退食閑話 / 鹿島の神の功烈
諸侯は封內を祭る、又諸侯は天子を祖とせず抔と申事も備れば、我納言公 皇室に誠敬を盡し、東土を鎭撫して敎化を施し給ふ、其本に報ずるにも禮意を酌斟せられ、封域は常陸にして、鹿島の神宮は常陸の一宮なれば、此神を祭り給ふ、この神の功烈の事は史にも見えし如く、天照太神天下を 皇孫に傳へんとせられし時、國土いまだ平がざりしに、此神大【巳/已】貴神の許に使してこの地を獻ぜしめしより、國土安寧にして、 皇孫も降臨ましまし、其時に 皇孫は筑紫に降り給ひ、猿田彦神は伊勢に趣けり、鹿島の神の御事は史にも見えざれども、此時東國征討ありしと見えたり、同體の經津主の神は下總に留りたまひ、建御雷神は常陸に留りたまふ、然るに常奧の地に、鹿島香取の神また鹿島御兒の神など、多く祭らるゝを以て見る時は、鹿島香取の神よりして、其子孫に至るまで、累世力を盡して 天朝の爲に東國を綏撫し給ひしなるべし、又 神武天皇中州を平げ定められし時に、建御雷神靈の劒を熊野高倉下に授て、 天皇に獻ぜしめたりしに依て、千軍の氣振起して敵を挫て大功を成し給へり、然れば、
新字:諸侯は封内を祭る、又諸侯は天子を祖とせず抔と申事も備れば、我納言公 皇室に誠敬を尽し、東土を鎮撫して教化を施し給ふ、其本に報ずるにも礼意を酌斟せられ、封域は常陸にして、鹿島の神宮は常陸の一宮なれば、此神を祭り給ふ、この神の功烈の事は史にも見えし如く、天照太神天下を 皇孫に伝へんとせられし時、国土いまだ平がざりしに、此神大【巳/已】貴神の許に使してこの地を献ぜしめしより、国土安寧にして、 皇孫も降臨ましまし、其時に 皇孫は筑紫に降り給ひ、猿田彦神は伊勢に趣けり、鹿島の神の御事は史にも見えざれども、此時東国征討ありしと見えたり、同体の経津主の神は下総に留りたまひ、建御雷神は常陸に留りたまふ、然るに常奥の地に、鹿島香取の神また鹿島御児の神など、多く祭らるゝを以て見る時は、鹿島香取の神よりして、其子孫に至るまで、累世力を尽して 天朝の為に東国を綏撫し給ひしなるべし、又 神武天皇中州を平げ定められし時に、建御雷神霊の劒を熊野高倉下に授て、 天皇に献ぜしめたりしに依て、千軍の気振起して敵を挫て大功を成し給へり、然れば、
書き下し
諸侯は封內を祭る、又諸侯は天子を祖とせず抔と申事も備れば、我納言公 皇室に誠敬を盡し、東土を鎭撫して敎化を施し給ふ、其本に報ずるにも禮意を酌斟せられ、封域は常陸にして、鹿島の神宮は常陸の一宮なれば、此神を祭り給ふ、この神の功烈の事は史にも見えし如く、天照太神天下を 皇孫に傳へんとせられし時、國土いまだ平がざりしに、此神大已貴神の許に使してこの地を獻ぜしめしより、國土安寧にして、 皇孫も降臨ましまし、其時に 皇孫は筑紫に降り給ひ、猿田彦神は伊勢に趣けり、鹿島の神の御事は史にも見えざれども、此時東國征討ありしと見えたり、同體の經津主の神は下總に留りたまひ、建御雷神は常陸に留りたまふ、然るに常奧の地に、鹿島香取の神また鹿島御兒の神など、多く祭らるゝを以て見る時は、鹿島香取の神よりして、其子孫に至るまで、累世力を盡して 天朝の爲に東國を綏撫し給ひしなるべし、又 神武天皇中州を平げ定められし時に、建御雷神靈の劒を熊野高倉下に授て、 天皇に獻ぜしめたりしに依て、千軍の氣振起して敵を挫て大功を成し給へり、然れば、
現代語訳
諸侯は封内を祭る、また諸侯は天子を祖としない、などとも備わっています。そこで我が納言公は皇室に誠敬を尽くし、東土を鎮撫して教化を施される、その本に報いるにも礼の意を酌み取られ、封域は常陸ですから、鹿島の神宮は常陸の一宮なので、この神を祭られるのです。この神の功烈は史にも見えるとおり、天照大神が天下を皇孫に伝えようとされたとき、国土がまだ平定されていなかったのに、この神が大己貴神のもとに使いして国を献じさせたことから、国土が安寧となり、皇孫も降臨されました。そのとき皇孫は筑紫に降り、猿田彦神は伊勢に赴きました。鹿島の神のことは史には見えませんが、このとき東国の征討があったと見えます。同体の経津主の神は下総に留まられ、建御雷神は常陸に留まられました。常陸・陸奥の地に、鹿島・香取の神、また鹿島御児の神など多く祭られているのを見れば、鹿島・香取の神からその子孫に至るまで、代々力を尽くして天朝のために東国を綏撫されたのでしょう。また神武天皇が中州を平定されたとき、建御雷神が霊剣を熊野の高倉下に授けて天皇に献上させたので、千軍の気が振るい起こり、敵を挫いて大功を成し遂げられました。そうであれば、
解説
この章句が説くこと
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『退食閑話』・建御雷神を祀る意味問、上世に功烈の神少からず、其內建御雷神を祀り給ふ事は、天功を草昧に亮け、威靈を此の土に留む、との義を以て祀り給ふ事なれども、今弘むる所の道は天下の大道なり、天下の大道を弘めて其本に報ることも、茲土に威靈を留め給へる神のみに限るべきに非るに似たり、曰、斯道は前にも論ぜしが如く、天地あれば人倫あり、自然の大道ある事即ち天地の道なれば、天地の初に、天照太神神器を皇孫に授け給ひし時より、忠孝の道顯れて君臣父子の大道既に明なり、 神武天皇天下を一統し給ひ、橿原の宮に即位ましませしより、君臣の禮益明なり、靈時を鳥見山に設けて、皇祖天神に孝を申へ給ひしより、父子の恩愈隆なり、然ば今天下の臣民父に事へて君につかへ奉る、誰か天照太神よりして、 神武天皇の敎化を仰がざらむや、されば、敎化の本に報ひ奉らんは、天照太神 神武天皇を祀るべきは勿論なれども、今至尊かたじけなくも日神の正胤にまし〱て、 天位に居て、皇祖天神を祭り給ふ事なれば、海內の人同心同德にして天朝に誠敬を盡さば、其誠敬はおのづから皇祖天神にも通ずべし、また禮に、天子は天地を祭り、
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『退食閑話』・天功を亮ける道此神の功烈は東國に及びしのみにあらず、天孫降臨し給ひしも、 太祖の中土を平定せられしも、この神の功烈甚大なりしは、是其功天下に及びしなり、されば、今此神を祭り給ふは、即ち東土を鎭撫して、 天朝の藩屏となる、天祖 太祖の德澤に報ひ給ふの義なれば、士民に至るまでその始に反り、其本に報ひて、此神を尊奉し天功を亮にし、古を念ひて同心同德にして、 天朝を奉戴せば、其誠敬の處は、皇祖太神にも通ずべき道理なり、またこれに因て、斯道は上古より神の極を立給へる、天地自然の大道なる事をも知り、天祖 太祖の忠孝の敎四表に被給ひしも、また此神の功居多なることを知りて、其神意に隨ひ、大道を天下に明にして、天祖の象敎を示し給ひし深意に叶はんことは、即ちこの神を尊奉するの本意なるべし、然ば其祭る所は一國の神なれども、是よりして 皇室を尊び、且大道を天下に明にせば、其功大なること、此神の天功を草昧に亮け給ひし功烈の末光を瞻仰するの道にかなひ申べし、是により天地の神を祀らずして、此神を祀りたまふこと、我公の深意ましますの處かと存じ奉るなり、
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『弘道館記述義』・館の設け・建御雷神を祀る意味と祭る範囲臣彪謹んで案ずるに、鴻荒の時、邪神中国に充満し、大国主神尤も強大なり。天祖嘗て天穂日・天若日子を遣はして之を招撫せしむ。而れども皆大国主神に弐し、復命せず。建御雷神、詔を奉じて下土を平らぐるに及び、大国主神敢へて命に抗せず、国を献じて遠く遜る。其の他の邪神悉く皆駆除せられ、中国始めて定まる。蓋し当時群神の功徳有る者、一二数ふべからず。而れども威稜勇武にして大難を戡夷するに至りては、則ち建御雷神に過ぐる者有らず。此れ所謂天功を草昧に亮くるなり。天下の神祇の祀典に列する者啻に千百のみならず、而れども東州の神祠、未だ鹿島の上に出づる者有らず。古者民の他邦より来る者、必ず先づ鹿島の神を拝して後に入る。(古者云云は常陸風土記に見ゆ。案ずるに万葉集の常陸の防人の歌に、鹿島の神に祈りて皇軍の事に従ふ有り。又古に鹿島立ちの語有り。蓋し亦行に臨みて鹿島を拝するを謂ふ。夫れ民の他邦より来る者すら、尚ほ斯の神を拝して後に入る。則ち本州の人の境を出づるに、必ず亦斯の神を拝して後に発すること明らかなり。然れども古書に明文無し。姑く附して以て備考とす。)千載の久しきに神威在すが如し。此れ所謂威霊を茲の土に留むるなり。抑も館の設けらるるは、文武を合して一治教と為し、以て以て斯の道を推弘せんとして、斯の神を以て之が主と為さば、則ち斯の道は固より鹿島に淵源するか。曰く、奚ぞ其れ然らん。道は天地の大経にして神皇の遵ふ所、神皇の道は天祖に本づく。若し夫れ建御雷神は則ち其の鴻業を賛成するのみ。然らば則ち何ぞ唯建御雷神を祀りて天祖を祭らざるや。曰く、是れ何の言ぞや。天祖は上は太陽に合体し、下は霊を宝鏡に留む。天皇の祖とする所にして朝廷の奉ずる所、豈に人臣の宜しく私に祭るべき所ならんや。我が公の意は、蓋し神聖の道は天祖に淵源すと謂ふ。然れども諸を本朝の典に考ふるに、則ち伊勢の神廟は人臣の拝するを得る所に非ず。諸を西土の礼に参ずるに、則ち天子の始祖は諸侯の宜しく祭るべき所に非ず。然らば則ち当時佐命の神を祀りて以て報本の義を寓するは、亦善からずや。今夫れ中国の地、邪神跡を避け、妖鬼形を隠し、百姓万民永く皇化に浴する者は、実に建御雷神の賜なり。而して其の本を推せば、天祖の霊に非ざるは無し。故に曰く、其の始めを原ね其の本に報い、民をして斯の道の繇りて来る所を知らしむと。昔者西土の学校の設け、其の制一に非ず。或いは其の先聖を祭り、或いは其の先師を祭り、又或いは有徳者を祭る有り。瞽宗の礼に於いては、則ち学校の祀有ること尚し。功烈の建御雷神の若き、凡そ海内の人の宜しく欽仰すべき所、況んや我が常の民の密かに其の霊に邇きをや。亦況んや斯の道を推弘せんと欲する者をや。館の建御雷を祀る
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『新論』長計(古は征討する所有れば、則ち其の地方に功烈有る者を祭り、其の子孫をして祭を主らしめ、以て民物を鎮む。鹿島の神の如きは武功を以て東方を鎮め、而して常奥の地其の神を分祀すること最も多し。式に載する所、陸奥国中、鹿島及び鹿島御子を以て号と為す者八社、格に鹿島の苗裔神を載す、陸奥に在る者三十八社。蓋し建雷命及び其の子孫其の地を平らげて功有り、故に世之を祭るなり。大己貴命は出雲を平らげ、豊城命は毛野を平らげ、子孫咸其の地を鎮めて、世其の祭を主る。諸神是くの如きの類、其の諸国に在る者甚だ多し。民の瞻仰する所に因りて、以て土俗を鎮む。万民をして恭敬の心を生ぜしむる所以なり。周人洛邑を営み、咸無文を秩し、功宗を記し、功を以て元祀と作す。其の意も亦頗る祖宗の法と相類する者有るなり。)以て民心を純にして、夷狄を斥け、獷俗を変ず。是を以て徳化日に洽く、黎民時に雍らぐ。其の群神百祀の京畿及び諸国に在りて、以て地方を鎮護する者は、民今に至るまで瞻仰敬礼し、因りて以て復た報本反始の義を寓するに足る者有り。
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『退食閑話』・威公が日本武尊を慕う訳問、古來賢哲多き中に、威公は獨り日本武尊を欽慕し給ふ事は、いかなる故にて候へるや、曰、威公の欽慕し給ひし御主意書傳へしものなければ、何の故なる事を存し奉らず、然れども、愚意を以て窃に推考するに、蠻夷、夏を滑すと云は虞帝の患る所なり、古海內の戎狄民の害をなせし熊襲隼人の類もあれども、其勢の强大なること蝦夷にしくものはなし、常奧二野越羽の地に充滿して、良民一日も生を安むぜず、日本武尊は 景行天皇の皇子にして、英武絕倫なり、草薙の寶劍の神威に仗て、常奧の蝦夷を征討ありて 皇威を奮はれしよりして、世々夷狄を攘斥せられて、つゐに蝦夷の禍永く息しなり、威公も 東照宮の御子にして、英武超絕して、常陸の地を領して東地を鎭撫し給ふ、
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『古事記』上巻・建御雷神の派遣ここに天照大御神、詔りたまひしく、「また曷れの神を遣はさば吉けむ」とのりたまひき。ここに思金神また諸の神、白さく、「天の安河の河上の天の石屋に坐す、名は伊都之尾羽張神、これ遣はすべし。(伊都の二字は音を以ちてす)もしまたこの神にあらずは、その神の子、建御雷之男神、これ遣はすべし。かつその天尾羽張神は、天の安河の水を逆さまに塞き上げて道を塞ぎて居り。故、他の神は行くこと得じ。故、別に天迦久神を遣はして問ふべし」とまをしき。故、ここに天迦久神を使はして、天尾羽張神に問ひし時、答へ白さく、「恐し。仕へ奉らむ。然れどもこの道には、僕が子建御雷神を遣はすべし」とまをして、乃ち貢進りき。ここに天鳥船神を建御雷神に副へて遣はしき。ここを以ちてこの二神、出雲国の伊那佐(伊那佐の三字は音を以ちてす)の小浜に降り到りて、十掬剣を抜きて、逆に浪の穂に刺し立て、その剣の前に趺坐て、その大国主神に問ひて言ひしく、「天照大御神、高木神の命以ちて、問ひに使はせり。汝がうしはける葦原中国は、我が御子の知らす国と言依さし賜へり。故、汝が心いかに」といひき。ここに答へ白ししく、「僕は白すこと得じ。我が子八重言代主神、これ白すべし。

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