弘道館記述義 / 総説・神代の諸説に慎重な態度をとる
而我公槩以神聖二字。蓋亦有說焉。請竊論之。天地之初。神聖挺生。其先後次序。猶難得而詳也。舍人親王撰書紀。以國常立尊。爲始生之神。天神相踵。而以至伊弉諾尊伊弉冉尊。稱曰七代。而又揭諸說於其下。互有詳略異同。先是太安麻呂撰古事記。其七代與書紀正文大同小異。而有(地)特稱別。天神者(天)以天御中主神爲始生之神。高皇產靈神。神皇產靈神等四神次之。舉之於七代之前。於是後之言古者。或據書紀。或從古事記。或混兩說。以天御中主。國常立。爲同體異名之神。其先後同異之辨。猶且如此。乃至其功德事迹。則諸說紛紜。牽强附會無所不至焉。夫上世之事。年代悠遠。固不可執一而論。書紀於神代。必皆舉諸說以存異同。則在親王之時。旣難得詳也。親王嚴密愼重不敢輕決。而後人生於千百載之下。穿鑿臆斷。欲以取信抑亦惑矣。昔者孔子信而好古。然其所祖述。止於堯舜。言或及包犧。則必曰蓋者。愼之至也。至於後世老莊之流。或假軒轅許行之徒。或託神農以逞其私說。孔子用心之遠。於是可知也。伏以赫赫神祇固非夫西土牛首蛇身者之比。且皇統之所自出。神器之所由傳。凡神州之民不可不詳其淵源。然以今測古。明張皇幽眇。則其弊不涉荒唐不經者殆希。故我義公之脩史。始於橿原朝。揭神代大要於卷首。以明皇統之所本。蓋亦欲矯夫牽强附會之弊也。(世間所流傳。大日本史紀傳。頗有脫誤。宜以本藩所刻印本爲正。抑紀傳始於橿原朝。然神祇氏族職官兵刑之類。凡原於太古者。悉收諸志類。則神代事實亦自見於其中可謂盡矣。)今公論述道之大原。欲悉擧神祇以辯異同。則非斯記之所能盡。僅揭其一二。則恐有挂漏之失。於是不委曲詳說。唯擧其立極垂統之迹。昭然明白者。而歸諸上古神聖之功化。其所以繼述義公之志。斟酌洙泗之流者。於是乎在矣。
新字:而我公槩以神聖二字。蓋亦有説焉。請窃論之。天地之初。神聖挺生。其先後次序。猶難得而詳也。舎人親王撰書紀。以国常立尊。為始生之神。天神相踵。而以至伊弉諾尊伊弉冉尊。称曰七代。而又掲諸説於其下。互有詳略異同。先是太安麻呂撰古事記。其七代与書紀正文大同小異。而有(地)特称別。天神者(天)以天御中主神為始生之神。高皇産霊神。神皇産霊神等四神次之。舉之於七代之前。於是後之言古者。或拠書紀。或従古事記。或混両説。以天御中主。国常立。為同体異名之神。其先後同異之弁。猶且如此。乃至其功徳事迹。則諸説紛紜。牽強附会無所不至焉。夫上世之事。年代悠遠。固不可執一而論。書紀於神代。必皆舉諸説以存異同。則在親王之時。既難得詳也。親王厳密慎重不敢軽決。而後人生於千百載之下。穿鑿臆断。欲以取信抑亦惑矣。昔者孔子信而好古。然其所祖述。止於堯舜。言或及包犠。則必曰蓋者。慎之至也。至於後世老荘之流。或仮軒轅許行之徒。或託神農以逞其私説。孔子用心之遠。於是可知也。伏以赫赫神祇固非夫西土牛首蛇身者之比。且皇統之所自出。神器之所由伝。凡神州之民不可不詳其淵源。然以今測古。明張皇幽眇。則其弊不渉荒唐不経者殆希。故我義公之脩史。始於橿原朝。掲神代大要於巻首。以明皇統之所本。蓋亦欲矯夫牽強附会之弊也。(世間所流伝。大日本史紀伝。頗有脱誤。宜以本藩所刻印本為正。抑紀伝始於橿原朝。然神祇氏族職官兵刑之類。凡原於太古者。悉収諸志類。則神代事実亦自見於其中可謂尽矣。)今公論述道之大原。欲悉挙神祇以弁異同。則非斯記之所能尽。僅掲其一二。則恐有挂漏之失。於是不委曲詳説。唯挙其立極垂統之迹。昭然明白者。而帰諸上古神聖之功化。其所以継述義公之志。斟酌洙泗之流者。於是乎在矣。
書き下し
而して我が公槩ね神聖の二字を以てす。蓋し亦た説有り。請ふ竊かに之を論ぜん。天地の初め、神聖挺生す。其の先後次序、猶ほ得て詳らかにし難きなり。舎人親王、書紀を撰し、国常立尊を以て始生の神と為し、天神相踵ぎ、伊弉諾尊・伊弉冉尊に至るを以て、称して七代と曰ふ。而して又た諸説を其の下に掲げ、互ひに詳略異同有り。是より先、太安麻呂、古事記を撰す。其の七代は書紀の正文と大同小異にして、(地)特に別を称する有り。天神は(天)天御中主神を以て始生の神と為し、高皇産霊神・神皇産霊神等の四神之に次ぐ。之を七代の前に挙ぐ。是に於て後の古を言ふ者、或いは書紀に拠り、或いは古事記に従ひ、或いは両説を混じ、天御中主・国常立を以て、同体異名の神と為す。其の先後同異の弁、猶ほ且つ此くの如し。乃ち其の功徳事迹に至りては、則ち諸説紛紜として、牽強附会至らざる所無し。夫れ上世の事は、年代悠遠にして、固より一を執りて論ずべからず。書紀、神代に於て、必ず皆諸説を挙げて以て異同を存す。則ち親王の時に在りても、既に詳らかにし難きなり。親王は厳密慎重にして敢へて軽々しく決せず。而るに後人、千百載の下に生まれ、穿鑿臆断して、以て信を取らんと欲す。抑も亦た惑へり。昔者孔子は信じて古を好む。然れども其の祖述する所は、堯舜に止まる。言、或いは包犧に及べば、則ち必ず蓋しと曰ふ。慎しみの至りなり。後世の老荘の流に至りては、或いは軒轅許行の徒を仮り、或いは神農に託して以て其の私説を逞しうす。孔子の用心の遠きこと、是に於て知るべし。伏して以みるに赫赫たる神祇は、固より夫の西土の牛首蛇身なる者の比に非ず。且つ皇統の自りて出づる所、神器の由りて伝はる所、凡そ神州の民は其の淵源を詳らかにせざるべからず。然れども今を以て古を測り、幽眇を明らかにし張皇すれば、則ち其の弊、荒唐不経に渉らざる者殆ど希なり。故に我が義公の史を脩むるや、橿原朝に始め、神代の大要を巻首に掲げて、以て皇統の本づく所を明らかにす。蓋し亦た夫の牽強附会の弊を矯めんと欲するなり。(世間に流伝する所の大日本史紀伝は、頗る脱誤有り。宜しく本藩の刻印する所の本を以て正と為すべし。抑も紀伝は橿原朝に始まるも、神祇・氏族・職官・兵刑の類、凡そ太古に原づく者は、悉く諸を志類に収む。則ち神代の事実も亦た自ら其の中に見はれ、尽くせりと謂ふべし。)今、公は道の大原を論述し、悉く神祇を挙げて以て異同を弁ぜんと欲せば、則ち斯の記の能く尽くす所に非ず。僅かに其の一二を掲ぐれば、則ち挂漏の失を恐る。是に於て委曲に詳説せず、唯だ其の立極垂統の迹の昭然として明白なる者を挙げて、諸を上古神聖の功化に帰す。其の義公の志を継述し、洙泗の流を斟酌する所以の者、是に於て在り。
現代語訳
そして我が公(烈公)は、これらを概括して「神聖」の二字で言い表しました。これにもまた理由があります。ひそかに論じさせてください。天地の初めに神聖が生まれ出ました。その先後の順序は、なお詳しく知ることが難しいのです。舎人親王は『日本書紀』を撰して、国常立尊を最初に生まれた神とし、天の神が続き、伊弉諾尊・伊弉冉尊に至るまでを七代と称しました。さらにその下に諸説を掲げ、互いに詳しさや異同があります。これより前、太安麻呂が『古事記』を撰しました。その七代は書紀の本文と大同小異で、(地については)特に別に称するものがあります。天の神は天御中主神を最初に生まれた神とし、高皇産霊神・神皇産霊神ら四神がこれに次ぎます。これを七代の前に挙げています。そこで後世に古を語る者は、あるいは書紀により、あるいは古事記に従い、あるいは両説を混ぜ、天御中主と国常立を同じ神の異名とします。先後や異同の議論でさえこのようです。ましてその功徳や事跡となると、諸説が入り乱れ、こじつけがあらゆるところに及んでいます。そもそも上世の事は年代がはるかに遠く、一つの説を取って論じることはできません。書紀は神代について、必ず諸説を挙げて異同を残しています。つまり親王の時代でも、すでに詳しくは分からなかったのです。親王は厳密で慎重で、軽々しく決めませんでした。ところが後世の人は、千年百年のちに生まれながら、穿鑿し憶測で断じて、人に信じさせようとします。それこそ惑いです。昔、孔子は古を信じ好みましたが、祖述したのは堯・舜までにとどめました。言葉が伏羲に及ぶ場合には、必ず「蓋し」と言いました。慎みの極みです。後世の老荘の流れとなると、軒轅(黄帝)や許行の徒の名を借り、あるいは神農に託して自分の私説を押し通しました。孔子の用心の深さは、ここからも知れます。つつしんで思うに、尊い神々は、かの西方の牛の頭に蛇の身をした者などとは比べられません。しかも皇統の由来し、神器の伝わった経緯は、我が国の民ならば詳しくその淵源を知らなければなりません。けれども今の目で古を測り、微妙で奥深いことを明らかにしようと大げさにすれば、その弊害は、でたらめで道理に外れた話に及ばないことがほとんどありません。ですから我が義公(徳川光圀)が史書を編むときは、橿原の朝廷から始め、神代の大要を巻頭に掲げて皇統の拠りどころを明らかにしました。これもまた、こじつけの弊害を正そうとしたのです。(世間に流布している『大日本史』の紀伝は、かなり脱落や誤りがある。当藩で刊行した本を正本とすべきである。そもそも紀伝は橿原朝から始まるが、神祇・氏族・職官・兵刑の類で、太古に由来するものは、すべて志類に収められている。したがって神代の事実もその中におのずと現れていて、尽くしていると言える。)いま公は道の大本を論じて述べていますが、神々をことごとく挙げて異同を弁じようとすれば、この記の及ぶところではありません。わずかに一、二を掲げれば、漏れの失を恐れます。そこで細かくは説かず、ただ基準を立て伝統を伝えた事跡で明白なものを挙げて、上古の神聖の功績と教化に帰しました。義公の志を受け継ぎ述べ、孔子の学の流れを汲んだ所以は、ここにあります。
解説
この章句が説くこと
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