ち其の追遠報本の義も、亦た千万年に至ると雖も、忽にすべからざるなり。海外諸邦、文物尤も備はる者、西土に若く莫し。西土の教も亦た一に孝を以て本と為す。厥の国王自り以て庶人に達す。但だ国王の若きは則ち又た所謂天を敬ひ上帝に事ふる有り。神州の祭祀の道は、遠く神代に起こり、而して天と云ひ上帝と云ふ者は、上古聞くこと蔑し。蓋し亦た以有るなり。(中世以降、専ら異邦の制に倣ひ、遂に上帝を祀るの礼有り。恐らくは古意を失するに似たり。其の他下文に所謂此を捨て彼に従ふ者は、枚挙に遑あらず。深慨と為すべし。)恭しく惟みるに天祖は、上は天日に同体し、下は霊を宝鏡に留む。然らば則ち赫赫たる太陽、魏魏たる勢廟は、実に天祖の精霊の在る所にして、歴代の天皇之を尊び之を奉じ、天を敬ひ祖に事ふるの義兼ね存す。固より彼の異邦の主の、皇天上帝を蒼蒼漠漠の中に求むる者の比に非ざるなり。嗚呼、聖子神孫克く其の明徳を紹ぎ、公卿士庶皆其の鴻恩を体し、維れ孝、維れ敬、以て威霊を推広せば、則ち豈に啻だ大八洲の民、無疆の化に浴するのみならんや。絶海遠洋の外、蛮夷戎狄の郷も、亦た将に我が徳輝を慕ひ、我が余光を仰がざる無からんとす。豈に盛んならずや。

現代語訳

光り輝く明るさは天地四方を照らし通し、その盛んな徳と大きな事業は、至り尽くしています。今ことごとくこれをたたえようとすれば、自分の力量を知らないことをあらわにするだけです。そこで、あえてひそかに古典に基づいてその一端を論じます。祭祀の道と孝敬の義は、思うに天祖に始まります(書紀・古事記ともに載せる)。天祖が新嘗を行い神衣を作ったことは、古い史書があまりに簡略で、どの神を奉じ、どの神に供えたのかが分かりません。後世の人がこじつけの説を立てていますが、一切信ずるに足りません。何によってこれを証するか。天孫が地上に降臨するとき、天祖はみずから宝鏡を持って天孫に授け、祝って言いました。「わが子よ、この宝鏡を見ることは、まさに私を見るのと同じようにしなさい。同じ殿、同じ床に置いて、斎き祀る鏡としなさい」と(「照照明訓」)。これこそ代々の天皇が遵い奉ってきたもので、祭祀の道、孝敬の義として、これを超えるものがあるでしょうか。そもそも父母があってこそ子孫があるのですから、子孫が父祖に対して、生きているときは仕え、亡くなれば祭るのは、もとより自然の道です。そして子子孫孫が代々受け継ぎ、千万年に至っても始祖に基づくことは変わらないのですから、遠い先祖を追慕し本に報いる義も、千万年に至ってもおろそかにしてはなりません。海外の諸国で、文物が最も備わっているのは西方の国(中国)に及ぶものはありません。その国の教えもまた、もっぱら孝を根本としています。国王から庶民にまで及びます。ただし国王の場合は、さらに天を敬い上帝に仕えるということがあります。我が国の祭祀の道は遠く神代に起こっていますが、「天」「上帝」という言い方は、上古には聞かれません。思うに、これにも理由があります。(中世以降、もっぱら異国の制度にならい、ついに上帝を祀る礼が行われた。恐らく古の意を失っているように見える。そのほか、下の文にいう「これを捨ててかれに従う」ことは、数えきれない。深く嘆くべきである。)つつしんで思うに、天祖は、上では天の太陽と一体となり、下では霊を宝鏡に留めました。そうであれば、輝く太陽と、高大な伊勢の廟は、まさに天祖の精霊のあるところで、歴代の天皇はこれを尊び奉り、天を敬い祖に仕える義をあわせて備えています。もとより、かの異国の君主が、皇天上帝を青々と広がるはるかな中に求めるのとは比べられません。ああ、代々の天皇がその明徳をよく継ぎ、公卿・士・庶民がみなその大きな恩を身に受けて、孝を行い敬を尽くしてその威徳を推し広めれば、ただ大八洲の民が限りない教化に浴するだけではありません。海の遠くの外、異民族の土地でも、我が徳の輝きを慕い、わが余光を仰がない者はないでしょう。盛んなことではありませんか。

解説

この章句は、祭祀と孝敬を我が国の道の根にすえ、天皇や天祖を中心とする国体論を展開しています。海外への優越を述べる部分は、歴史的な主張として淡々と読むにとどめます。現代の組織に置き換えて汲み取れるのは、先人や創業者への感謝、つまり「本に報いる」姿勢が組織の土台になるという点です。自分の職場がどんな人々の積み重ねの上にあるかを意識し、新しく加わった人にもその経緯を伝えることは、一体感と責任感の源泉になります。創業の経緯を語る機会を意識して設けてみましょう。

この章句が説くこと

弘道館記述義藤田東湖祭祀孝敬天祖報本

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