退食閑話 / 建御雷神を祀る意味
問、上世に功烈の神少からず、其內建御雷神を祀り給ふ事は、亮天功於草昧、留威靈於此土、との義を以て祀り給ふ事なれども、今弘むる所の道は天下の大道なり、天下の大道を弘めて其本に報ることも、茲土に威靈を留め給へる神のみに限るべきに非るに似たり、曰、斯道は前にも論ぜしが如く、天地あれば人倫あり、自然の大道ある事即ち天地の道なれば、天地の初に、天照太神神器を皇孫に授け給ひし時より、忠孝の道顯れて君臣父子の大道既に明なり、 神武天皇天下を一統し給ひ、橿原の宮に即位ましませしより、君臣の禮益明なり、靈時を鳥見山に設けて、皇祖天神に孝を申へ給ひしより、父子の恩愈隆なり、然ば今天下の臣民父に事へて君につかへ奉る、誰か天照太神よりして、 神武天皇の敎化を仰がざらむや、されば、敎化の本に報ひ奉らんは、天照太神 神武天皇を祀るべきは勿論なれども、今至尊かたじけなくも日神の正胤にまし〱て、 天位に居て、皇祖天神を祭り給ふ事なれば、海內の人同心同德にして天朝に誠敬を盡さば、其誠敬はおのづから皇祖天神にも通ずべし、また禮に、天子は天地を祭り、
新字:問、上世に功烈の神少からず、其内建御雷神を祀り給ふ事は、亮天功於草昧、留威霊於此土、との義を以て祀り給ふ事なれども、今弘むる所の道は天下の大道なり、天下の大道を弘めて其本に報ることも、茲土に威霊を留め給へる神のみに限るべきに非るに似たり、曰、斯道は前にも論ぜしが如く、天地あれば人倫あり、自然の大道ある事即ち天地の道なれば、天地の初に、天照太神神器を皇孫に授け給ひし時より、忠孝の道顕れて君臣父子の大道既に明なり、 神武天皇天下を一統し給ひ、橿原の宮に即位ましませしより、君臣の礼益明なり、霊時を鳥見山に設けて、皇祖天神に孝を申へ給ひしより、父子の恩愈隆なり、然ば今天下の臣民父に事へて君につかへ奉る、誰か天照太神よりして、 神武天皇の教化を仰がざらむや、されば、教化の本に報ひ奉らんは、天照太神 神武天皇を祀るべきは勿論なれども、今至尊かたじけなくも日神の正胤にまし〱て、 天位に居て、皇祖天神を祭り給ふ事なれば、海内の人同心同徳にして天朝に誠敬を尽さば、其誠敬はおのづから皇祖天神にも通ずべし、また礼に、天子は天地を祭り、
書き下し
問、上世に功烈の神少からず、其內建御雷神を祀り給ふ事は、天功を草昧に亮け、威靈を此の土に留む、との義を以て祀り給ふ事なれども、今弘むる所の道は天下の大道なり、天下の大道を弘めて其本に報ることも、茲土に威靈を留め給へる神のみに限るべきに非るに似たり、曰、斯道は前にも論ぜしが如く、天地あれば人倫あり、自然の大道ある事即ち天地の道なれば、天地の初に、天照太神神器を皇孫に授け給ひし時より、忠孝の道顯れて君臣父子の大道既に明なり、 神武天皇天下を一統し給ひ、橿原の宮に即位ましませしより、君臣の禮益明なり、靈時を鳥見山に設けて、皇祖天神に孝を申へ給ひしより、父子の恩愈隆なり、然ば今天下の臣民父に事へて君につかへ奉る、誰か天照太神よりして、 神武天皇の敎化を仰がざらむや、されば、敎化の本に報ひ奉らんは、天照太神 神武天皇を祀るべきは勿論なれども、今至尊かたじけなくも日神の正胤にまし〱て、 天位に居て、皇祖天神を祭り給ふ事なれば、海內の人同心同德にして天朝に誠敬を盡さば、其誠敬はおのづから皇祖天神にも通ずべし、また禮に、天子は天地を祭り、
現代語訳
問い。上世に功烈ある神は少なくありませんが、その中で建御雷神を祀られるのは、「天功を草昧に亮け、威霊を此の土に留む」という意味によるものです。しかしいま弘める道は天下の大道です。天下の大道を弘めて、その本に報いることも、この地に威霊を留められた神だけに限るべきではないように思われます。答え。この道は先に論じたように、天地があれば人倫があり、自然の大道があるのが天地の道ですから、天地の初め、天照大神が神器を皇孫に授けられたときから忠孝の道が顕れ、君臣父子の大道はすでに明らかです。神武天皇が天下を統一され、橿原宮に即位されてから、君臣の礼はますます明らかになり、霊畤を鳥見山に設けて皇祖天神に孝を申べられてから、父子の恩はいよいよ隆んになりました。そうであれば、今天下の臣民が父に事え君に仕えるのは、誰が天照大神から神武天皇の教化を仰がないでしょうか。ですから教化の本に報い奉るには、天照大神・神武天皇を祀るべきなのは勿論ですが、いま至尊は恐れ多くも日神の正統であられ、天位にあって皇祖天神を祭られるのですから、海内の人が同心同徳で天朝に誠敬を尽くせば、その誠敬は自然に皇祖天神にも通じるでしょう。また礼に、天子は天地を祭り、
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・天功を亮ける道此神の功烈は東國に及びしのみにあらず、天孫降臨し給ひしも、 太祖の中土を平定せられしも、この神の功烈甚大なりしは、是其功天下に及びしなり、されば、今此神を祭り給ふは、即ち東土を鎭撫して、 天朝の藩屏となる、天祖 太祖の德澤に報ひ給ふの義なれば、士民に至るまでその始に反り、其本に報ひて、此神を尊奉し天功を亮にし、古を念ひて同心同德にして、 天朝を奉戴せば、其誠敬の處は、皇祖太神にも通ずべき道理なり、またこれに因て、斯道は上古より神の極を立給へる、天地自然の大道なる事をも知り、天祖 太祖の忠孝の敎四表に被給ひしも、また此神の功居多なることを知りて、其神意に隨ひ、大道を天下に明にして、天祖の象敎を示し給ひし深意に叶はんことは、即ちこの神を尊奉するの本意なるべし、然ば其祭る所は一國の神なれども、是よりして 皇室を尊び、且大道を天下に明にせば、其功大なること、此神の天功を草昧に亮け給ひし功烈の末光を瞻仰するの道にかなひ申べし、是により天地の神を祀らずして、此神を祀りたまふこと、我公の深意ましますの處かと存じ奉るなり、
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『退食閑話』・鹿島の神の功烈諸侯は封內を祭る、又諸侯は天子を祖とせず抔と申事も備れば、我納言公 皇室に誠敬を盡し、東土を鎭撫して敎化を施し給ふ、其本に報ずるにも禮意を酌斟せられ、封域は常陸にして、鹿島の神宮は常陸の一宮なれば、此神を祭り給ふ、この神の功烈の事は史にも見えし如く、天照太神天下を 皇孫に傳へんとせられし時、國土いまだ平がざりしに、此神大已貴神の許に使してこの地を獻ぜしめしより、國土安寧にして、 皇孫も降臨ましまし、其時に 皇孫は筑紫に降り給ひ、猿田彦神は伊勢に趣けり、鹿島の神の御事は史にも見えざれども、此時東國征討ありしと見えたり、同體の經津主の神は下總に留りたまひ、建御雷神は常陸に留りたまふ、然るに常奧の地に、鹿島香取の神また鹿島御兒の神など、多く祭らるゝを以て見る時は、鹿島香取の神よりして、其子孫に至るまで、累世力を盡して 天朝の爲に東國を綏撫し給ひしなるべし、又 神武天皇中州を平げ定められし時に、建御雷神靈の劒を熊野高倉下に授て、 天皇に獻ぜしめたりしに依て、千軍の氣振起して敵を挫て大功を成し給へり、然れば、
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『弘道館記述義』・館の設け・建御雷神を祀る意味と祭る範囲臣彪謹んで案ずるに、鴻荒の時、邪神中国に充満し、大国主神尤も強大なり。天祖嘗て天穂日・天若日子を遣はして之を招撫せしむ。而れども皆大国主神に弐し、復命せず。建御雷神、詔を奉じて下土を平らぐるに及び、大国主神敢へて命に抗せず、国を献じて遠く遜る。其の他の邪神悉く皆駆除せられ、中国始めて定まる。蓋し当時群神の功徳有る者、一二数ふべからず。而れども威稜勇武にして大難を戡夷するに至りては、則ち建御雷神に過ぐる者有らず。此れ所謂天功を草昧に亮くるなり。天下の神祇の祀典に列する者啻に千百のみならず、而れども東州の神祠、未だ鹿島の上に出づる者有らず。古者民の他邦より来る者、必ず先づ鹿島の神を拝して後に入る。(古者云云は常陸風土記に見ゆ。案ずるに万葉集の常陸の防人の歌に、鹿島の神に祈りて皇軍の事に従ふ有り。又古に鹿島立ちの語有り。蓋し亦行に臨みて鹿島を拝するを謂ふ。夫れ民の他邦より来る者すら、尚ほ斯の神を拝して後に入る。則ち本州の人の境を出づるに、必ず亦斯の神を拝して後に発すること明らかなり。然れども古書に明文無し。姑く附して以て備考とす。)千載の久しきに神威在すが如し。此れ所謂威霊を茲の土に留むるなり。抑も館の設けらるるは、文武を合して一治教と為し、以て以て斯の道を推弘せんとして、斯の神を以て之が主と為さば、則ち斯の道は固より鹿島に淵源するか。曰く、奚ぞ其れ然らん。道は天地の大経にして神皇の遵ふ所、神皇の道は天祖に本づく。若し夫れ建御雷神は則ち其の鴻業を賛成するのみ。然らば則ち何ぞ唯建御雷神を祀りて天祖を祭らざるや。曰く、是れ何の言ぞや。天祖は上は太陽に合体し、下は霊を宝鏡に留む。天皇の祖とする所にして朝廷の奉ずる所、豈に人臣の宜しく私に祭るべき所ならんや。我が公の意は、蓋し神聖の道は天祖に淵源すと謂ふ。然れども諸を本朝の典に考ふるに、則ち伊勢の神廟は人臣の拝するを得る所に非ず。諸を西土の礼に参ずるに、則ち天子の始祖は諸侯の宜しく祭るべき所に非ず。然らば則ち当時佐命の神を祀りて以て報本の義を寓するは、亦善からずや。今夫れ中国の地、邪神跡を避け、妖鬼形を隠し、百姓万民永く皇化に浴する者は、実に建御雷神の賜なり。而して其の本を推せば、天祖の霊に非ざるは無し。故に曰く、其の始めを原ね其の本に報い、民をして斯の道の繇りて来る所を知らしむと。昔者西土の学校の設け、其の制一に非ず。或いは其の先聖を祭り、或いは其の先師を祭り、又或いは有徳者を祭る有り。瞽宗の礼に於いては、則ち学校の祀有ること尚し。功烈の建御雷神の若き、凡そ海内の人の宜しく欽仰すべき所、況んや我が常の民の密かに其の霊に邇きをや。亦況んや斯の道を推弘せんと欲する者をや。館の建御雷を祀る
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『弘道館記述義』・天地位焉・祭祀と孝敬の道は天祖に始まる光華明彩、六合を照徹し、盛徳大業至れり尽くせり。今悉く之を賛せんと欲せば、多く其の量を知らざるを見るのみ。乃ち敢へて竊かに古典に就きて其の一端を論ず。曰く、祭祀の道、孝敬の義は、蓋し天祖に起こる、と。(書紀・古事記皆載す。)天祖の新嘗及び神衣を製するの事、但だ古史太だ簡にして、其の何れの神を奉じ何れの神に供するかを知る能はず。後人因りて附会の説を為せども、一切信拠するに足らず。何を以て之を徴するか。天孫の下土に降臨するや、天祖手づから宝鏡を持して之に授け、因りて祝ひて曰く、吾が児此の宝鏡を視ること、当に猶ほ吾を視るがごとくすべし。与に殿を同じくし牀を共にして、以て斎鏡と為すべし、と。(照照明訓)実に聖子神孫の遵奉する所にして、祭祀の道、孝敬の義、豈に復た是に踰ゆる者有らんや。夫れ父母有りて然る後に子孫有れば、則ち子孫の父祖に於ける、生けるや之に事へ、死するや之を祭る、固より自然の道なり。而して子子孫孫、歴世相承け、千万年に至ると雖も、其の始祖に本づく所以の者は自若たれば、則ち其の追遠報本の義も、亦た千万年に至ると雖も、忽にすべからざるなり。海外諸邦、文物尤も備はる者、西土に若く莫し。西土の教も亦た一に孝を以て本と為す。厥の国王自り以て庶人に達す。但だ国王の若きは則ち又た所謂天を敬ひ上帝に事ふる有り。神州の祭祀の道は、遠く神代に起こり、而して天と云ひ上帝と云ふ者は、上古聞くこと蔑し。蓋し亦た以有るなり。(中世以降、専ら異邦の制に倣ひ、遂に上帝を祀るの礼有り。恐らくは古意を失するに似たり。其の他下文に所謂此を捨て彼に従ふ者は、枚挙に遑あらず。深慨と為すべし。)恭しく惟みるに天祖は、上は天日に同体し、下は霊を宝鏡に留む。然らば則ち赫赫たる太陽、魏魏たる勢廟は、実に天祖の精霊の在る所にして、歴代の天皇之を尊び之を奉じ、天を敬ひ祖に事ふるの義兼ね存す。固より彼の異邦の主の、皇天上帝を蒼蒼漠漠の中に求むる者の比に非ざるなり。嗚呼、聖子神孫克く其の明徳を紹ぎ、公卿士庶皆其の鴻恩を体し、維れ孝、維れ敬、以て威霊を推広せば、則ち豈に啻だ大八洲の民、無疆の化に浴するのみならんや。絶海遠洋の外、蛮夷戎狄の郷も、亦た将に我が徳輝を慕ひ、我が余光を仰がざる無からんとす。豈に盛んならずや。
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『退食閑話』・神代に見る君臣の義問、上古神聖天下の基を帥創し給へるの時等の事を記したるは、古事記、日本紀、古語拾遺などなれども、何れの書にも人倫の道などと說給へることは見へ侍らず、記文に生民、須臾も離るべからざる者なりと記し給へるは、人倫の道を指し給へるなるべく、然るに、神聖の極を立給ふは、斯道に由られたるよし、載給ふ事は、何れの義にて候ぞや、曰、神代の事實、後輩晚學の某、猥に喙を容れ候はむは、尤も恐れ憚るべき事なれども、聊所見を述て、只今吾子の問に答へ、且大方君子の是正を乞申べし、上古淳朴の世には、神聖の彝訓を垂れ給へるも、言語を以てせずして、行事に因りて其義を示し、敎を其中に寓して、萬民の法則となし給ふなり、人の五倫は、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五品にて、是を五典とも申なり、第一君臣の義と申は、天照大神高天原にまし〱て、皇孫天津彦瓊瓊杵尊に天位を傳へられしとき、八坂瓊曲玉、八咫鏡、艸薙劍、三種の神器を授給ひて、葦原千五百秋之瑞穗國は、是れ吾が子孫の王たるべきの地なりと宣ひしより、此神器を以て永く天位の信となし給ひ、
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『退食閑話』・鏡に見る父子の親是より君臣父子の大義著れて、天位の尊き事、天地開けし初より今日に至るまで、一人も天位を犯す事あることなし、四海の外萬國多しといへども、かくの如くにめてたきためしなきは、即君臣の義にして、言語をまたずして、其敎自然に備れるなり、父子の親と申は、天照太神神器を授け給ひし時、御手に寶鏡を取らせられて、吾が兒、此の寶鏡を視ること、當に猶ほ吾を視るがごとくすべしと宣ひしより、床を同じくし殿を共にして、寶鏡を以て天祖の神主となし給ひ、是より父子の親顯れて、天日嗣を受繼せ給ふ、君は必ず日神の御末にまし〱、神代の古より今に至るまで、皇統易らせ給はず、寶鏡は天祖の神にて、永く伊勢にまし〱、日嗣の君、太神宮を拜し給ひて、寶鏡に照し給ふ、御容、即ち日神の遺體にましませば、玉體は即日神と同體にまします、萬億年といへども、同體の親しみ盡させ給はざるは、父子の親是より惇きはなし、天地の始に、伊弉諾尊好哉の歌を、伊弉冊尊に先だちて唱給へるは、其時より夫婦の別明なるなり、伊弉諾尊、伊弉冊尊天にまし〱て、天照太神、月夜見尊、

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